理学療法士 藤田友和の履歴書
はじめまして。
大阪で完全予約制のパーソナルコンディショニングを経営している、理学療法士の藤田友和です。
*このnoteは4分10秒で読めます。(2064文字)
僕自身を深く知りたい方は、シリーズ化しているものがありますのでこちらをどうぞ。
少し履歴書っぽく学歴と職歴を記載すると
大阪生まれ大阪育ち。厳密にいうと東大阪市
両親と姉の4人家族です。
父親は奈良県のかなり田舎村、母親は鹿児島県徳之島(沖縄のすぐ近くにある離島)出身なので、生粋の大阪人ではありません。
小1から小6までソフトボールを、中1(準硬式)から高3(硬式)まで野球を本気で甲子園目指してやっていました。
他に小学校時代は水泳、柔道、そろばん、書道、ミニバスなどもやっており、身体を動かすのが大好きな少年でした。
高校は公立の雄、スポーツ校として有名な桜宮に進学しましたが甲子園出場は叶わず…
初めて挫折を味わい。
授業はもちろんしっかり寝てました。
野球のために体力の回復と温存ですね 笑
高校時代は肘の怪我の繰り返しで、野球をしていたのかリハビリをしていたのか…
そこで自分のような選手をなくしたいと思い、理学療法士を目指すことに。
専門学校時代は、本当にダメ学生の典型で授業は寝てばかりの再テストばかり。
でも親の負担を少しでも減らすためにバイトは3年生まで続けました。
ちなみに3年制の専門学校です。
なんやかんやで就職活動がスタート。
アスリート、スポーツリハビリをしたくて理学療法士になったので、そのような方が多く来るところに就職したいと思い、学校の先生に相談していました。
のがみ泉州リハビリテーションクリニックに就職することになりましたが、高齢者ばかりでスポーツ選手は皆無というまさかの展開…
できがあまり良くなかったので、よく怒られてました。
この時の上司が高校野球部のサポートをしていたので、いつも連れて行っていただいたり、甲子園のメディカルサポートの団体にも所属していたので、僕も入って活動していました。
本当に良い職場でした。
このクリニックで5年間勤務し、シャローム訪問看護ステーションという会社に転職しました。
残業がなく勤務地も近いということ、あとはすでに勤務されている方からのオススメで転職することに。
シャロームも本当にセラピストを大切にしてくれる良い会社でした。
スポーツにもっと関わる上で、やはり時間を作ることが大切だと思ったので残業がないというのはかなりのアドバンテージになりました。
もちろん訪問リハビリも凄く良いな好きだなと前の職場でも経験して思っていたので、僕にとってはもう最高の環境です。
この前後でJARTAという会社の立ち上げから関わらせてもらい、全国にセミナー講師として飛び回っていました。
福岡〜北海道まで毎週のようにどこかでセミナー講師してました。
訪問リハビリステーションは2年間勤務し、テイクフィジカルコンディショニングという会社に転職。
ここは完全に立ち上げ事業だったので、何から何まで全てをやりました。
テイクの上司に直談判して雇っていただき、本当に死ぬ気で働いたと思います。
テイクは富裕層やプロアスリートを中心にメンテナンス〜トレーニングまで行うジムなので、今までとは全然違う環境、全然違う対象者で楽しかったですが、もちろん辛いことも多々あり…
ここで本当に色々な経験を積ませていただき、人間として成長できたと思います。
テイクは5年間勤務し、現在のoboroを立ち上げました。
会社ではなく個人事業主として経営しており、スタッフも僕一人だけです。
oboroのことを詳しく知りたい方はこちら。
現在はありがたいことに、
のサポートをさせていただいています。
今後はまだまだアスリートのサポートを増やしていきたいと思っていますので、サポート依頼やご紹介などご連絡ください。
noteに関しては、セラピストやトレーナーに必要と感じる思考を経験談や書籍を通してお伝えできればと思います。
まだ未定ですが、オンラインで何かしたり、ワークショップみたいなものもやってみようかな…
とも考えています。
それはまた決まり次第ご案内させていただきます。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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