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正義もアクも、良くも悪くもイイものだ。


ダウンタウンDXはいつも以上

いや、いつもどおりに笑いで

溢れていた。

そう、これでいいのだ。


こういう中でやる時は

変にかしこまったらダメでね。


いつもどおりにハマタは笑い

ツッコまれて照れ笑いをし

スキャンダルをネタにもして

番組をいつもどおりに。


それが彼らのプライドだろう。

ともすれば、オッカナビックリに

なるところを変わらぬスタンスで

ネタにして笑いに変えていく。


いつだって正義マンたちは

下に見る人間らが萎縮するのが

笑いになる瞬間なのだろうから。


サゲスんでいるのはどちらで?

彼ら正義マンの笑いの質は

性格が悪すぎる笑

のうかがくもじゃもなー笑


ぜひ松本ネタも可能な限り

ぶち込んで笑いにしてほしい。

不謹慎結構。不適切結構。


最後は笑いに変えるから。

この意味はとてつもなく重く

そして普遍的なことだと思う。


「不適切にもほどがある」もそう。

アレも笑いに変えると救われる。

笑いにすることでラクになる。

歌にすることで受け入れやすくなる。


怒ってばかりでは気づかない。

マジメに線引きしすぎることは

案外、気持ちが通じあって

仲良くなる可能性すら消してる。


正しければ、雰囲気を悪くしても

仕方ないのだと、やってきただけ。

葬式でさえ、もう少し明るい雰囲気。


でもね、このドラマで描く

普段、不適切と叫んでいる奴らも

自分のこととわかっていながら

他人事のようにしてる人もいる。


いや、いるだろう。自分のことを

言われて笑いやネタにされてると

わかってるくせに自分のことじゃない

フリをしてやり過ごそうとする。


これは高度なテクニックだが笑

自分じゃないことにしてる奴は

絶対に、絶対にいます笑


それと普段は世の中に合わせてて

こういうときだけホントは自分も

そう思ってたんだと言う奴も出てくる。


普段から、さらけ出しましょう。

それが本当の姿で、ドラマで描く

あなたのおかしなところそのもの。


少し前に書いたが正論をかざす人

この人たち自身が恥ずかしいと

自分から感じる気づかせ方が

大事になるのではないかと。


彼らは自分たちがバカにされてる

それが一番気にくわないのだから。


あのドラマが痛快だと感じるのは

その角度で笑いにしているし

おかしなことを大げさでもなく

ポップに伝えようとしてるから。


みんなが窮屈になってる現状を

開放的にしてくれるから。


喫茶店で妙に近くで映り込むお婆さん

アレは今のジュンコかな、きっと笑


良い事ばかりでは気づかない。

大事なことは隠れてしまう。

正義マンには理解に苦しむだろう。

だが学んできた正義がすべてではない。


良い事は必ずしも100パー

正しい事だけで構成されていない。


彼らとてそれも重々承知してるが

自分で納得できないんだろう。


それは彼らの人生を否定することに

なってしまうから。認めたくない。


勝手に良い事のフレームの中に

正しい事だけを詰め込んできたら

シラケてる雰囲気で自分だけ浮いてる。


それでもやめられない正義マン。

社会のフレームはそんなに入らない。

少しの善と少しの悪を混ぜて

ちょうどよいアンバイになる。


悪はたまにアクとして処理されるが

最初から悪ではないのだから

最初から取る必要はないのだ。


アクが浮いたらその部分は

取り除こうとすればいい。

だが、アクが抜けた部分は

私たちにとって大事なことなのだ。


悪=アク+◯◯

この◯◯を最初から捨てると

良くなくなくない世の中になる。

どっち?笑


正しいことがうまく機能するために

◯◯というクッションが大事な役割を

果たしているのだということ。


これは科学では解明されない笑

人間が感覚で感じ取ることだから。

なーんてね笑






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