ブロコピ・ブラックキャットより「過去は…切り捨てられるものじゃない。そいつがそいつであるかぎり。」【2006/03/22(水)03:28】 |黒耀石(黒曜石)

ブラックキャットより

今回は…これまたジャンプ作品のBLACKCATです!

特に好きな作品でもないのですが、ジャンプ連載時はとりあえず見てました。なんというか、作品が良くできていて綺麗なんですよ。絵とかストーリーの進み具合が。キャラもそれなりにたってていいのですが、整い過ぎている印象がある作品ですね。癖のなさがドラゴンボールやワンピースのような爆発的なヒットにならなかった原因かなーって思います。(…とは言え、大ヒット漫画の1つではありますけどね。)しかし、最終話のワンシーンにはとても惹かれた為、最終巻である20巻だけコミックスを購入したという私的には珍しいエピソードを持っている作品なのです。(基本は全巻収集派なので)と言う事でぜひそのシーンをお伝えしたいと思ったわけです。

この作品には多少説明が必要でしょうか。


「かつて伝説の抹殺者として恐れられたトレイン、通称黒猫(ブラックキャット)は所属する秘密結社を裏切って処刑されたはずだった。
その二年後、彼は自由気ままな野良猫として賞金稼ぎを生業とする掃除屋になっていた。そして、秘密結社時代に影響を受けた女性を殺した男・クリードを追っていた。」と言う背景があり、紆余曲折を経てクリード(とその一味)をうち倒すというある種王道を走るお話です。


☆そのお話の最後。

クリード一味も壊滅、クリード本人も再起不能のカミーユ君状態となり、目的を果たしたトレインはまた元の掃除屋として過ごし始めた。クリードとの死闘の末壊れてしまった忌まわしい秘密結社時代から使う専用の装飾銃(ハーディス)を修理し、トレインに渡す仲間が問いかける。
「…ホントに…良かったのか…?ハーディスを修理して…。」
すかさず主人公が笑顔で返答する。
「何言ってんだよ、もともと頼んだのは俺だろ?」
今ひとつ腑に落ちない様子の仲間が続ける。
「ハーディスは…お前の飼い猫時代の象徴…。決別するいい機会だったはずだ。新しい銃に持ち替えて…」
主人公遮るように答える
「決別…か。ハーディスを捨てる機会は以前にもあった。」
主人公回想する。
「俺は選ばなかった。理由はカンタンさ。俺がいつも思ってる事だ。」

「過去は…切り捨てられるものじゃない。そいつがそいつであるかぎり。」



「みんなそうさ。生きていくには過去を背負っていかなきゃならない。」


「だから大事なんだ。いずれ背負う事になる現在(いま)を。」


「この現在を…どう生きていくのかが。」


「ま…俺の生き方は、もう決まってるけどなっ。」



…と、お話の終わりを迎えます。

何故ココに惹かれたのだろうか?…そう、過去は無かった事にはできないと言い切っている所でしょうか。
割と昨今の風潮として、過去は過去、現在は現在、未来は未来といったように、別々に考え、良くない過去は忘れれば良いという考え方が今風で受けが良いようなのです。また、過去=後ろ向き のような図式すらある気がします。その為か、何度でもやり直しができる、やってダメなら考える、失敗したらやり方を変えるなどと言う意見の方が正しいと勘違いする人間が大変増えているように感じるのです。
確かに、そう思ったほうが一歩を踏み出す事が容易になる場合が多いので、それはそれで一理あります。しかしそれは、例えば
「ひどく内気で先の結果にばかりおびえて何一つできない人」や、まだ未熟な「子供や学生」なんかには言ってあげたいとは思います。しかし、多くの

社会人にとってはあまり当てはまらないように思います。

特に福祉や医療の現場では。筋弛緩剤問題でもお分かりのように、生きるも死ぬもスタッフ次第な事も多く、利用者様やそのご家族はスタッフを信じて任せるしか無い…なんてのがスタンダードなわけです。(支援費、介護保険により制度的には当人が選択できる形にはなってますが…現実は選択の余地などあまり無い)例えばね、
「やらないよりはいいと思って挑戦したのですが、上手くいかず骨折してしまいました。」
そんなんじゃ困るわけですよね。例えですがこんなケースはよく聞きます。
他の施設は空きが無い→強くは出れない→泣き寝入り…
っていうのが結構あるのです。
結局…骨折→寝たきり→回復する事無く他界→家族のやりきれない思いはどうすれば…?
と、なったりしちゃいます。

私が思うに、介護や支援は一期一会の一発勝負。

セーブもできなきゃリセットもきかないのが普通です。スタッフ側としてはごめんなさいして次から気をつけます。で、他の利用者様にはミスしないようにがんばります。って感じでいけるのかもしれません。現代風なとってもポジティブシンキング!
……えっ!?ま、まってよ!骨折した人はその一スタッフの成長の犠牲?望んでもいないのに?
…まさに貧乏くじ引いた感じです。例えば、大学病院なんかに学生の為に望んで身を差し出す患者もいますが、我々に身を預けてくれる利用者様達はそんな覚悟から程遠い人ばかりのはず。むしろ、「プロだから安心」とまで思っている方だって少なくは無いと思います。

「誰でも初めから上手くはできない。」



と言う人がいます。それはそうです。正論かもしれませんね。…確かにしょうがないと思える部分もあります。でもね、それが自分だったら、家族だったら?恋人だったら?…あなたは許せますか?その理屈で納得しますか?

「初めはしょうがないよね。入院が3ヶ月伸びて、収入も減って、支出は増えて、苦しいリハビリもあるけれど、気にする事ないよ。誰でも初めからは上手くできないものだからさ!」

なんて言えますか?言えたら多分キリストの生まれ変わりで無ければただのバカですよ。客側から見れば、プロとして土俵に立った時点で新人もベテランも関係ありません。プロとしてのサービスを求めるのが当たり前です。それに応えるだけの力が無いのなら、まだ時期尚早だということですよね。

何が言いたいか伝わってきましたかね?福祉機関で従事する人間の多くは(個人差はあるが)どこかで仕事を「他人事」と感じ「哀れみ」の心で「やってあげている」おごりがある場合が殆どだと思います。一般の人達に我々は「聖職」のように言われる事がありますが、心から相手を思い、自らの事のように心悩ませているのは極々少数であるのが現実な気がします。
大切な事、強く訴えたい事は、

「どんなに失敗した過去でも切り捨てる事はできない」


人生とは積み重なり続ける塔のようなもの。過去は土台であり、基礎である。そこに未来が降り積もり現在になり、次の瞬間に過去となる。過去とは、その人がその人たる所以なのです。
…そして

「やらずに後悔するより、やって後悔する方がいい」



なんて自分勝手な事は言うな!!ちゅー事です!
ハッキリ言ってアレコレ考えるのを省く為、伝家の宝刀のように
「やらずに後悔するより、やって後悔する方がいい」
と言う人が多過ぎます。先を恐れたら何もできないと言うならば恐れが無くなるまでとことん準備すればいい!今持てる力の限りの準備をしたら絶対に恐れは無くなります。力の限り準備をして実行に移せば絶対に後悔しません。何故なら、例えやらない方が良いケースだとしても、その時は準備段階で絶対に気づくからです。また、不運にも上手くいかなかった時も必ず誠意が伝わるからです。
こんな事いいながら20歳からずっと介護福祉士としての仕事を続けてきました。当時からずっとこんな調子で仕事してきたので、上司や同僚にも

「そんなに一生懸命じゃ、仕事やっていけなくなるよ。」



とよく言われてきました。その時は言い返す事はできませんでしたが、今は言い返せる気がします。

「一生懸命じゃなくてもやっていける、そんな仕事なの?」



って。
私は一生懸命に生きたいからこの世界に入りました。適当に手を抜きたければそれでも良い、もっと待遇の良い仕事は山ほどあります。ただ、そんな仕事では一生懸命やりすぎると白い目で見られ、迷惑がられます。適当にやりたい人達に足を引っ張られます。しかし福祉だけは、一生懸命に生きても良い…生きなければならない世界だと思ってます。お客様はまだ、コンビニやスーパーを選ぶようには施設やスタッフを選べない立場にいるからです。一生懸命やってくれると信じて任せるしか選択肢は無いのです。我々福祉従事者に課せられた使命はもらう給料の数倍の重みがあると思います。それを十分に理解して一挙手一投足、一言一句に全身全霊を込めていくべきだと思います。
そもそも、

幸せな未来とは、現在の一瞬一瞬に全力を尽くし続け、重くしっかりとした過去を積み上げて我が物とした者にしか訪れないものです。

過去から逃げるつもりで現在を大切にしないものには、それなりの薄く軽い未来しか訪れませんよ。

…おかしい、愚痴っぽくなるな。もうそんな年なのかなぁ…。あしからず。


↓追記


好きなキャラはスヴェン・ボルフィードかな。
人を食ったキャラも結構好き!
「グラスパーアイ!」
は結構カッコええ技じゃった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?