歴史探偵 甲子園100年
8/15(木) 午前0:30-午前1:15
今年、誕生から100年を迎える甲子園球場。数ある球場の中で、なぜ甲子園が私たちにとって特別な場所になったのかを調査!球場誕生のきっかけは1人の人物の壮大な夢だった?そして、太平洋戦争のさなかに行われた「幻の甲子園」。公式大会が中止になる中、なぜ、この大会は開かれたのか?さらに、全国の人々が甲子園の熱戦に心奪われる理由も検証。伝説の試合に注目しながら、ラジオやテレビが果たした意外な役割を解き明かす。
(以上 公式サイトより)
かつて、阪神甲子園駅を最寄り駅とした場所に住んでいた。会社帰りに球場の側にあったプランタンで食材を買い、阪神戦のある日は周辺の混雑が少し嫌だった。
が、甲子園も野球も好きだった。
野球といえば甲子園。プロでも球児でも応援する側にとっても、甲子園球場は別格だと思っている。
「西宮の海岸沿いをコニーアイランドにするのである」三崎省三氏のスケールの大きい構想を種として、民衆の熱意や放送機器の発展などの後押しで聖地となった甲子園球場。100年って凄い!
そんな明るい場所にも存在した負の歴史=「幻の甲子園」について、この番組で初めて知った。
国民の戦意高揚のため、戦地での兵士同様に「デッドボール避けるの禁止」「負傷しても交代禁止」というキチガイルール。
スコアボードには「勝って兜の緒を締めよ」「戦ひ抜かう大東亜戦」と標語が掲げられる始末。
極めつきに酷いのは「誰々さん、赤紙が来ましたからおうちへお帰りください」と観衆向けにアナウンスがあったそうだ。
今なら信じられない、反対意見多数で却下されるべき事案が、本当に行われていたという戦時下。それが戦争なのだ。
野球と戦争に関するエピソードといえば、甲子園でも活躍した沢村栄治選手のことも頭に浮かんだ。
ひとりひとりの希望や理想を踏み潰していくのが戦争である。終戦の日に反戦を強く思うのが、現代の私達ができる戦没者慰霊になるだろうか。
甲子園球場は野球やコンサート、とにかく平和なイベント開催のためだけの場所であり続けられるように。私たちで守っていきたい。
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