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見上げるカベ、動かぬヒト。


GoTo関連、相変わらず視点が古い。

実質〇〇とか、なんの欲を

誰の欲を、刺激してるのか。


いつもどおりに消費者の欲を刺激して

解決するような問題じゃない。


そして、そこの違いにみんなが

気づいていないわけじゃない。


でも国がそうするから従うしかない、

そこで手詰まりになってしまう。

ソノサキを誰も解決しようとしない。


消費者は消費するだけで、

いつもと同じ感覚のまま。


自分が得をしたいから利用する。

自分の有利なほうへ意識も流れる。


ちゃんとやってほしいという相手負担の

思考回路に流れていくでしょう?


ちょっとかかってるか?ワタクシ(笑)

でもそこから先に踏み込まないと、

解決の道は開けてこないと感じる。


国の政策がうまくいかない理由を

そういう規則でやっているから仕方ない、

ってことで、ずっと棚上げしてきた。


単に消費者の意欲を刺激するだけじゃ

コロナ禍での不況の解決手段としては

ダメなんだと売り手の側も気づいている。


一回きりで消費が続くわけがないし、

おもいっきり遅い後払いじゃ間に合わない。

そこまでキテいる人のためにできることは?


なんだか毎回決められたフォーマットや

テンプレをイジッてあてがってるだけで

状況に応じて考えてるようにはみえない。


「すべてが誰のためでもない」

法律のために人が並んで従う。


そんな建前で逃げずに現実問題として、

困っている状況で変化をつけられない

この最大の欠点の前で、いつも屈服する。


法律を守った上でそのなかでうまくやる、

この建前となる法律自体が

コロナ禍を想定していない場合であっても

同じ手順、手続を踏襲しようとする。


法律を待っている間に、人は死んでしまう。


売る側がアイデアを示し、

その売る側を先行投資の形で

サポートする入り口を

もっと簡単に入りやすくしないと。


まずやるべきは

決めたとおりにやる、という

短絡的な姿勢や思考を捨てること。


決めたとおりにやって

うまくいかないときに

どれだけ柔軟性を認める

決断に踏みきれるか。

ポイントはずっとここ。


ここに壁があるとわかっていて、

みんな、この壁を眺めて見上げている。


ちゃんとやれたか確認してから

あとで法律通りに給付するのでは遅い。

この半年のコロナ禍によって、従来の

給付の仕方では手遅れだとわかるはず。


国をつくる、司る連中は

自分たちが一番偉くて、よく知っていて

中枢を担うのは私たちなんだ、という

強烈なプライドが邪魔している。


意見や姿勢を変えるという意識を

持てない精神構造をつくり上げている。


しかし、国が決めたことが

その時点ですべて正しい、成功する

とは限らない。


これも、もう十分にみんなわかっている。

うまく回せていないし、頭も使えていない。

痛いほど。痛いのはどっちだろうか。


では、どうすべきか?

理屈が通らなくても一度、やる。

後払いではなく、不正受給があろうが

先に給付するやり方を試すべき。


不正はゼロにはなるわけがない。

ゼロにするために全体が進めないのなら

守るものを間違えているでしょう?


不正のほうに意識が行き過ぎて

不正を許すなという裁きの快感に

身を委ねてしまうのもどうだろうか?


こうやって私たちの社会はいつも、

論点をずらす魔法をかけてしまう。


ゼロを守るのか、全体を進めるのか。

ゼロにしたい心理を担ぎ上げている時点で

間違いなんですよね。


コロナ前がたとえ0だとしても、

コロナ禍で既に-10の状態、

いままたGoToのために-10で

GoTo後で給付で+20に

なるのだろうか?

+10しか給付されないのでは?


給付を待つ間も、着実にマイナスは進む。

数字や企業や人の体力や意欲の現状を

まったく無視していないか?


いつもどおりと思うと

法律に従うしかないから

行政もそれに対応して、

やるしかない。


たとえ裁量があるとしても、

失敗を恐れていろんな責任者を介すると

どこかでストップしてしまう。

いつもコレで前に進まないことばかり。


彼らも私たちも、なぜかガンジガラメ。

これじゃダメだとわかっていながら。

不正を許すなという論点にシフトさせる。


やる前から難しいと考えてしまい、

法律が絶対で、せっかくのやる気も

削がれてしまい、ふりだしに戻す。


誰を助けたいのか。

誰を助けるために動くべきなのか。


散々壁になってきたシステムの

しがらみがあるとしたら、

そこを突破する試みをすべきです。

一度でも。失敗してもいい。


誰のために?そもそもが。

窮する業界の国民のために。

忘れていないか?


その大義名分が一番強くなくては

一向に前に進めないでしょう。


彼ら行政の大義名分は

法律を守ること「だけ」じゃない。


国民のために動く決断をして、

国民が自立意識を持ってやれる

環境づくりのために

サポートすることでしょ?


これが私たちがやるべき最重要課題。


からだが動かない人を手順にそって

介助しながら相手を動かすのと、

自分で動こうとしている意志のある人を

介助しながら動かすのと、

どっちが両者のためになりますか?

どっちが負担が少ないと思います?


刷り込まれた意識を変えるのは、

本当に難しいことです。


でも、国民のためにという

本来の軸を強固にしないと、

そこを大臣も腹を括らないと、

このコロナ禍は前に進めない。


「ちゃんとやってほしい」ではもう、

ダメなんですよ、私たちも。


国民の側がこうやるからサポートして

支えてくれという立ち位置に、

国民と国の「両者が」立たないと。


両者が動いてこそ、スムーズに動く。

私たちの側も動かないといけない。


そして、失敗してもあえて2回目もやるべき。

失敗した後の2回目は

一番モチベーションが上がるはず。

国民のやる気を信じてあげて下さい。


失敗が許されないと考えるから

いつまでも前に進めないんです。

不正を許すな、に傾きだして

前に進まないまま、頓挫するんです。


いつもと違うと感じているとき、

一番大事なことは、

いつも通りにやることで自分たちを

納得させ、安心を得ることではない。


いつも通りじゃない「手探り」をすること。

その姿勢を持てるか否かだと思う。













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