1年ほどFIREしてみた
初めて言うのですが、この1年ほど、仕事をしていませんでした。
1年という区切りがついたこのタイミングで、私が今のような状態になった経緯を、私の頭の中で起こっていたことと織り交ぜてしたためたいと思います。盛り上がりもオチも無い駄文です。
ベッドから出られない
とあるプライム企業に新卒から勤めて、15年ほど経った頃でした。管理職に就いてからは数年間、バリバリ仕事をこなしていた――つもりでした。
深夜までオフィスに居るのは当たり前、難しい判断を迫られたり、厳しい商談をくぐり抜けなければいけないこともありました。昼休みや休日に顧客から個人スマホに着信することも珍しくない。案件の大きさ的に、役員クラスに報告する業務がほぼ毎週のようにあったので気が休まる暇がありません。日本各地の法人を相手にする営業部で、外出や出張は日常茶飯事。
しかし、辛くて辞めたいと思ったことはありませんでした。むしろ、こんな仕事ができるのは俺の能力と精神力のおかげだ。俺以外の同期にこの仕事は務まるまい。……と、いくらかのうぬぼれがあったことは否定しません。
休職にいたる数ヶ月前から、よく風邪をひくようになったことや、うまく睡眠がとれなくなったこと、顔のとある部位に出始めたチック症状など、身体に変調が起こっているのには自分でも気づいていました。でも社会人なんてみんな多かれ少なかれこの程度のことは受け入れながら生きているのだろうし、まして医者にかかるほどのことでもない、と思って深く考えずに放置していました。
そうしているうち、さらなる変化が起こりました。仕事の日の朝、ベッドから出られない日が増えたのです。
なんとか気合いで起きて出勤しろ、と頭では考えているんですが、身体が動かないのです。自分でも驚きでした。今日のタスクを明日以降に回すともっとキツい羽目になるのはわかっているのに、それでも、思考とは裏腹に動けないのです。「今休む方がまし」と身体が訴えてでもいるかのようでした。
管理職なので自分の判断で休みを取ること自体はべつに簡単なのですが、自分の仕事は溜まるしチームの進捗も見れないしで、休んで良くなることより悪くなることの方が多い。
また、重要な会議への出席や顧客との商談が無い日に限って、ベッドから出られないのです。つまり頭のどこかで、「今日なら休んでもさほど影響が少ない」という打算が働いているようなのです。自分のことなのによくわからない。説明しがたい現象でした。
チームに休みの連絡を入れると、その途端、にわかに元気になります。残り1だったHPが満タンに回復した感じがして、ベッドを飛び出して着替え、目的は無いけど外出したりして、好きなことをして気ままに過ごしました。
こんなことが何度かあって、自分でも気づきました。ああこれは身体的不調じゃないな、と。精神的不調なのだなと。
1日休んで次の日からは元通りというわけでもなく、仕事のパフォーマンスも格段に落ちていきました。膨大な計算をして経営会議に諮る収支計画を作ったり、絶対に了解をもらわないといけない顧客企業との面談に臨んだり、委託先企業から出てきた仕様書をつぶさに読み込んだり、など神経を使う大事な場面では特に、作業の遅れやミスが増えました。
さらには、人と接するのが億劫になっていきました。規模の大きいプロジェクトだったので、社内外に関係者が多数います。プロジェクトの進捗管理をするためには多くの人と日頃から情報交換する必要がありますが、面倒になって一部を省略するようになってしまいました。
するとタスクの遅れに気づけなかったり、チームの方向性のずれやすれ違いに即応できなくなったり、「自分の知らないこと」が起こっていたり――まずい状況が勃発し始めます。
後手になってからリカバリーするほうが手間がかかるのに、どうしてあのとき連絡&会話しておかなかったんだろうと、何度も自分を責めました。
入社以来、同期や同僚がメンタル不調で休んだり辞めたりするのを見てきて、なんて自己管理のできない奴らだと、どちらかと言うと下に見ていたところがある私でした。しかし当事者となってみると、これまでの自分を否定されたようで、焦りと息苦しさを覚えました。
休職半年、無職半年
仕事量と役割の見直しなど配慮をしてもらいましたが、好転せず、急な休みがさらに続いたため、会社から心療内科の受診を勧められました。案の定、あっさりと適応障害の診断が下りました。これをもって休職期間に入ります。
精神科医の指導のもと、仕事から完全に離れて何もしない日を過ごすわけですが、何もしないというのもまた難しい。
かえって自分の内面と向き合う時間が増えました。そこで気づいたことがありました。ふとした瞬間に通り魔に襲われるのです。
文字通りの意味ではありません。なんのきっかけも脈絡もなく、心がズーンと深いところに沈む瞬間があるのです。1回は数十秒間、1日に数回の頻度で。
ズーンのときは、立っていられないし、座っていたとしても顔を伏せてうずくまってしまいます。吐き気をもよおし、強烈に気分が悪い。不快感を煮詰めた泥が胃から喉に出ようとしてなかなか出ない感じ。脳みそを取り出して洗いたい。この気持ち悪さから逃れられるならいっそ消えてしまいたいという願望に支配されます。
急に現れて頭の中をぐちゃぐちゃにかき回して去っていくので、私は「通り魔ズーン」と名付けていました。
半年ほど経っても改善が見られず、いろいろ考えて、本当にいろいろ頑張って、「頑張らないこと」を頑張ったりもして、でも結局、復職を断念し、退職するに至りました。
そんなわけで――休職と無職半年くらいずつ――休職開始から現在までの約1年間、まったく仕事をしていません。FIREというワードがカジュアルに使われている昨今、これも一つのFIREの形と言っていいでしょう。休職FIREから無職FIREへのステップアップです。もしくは適応FIRE、鬱FIRE、なんとでも言ってくれ。働き盛りのアラフォーが晴れてプーだぜ。やったね。ちくしょう。
普段の暮らしぶりといえば、基本的には専業主夫をしています。まさか自分が主夫になるとは夢にも思っていませんでした。以前は家事の9割を妻がやってくれていましたが、今では逆転しました。
その他の余暇時間は本当に気ままに好きなことをしています。「何もすることがなくて困る」ということにはなりませんでした。一番時間を多く割いているのは将棋ウォーズです。永遠の2級だよ。1級にぜんぜん上がれない。初段になって免状をもらいたいよ。
お金と投資の話
当然ながら収入は激減しました。あまり詳しくは言いたくないですが、休職期間は傷病手当を、失業中は失業手当を得ながら暮らしています。家計を一つにする妻は心身ともに健康で、これまで通りの収入があります。
で、現在お金に困っているかと言えば、まったく困っていません。
収入は減りましたが、家計収支は(赤字の月と黒字の月どちらもありますが)平均するとトントンかじゃっかんの赤字です。爪に火を灯すような倹約体制にシフトしたわけではありません。ふつうに以前と同じような生活レベルで過ごしています。もともと家計収支は大幅黒字だったので、この程度の収入減では、いきなり生活困窮状態に転落、とまではなりませんでした。
で、仕事が無いのをいいことに、旅行に食事に散財しまくっています。妻と、全国津々浦々いろんな観光地、温泉地、景勝地をめぐりました。都内の高級ホテルに目的なく泊まったり、Nつ星レストランでの食事なども。――これまではたまにやっていたことを、高頻度でやっているという感じです。モノを買うというより、体験にお金を使う方が多いです。
当然、赤字収支になる月もあります。そんなときは、保有しているインデックスファンドを売却して支払いに充てています。もしくはVTI(ETF)からの分配金を、再投資せずに使います。
「引退後のインデックスファンドの売却は難しい」という妄言が一部界隈でかまびすしいですが、まったくそんなことはありませんでした。身をもって体験した気づきの一つです。ふつうにただ売却ボタンを押すだけです。超簡単です。
おかげさまで(?)、資産全体は減っていません。株高や円安の影響で、休職前よりも増えています。毎月ウン万円の積立投資も継続していますし、今年2024年初頭には、リスク資産のほぼすべてを占めていた全米株式インデックスファンドの一部を全世界株式インデックスファンドにスイッチして360万円の枠を一括で埋めました。
夫婦ともに無職になっても、今と変わらぬ生活レベルで向こう5年くらいは食っていける蓄えはあります。
ひとえに2020年から始めた我が家の資産形成(余剰資金のインデックスファンドへの投入)のおかげです。コロナショックで一時的には数百万円単位の含み損を出しながらも淡々と買い増ししていった成果。そう思っています。
はい、こんな感じでこの記事はおしまいです。
これからどこかの会社に拾ってもらうか、自由業的な感じで金を稼ぐかはまだわかりませんが、そのうち動きます。たぶん。インデックスファンドを食いつぶす方が早かったら、その時はXで報告するので笑ってくださいね。
これまでと変わらずXやnoteで絡んでいただけたら幸です。最後まで読んでくれてありがとう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?