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グレートリセット。


最近思う。

世の中の多くの人は

ここぞという時


協力し合うことって

出来んのかな?なんて。


どこかもう全体も雰囲気で

あきらめている気がして。


動いてほしい時は動けずに

手遅れになってから動き出す

図体がでかくなりすぎた政府。


政府にしたら、お前ら国民も

図体も態度もでかくなりすぎだ!

みたいに思ってるだろう(笑)


どっちも協力しあえないまま。

自己顕示欲だけが増幅した現代。

大災害が起こったらどうなる?

国民も押し付け合いになるだろう。


環境破壊問題に対しても

たぶん同じなんですよね。

平時からは、本気で向き合えない。


「グレートリセット」なる番組を観た。

EV車のNスぺも観ましたが。


やはり、新しくしくみに

つくり「替え」ないと。


そのためには動かしづらいことに対し

責任をみんなで分かち合って

やるかどうか。


世界の先進国はもう

積極的に動き出している。


日本はクチだけに近くて

見通しは長雨が朝から続く

空のように暗い。


動かそうにも既存のルールが

邪魔になり利権が乗っている

最終列車から降りようとしない。


問題はトップが動いても

下(世間)に浸透するまでに

タイムラグがあり、混乱が

必ず生じてしまうということ。


混乱を引き起こすと

わかってもやるべき局面。


手離せないものを両手に

ではなく

決断と覚悟とで

両手を埋めるしかない。


現実問題としては影響が

大きくなって出るのは

末端の普通に生きている人。


遠心力のように下は強くなる。

下のほうが現行システムへの

依存度が高いから。


国民自体が消費者の意識を捨て

どこかで生産者と同じ目線で

歩むくらいでちょうどよい。


すると、生活の見直しが始まる。

企業が生産過程でゴミを出さない。

呼応するには国民も、協力が必要。


大きく揺れるのは下だろう。

地震とかの古い大きな建物とは

違って逆なのが、またね。


上のクラスにいる人は余裕がある分

大きなお金もすぐに動かしやすい。


下は急に変えると言われても

追いつかないから。


ガソリン車だって、急に

電気自動車に変えられる

わけもないだろうし。


電気に替えても供給源は

日本では火力が主になってる。


そこでブレーキがかかる。

原子力には反対が大きいし

踏んだり蹴ったりの状況だ。


大衆はこれまでのシステム利用の

延長タイムを求めるのが自然で。

いつの時代も変わらないのだろう。


急には終われないし、自己責任で

すべてまかなっていけないので

延長タイムを決め込むしかない。


手にするものを

周囲にあるものを

眺めてみればわかる。


無くてもいいものが多すぎる。

視点を変えてしまえば

これもあれもムダに見えてくる。


電気つけっぱなし、使いっぱなし。

劇的に変化させ、さらに対応を

し続けなきゃならない。

ラクではない生活が待ち受ける。


このラクや快適を奪われるとしたら

人間は受け入れられるのだろうか?


最初は嫌だろうけど、人間は慣れる。

あまり良い言葉ではないが。


始まれば慣れて、馴染んでいく。

最初の決断者が悪者になれるか否か。


思っている以上の意識改革と

グレードダウンを受け入れることが

グレートリセットにつながる。


あらゆる生活スタイルを変える。

そんな簡単に移行できないし

移行にも莫大なお金がかかる。


なによりもまず全体の協力を

得られないと話も進まない。

国民の腰は思ってる以上に重い。


ある程度の私権制限をしないと

無理な話だが、それでもやらなきゃ。


事業も立ち行かなくなり

労働者はクビを切られ

路頭に迷う人がさらに増える。


既存のルールで対応すれば

助けようとしても時間がかかり

ひとりひとりにまで行き届かない。


救済にも渋滞を起こすこと必至で

パニックを引き起こすレベル。


だとしてもである。

いまが動かなければ、未来もない。

いまが良ければ、を続けると

未来がない、という現実。


いくら、過去の人間だって

そうやってそのときそのとき

自分たちの意見を優先して

生きてきたからといっても。


いま現在の最先端にいる私たちは

一番、選択肢の材料が多いんです。


別の方法にチャレンジできる地点に

私たちはいるのだから。


決断と実行、覚悟。

ぬるま湯からは相当キツイだろう。


だが、この挑戦が未来につながる。

私たち現代人も、先の未来人も

通過点でバトンを渡す役目は

絶対に捨ててはいけない意識。


逃げた挙句に、将来困るのは

我が子や、子よりも溺愛する

孫たちかもしれないのに。


自分の欲のためだけに

恐怖や不安と戦うことを避ける。


快適を享受し、欲の限りをつくし

未来を壊した張本人たちが

何をしてきたのか?と問われる。


便利に生活できるいまの

当たり前な日常を

自分から簡単に手放すことは

まず、ない。


私たちは自らは現状を

捨てることはできない。


その心地よさを積み重ねて

知ってしまってる手前、

自らはグレードダウンできない。


ある程度、私権を制限させられる

その覚悟もしなければならないでしょう。

そして不安を和らげる補償が無ければ。


一時的にベーシックインカム導入で

生活資金を保障しつつ移行する。

それくらいの大転換が必須となる。


消費に消費を重ねながら

捨てては買い、捨てては買う。


捨てたあとのことは誰かに任せ

あとのことは気にしなくなった。

新しいのを手にすればいいと。


おそらくは、みんなで頑張って

協力していきましょう!

って、その程度の覚悟では

誰も腰をあげようとはしないし

もう間に合わない。


本当は、見たくない現実から

少しでも不安要素を消したい。

それが真実なだけではないのか。


言い訳を許すスキマを

全部、埋めて不安も

埋めてあげないかぎりは

腹を決めるのは無理でしょう。


止められない流れを

止めたら混乱。


だからこれまでの流れの

経済活動も止められない

と言い訳する。


止めなくても破滅に向かって

カウントダウンしていくだけ。


自分自身と未来を天秤にかけて

未来のためにグレードダウンを

自らは選択しようとはしない。


人間のエゴと自然は

かみ合わない。


エネルギー資源問題や

環境破壊と

これまでの生活を

両にらみして

どっちも手にして行こうとする。


企業もそうだろう。

損をしないようにが一番で

さらに利便性の向上も狙う。


ちゃんと取り組んでますよと

やってるテイでアピールして言う。


取り組むどころのテイでは済まず

活動そのものができなくなる。


でもなんとかして

自分たちも食っていかなきゃ。

そんなジレンマ。


あらゆる基準を下げられなくなり

すべてを破壊でもされないかぎりは

止まれない人間。


環境破壊、エネルギー枯渇、

食料争奪戦、奪われないために

武器を保持して守りけん制しあう。

ケンカがまた大きくなる。


これから10年、大きく変わる。

変えなければ、替わらない。


法律やルールより優先すべきは

環境であるはずですから。


法律やルールは

既存が通常通りなら

適用されても構わない

ルールでしょ?


継続できなくなるほどの

局面にいる私たちが

人間の活動を優先する理由は?


環境は法律に勝ると

いま気づかなければ

未来はなくなるのではないか。








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