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「安全」と「自由」と「法外」~五十嵐早香にはSKE48は狭すぎる2~

 哲学者の國分巧一郎さんと同じく哲学者の千葉雅也さんの対談がまとまった「言語が消滅する前に」(幻冬舎新書)という本が面白いです。
 二人の哲学者の対談を2017年から2021年にかけて順番に収録しているんですが、中でも印象に残っているのが「法外」という言葉です。
 ネットでの炎上騒ぎが増えた現在、さまざまな場所で「帰責性」を恐れてエビデンスを取ったり、言質をとったりしている。我々の生活のレベルでいえば、ケーキ屋さんでケーキを買う時に「〇〇でよろしいですか?」と必ず確認するようになった。それは、法務的には正しいことです。
 ただ、哲学の分野においては、時として法務的な解釈から一旦離れて考える場面もあります。
 たとえば、ジョルジュ・アカンベンが『私たちはどこにいるのか?ー政治としてのエピデミック』の中で提唱としたコロナ禍における死体の処理についての問題。接触を避けるために葬式などの祭礼を行わずに埋葬することに、アカンベンは疑問を持ちます。宗教者たちはこれまでの殉教の精神はどこに行ったんだ、死者は葬式を挙げる権利は無くなったのか、と。彼のこの考えは世界中の哲学者から総スカンを食らいます。素人の僕から見ても、「いやあ、命大事にしたいですし…」と頭をかきながら答えると思います(アガベンは殉教など『意味のある死』と収容所に押し込められて誰にも知られずに死んでいく『剥き出しの死』の視点から述べていたのでは、と國分さんは分析しています)。
 ただ、アカンベンの主張の中には「安全」と「自由」は両立できのるか、ということを考える上では非常に重要な指摘とも言えます。
 僕らはコロナ禍において「安全」と「自由」を天秤にかけた時に「安全」を選びました。僕は、そちらに関しては賛成派です。
 ただ、現実社会は重層的です。様々な局面でこの「安全」と「自由」のようにどちらかを選ぶ場面が出てきます。
 重層的というのはやっかいなもので、1か0かではありません。
 部分的に賛成と反対が存在し、複数の時間性の中で考えて行かなければいけません。
 例として「良心的兵役拒否」が挙げられていました。
 ベトナム戦争に私はいかない、というのはその時点では違法行為なんですが、後から考えると正義ではないかと。このように時間性の中に置くと、瞬時に正義が決まらない事象も多いです。千葉雅也さんは現代ではこういう時間性における議論は少なくなり、SNSでの瞬発的な反応の方が力を持ったと分析しています。だから、過去や未来の視点を元にした時間のかかりそうな議論や1か0か答えがはっきりしない議論は「なにをごちゃごちゃ言ってるんだ」と無下にされてしまう。
 この問題の解決策として、著作の終盤では言語を発酵させたり醸成させたりできる「空間の多元性」の可能性が紹介されます。
 まず挙げられていたのは、昔風にブログをやってみたり、SNSから身を置く時間をつくってみたりすること。この試みは僕もやっています。
 そして、民主的な開放性とは真逆のある程度閉鎖された空間の必要性が語られます。その手段の一つとしてオンラインサロンなどの「課金」という障壁が挙げられます。ただ、これはオカルト的な要素もあるので、炎上などからは「安全」ですが「怪しさ」を帯びる場所も出来てしまいます。
 ここで國分巧一郎さんは、大学の「教室」を例に出します。
 教室というのは実はパブリックな場所ではなく、半分閉じている。パブリックな場所ではないからこそ、好きなことが言える。だから生徒たちの議論の中で間違えても良い。その反面、閉じすぎると教師が専制君主のようになることもあり問題になる。半分開かれて半分閉じているぐらいの空間が丁度良いのではないか、と指摘しています。

 さてさて、前置きが長くなりましたが、なんでこんなに前提作りをしてきたかというと、これから考えていくことにどうしても必要だったからです。それは、SKE48の研究生ブログの有料化についてです。
 これに対して反論の声を挙げたのが10期生の五十嵐早香さんです(以下、早香先生)。
 大前提として書いておくとこれまでSKE48の公式サイトでの研究生ブログは、無料で読むことができていました(それとは別にamebaブログがあり、こちらは無料です)。
 しかし、仕様の変化により、現在は無料で読むことができない状況です。有料会員の僕は早香先生の配信で語られるまで気づくことが出来ていませんでした。
 早香先生は文才でまず注目された方ですし、現在も精力的に質の高いブログを更新しています。
 早香先生は研究生ブログについて「生命線」、「研究生の数少ないチャンス」、「1番最初に自我が芽生えた一つ」と配信の中で語ります。
 Twitterの「10期研究生」アカウントに関しては「分厚い分厚い運営の壁があるんだからさ、それで濾過したものしか出てこないんだからさ」と語り「特徴が出ない」と語ります。
 「アメブロしか上げないようにしようかなあ」と語るものの運営から「アメブロ1回やめてください」と運営から言われた過去も語られます。「話せばできると思う、じゃないとおかしいから」と語っているので、可能性としてはこれからこちらが主戦場になっていくかもしれません(amebaブログは無料)。
 更に公式ブログの更新をTwitterで告知しようとしたところ、「仕事用だからプライベートのことはツイートしないで」と言われたことも語られます。
 

 上記の配信の後、僕の頭に思い浮かんだのが冒頭の「自由」と「安全」、そして「法外」の問題なんですね。
 運営批判をするのは簡単なんですが、そうではなく、何故、運営の方々がこんな選択をしたんだろうと、考えました。
 研究生のブログを有料制にすることで「安全」は保たれると思います。なんなら安全性は高くなるかも知れません。ビジネス的にも、研究生ブログが有料になるから収入が減るということは考えにくいのでは、と思います。
 有料になるので勿論、閉鎖性も上がります。
 アメーバブログの方を禁止するのも管理していく上での「安全」性は高まるでしょう。
 ただ、無課金で読める、SKEを知らない人でも気軽に立ち寄れる「自由」さはなくなります。


 下北FMという様々なアイドルたちの交差点のようなラジオ番組で、早香先生に興味を持った人が、彼女の個性を発揮できる場所の一つに触れられないのは、非常にもったいないと思います。
 それだけではありません。
 SNSでラーメン画像のツイートをしたことのある方なら経験があるかもしれませんが、ラーメン好きの方が「いいね」や「リツイート」をしてくれることがあります。彼女の公式ブログではラーメンを食べる体験について丁寧に書いたブログがあります。
 僕自身も読みながら「食べる」という行為の豊かさを感じました。
 
 この豊かな体験をできる場の入り口が、一旦狭くなってしまう。
 勿論、アメブロに移行することで、首の皮は繋がるとは思うんですけどね。
 ただ、それをどう知ってもらうのか?
 Twitterでのブログ告知を止めることで、機会損失を生んでいる気も僕はするんですね。
 ファンが告知するよりも本人が書いた方が価値や信用度は大きいのではと僕は思っています。
 つまり、「安全」を優先した為に「自由」が狭まっている。 
 疫病と違って芸能活動ではそれが有効かどうか、今の時点では断言が難しいです。

 いやいや、研究生の仕事の本分は劇場公演やアンダー出演だ、という方もいらっしゃるかも知れません。
 ただ、公演数や人数が限られている2021年12月現在において、それだけに注力することが正しいのか、というと僕は疑問を持ちます。これは公演やアンダーに出なくて良いという意味ではなくて、プライオリティの問題です。
 「SKE48とは何か」の問題にも通じるかも知れませんが、「自由」度の高さがグループの豊かさにも繋がると僕は思っています。アイドルとしての選択肢が多いのが48グループの良いところだったのではと思います。

 まあ、アメブロに移ってくださった方が引用しやすくなりますし、モバイル会員ではない方にも勧めやすくもなるんですがね。その反面、これまでの公式ブログを振り返って読み直す、並列的に考えるには、課金が必要というものになってしまい、言葉や文章のアクセスしやすさと時間性を失ってしまうかも知れません。
 

 何度でも書きますが、運営の方々の選択は「安全」だと思います。五十嵐早香という存在に「自由」を与えすぎるのは、前例を考えればリスクもあると思います。
 ただ、「安全」を確保した後の施策をこれから見せてくれることを期待しています。
 たとえば、本気でNFTに参入するとかですね。ガチャ売りじゃなくて1枚売りの方がユーザーの参入度は高くなる、と思いますしね。よこにゃんの絵は、美術的な教養が見直されている近年において、特に相性が良いと思います。早香先生なら文章や言葉もNFT化しておくと良いのではと思います。「研究生の文章なんて誰が買うんだ」って?今はそうですね。でも、長い時間性にこの問題を置いてみて考えてほしいです。僕が運営の方なら少しでも価値が上がるように行動していくと思います(僕は彼女の書いた言葉の所有権が凄く欲しい人間です。ふふふ。気持ち悪いでしょう。今はね)。
 他にもあります。坂道グループの映像特典のように各メンバーのプロモーション映像を作ってyoutubeにも公開するということも、試してみてはどうかと思います。「この子、面白いから見てみて」とファンではない方に進めやすいですし、プロの監督さんたちが作る映像のクオリティがメンバーの魅力をさらに引き出してくれるので、個人的に気に行っています。
  要は、一つ閉鎖性を生むのならば、それ以外の選択肢を生み出して欲しいということですね。課金ならNFT、無課金ならyoutubeでの紹介動画というように。
 更に公演やコンサートの配信チケットのギフティングも可能にすると、「観れば良さが分かるから」という時により勧めやすくなるなあとも思います。

 さて、色々と書いてきましたが、かつての48グループには「自由」があったと思います。秋元康がGoogle+の検閲をやめさせて、SHOWROOMでも積極的にメンバーの個性にふれようとしました。その結果、とんでもない「法外」の個性が飛び出してきました。組織としての安全性、均一性を守っていたら出てこない個性だと思います。
 否定性を受け入れながら(哲学では不自由性に近い使われ方をします)、それを突破していった松村香織や白井琴望という逸材たちもSKE48のかつての先輩たち。きっと早香先生も「法外」の個性を発揮していってくれると思います。

 最後に哲学者のジャック・デリダの「法外なもの」についての見解を書いて終わりましょう。
 法律の元における正義はすでに正しさが保証されたものの中で行う正しさなので、本当の正義ではない。法の後ろ盾がないところで判断をし、行為することだ、と彼は語っています。
 運営の方々にも「法外」な選択肢、つまり「安全」という正しさを飛び越えた判断をできる選択肢を残しておいてほしいな、時々、そういうチャレンジというか余裕も残しておいて欲しいなと願いながらこの記事を終わります。ブログは早香先生にとって大事な場所ですから。

【ここからは、2021年12月19日の五十嵐早香チームK2昇格を受けてから書いております】

 先日、10期生全員の昇格が発表されました。
 ううむ、結局研究生ブログの有料化は昇格後の為の布石だったんですかね。でも、11期生は有料からスタートというのは変わらないのではと思います。
 
 五十嵐早香さんは、チームK2に昇格しました。
 昇格時、彼女は言葉をつまらせながら、「頑張ります」と語りました。
 そのテンションは明らかに他の10期生と違いました。
 涙ながらに他の10期生たちが、離れることや乗り越えてきたことを語る度に、彼女の空白期間を僕は意識しました。
 その夜に届いたモバメについては詳しくは書けませんが、昇格して良い人間なのか、という問いかけがありました。
 自分を客観的に観た時に、確かに他のメンバーとの活動歴は短いと思います。
 ただ、彼女は他のメンバーにはできなかった「法外」なインパクトを残し続けています。少しずつ「半ヲタ業界人」の方々にも見つかり始めています。だからこそ、最初は後ろめたさや逆風もあるかも知れません。少なくとも今までのSKE48の正しさというか、基準と照らし合わせると、疑問が生まれる方もいらっしゃるかもしれません。
 でも、彼女だけを残して全員昇格という選択肢が正しかったのか、というと彼女には酷だというのが、一人の五十嵐早香推しの意見です。
 かおたんのように、研究生の母として11期生たちを引っ張って行くという役割も一瞬頭に思い浮かびましたが、3期生で上に1、2期しかいないし、公演も限られていた昔と比べると状況が大きく違うと思います。
 
 SKE48の時計の針が無理矢理にでも前に進めたのだと僕は思いたいです。長い時間の中で見た時、きっとあの時の昇格が正解だったと出来るかはこれからの早香先生次第だと思います。
 次に上に上がる時、つまり、選抜に入る時は、周りの声も、そして一番厳しい審査員である早香先生自身が納得できる上がり方をしてみせてほしいと願っています。



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