見出し画像

映画「そして、バトンは渡された」感想(ネタバレあり)

「そして、バトンは渡された」鑑賞しました。
森宮優子(永野芽郁)、森宮壮介(田中圭)の血の繋がらない親子。泣き虫なみぃたん(稲垣来泉)と、その母親である梨花さん(石原さとみ)のこちらも血の繋がらない親子。二つの親子の物語に隠された嘘と秘密が徐々に明らかになります。ネタバレ満載というか、ネタバレしかありませんのでご注意ください!(ちょこちょこと書き足しています。)

①原作について

ところで、私は、原作の大ファンです。読んだのは、本屋大賞受賞からはだいぶ遅れて、2021年初めでした。読んだ瞬間から引き込まれ、怒涛の勢いで読み進め、多分数時間で読み終わったはず。最後の方はずっと嗚咽しながら泣きっぱなし。読後は、なんていい物語に出会ったんだろうという幸福感と、著者の瀬尾さんへの感謝の気持ちでいっぱいでした。

私が一番好きなところは、優子ちゃんの人生を達観した強い明るさでした。「困った。全然不幸ではないのだ。」実の父と別れて、継母と一緒に暮らしたり、その母にも置いていかれて継父と暮らしたり、さらに違う継父と暮らしたり。実はものすごくハードな内容なのに、全く悲壮感がなく淡々と穏やかに進んでいく物語になっている、その要因は間違いなく凛とした佇まいの優子ちゃんの存在です。

もう一つは、森宮さんと優子ちゃんの作り出した世界。妙に自己肯定感が高くて、実はかっこいいんだけどとぼけてて、でもものすごく愛情深い森宮さん。森宮さんの作る料理には優子ちゃんへの愛情がこれでもか、と詰まってた。というか、彼の行動には全て優子ちゃんへの愛という一貫したものがありました。その森宮さんの愛情を時に重く感じながらも、さらっと受けとめたり流したりする優子ちゃん。父娘でいながら、親友のような二人の関係性やテンポのいい会話が大好きでした。

そして、向井先生。この人の描き方は元教員の瀬尾さんだからこそかなと。生徒の本質をしっかり見ることのできる素晴らしい先生。この人の存在、大きかったです。卒業式の優子ちゃんへの手紙に泣きました。

②原作と映画の違うところ

さて、そんな大好きな小説の映画化である今作。

全体を通して見て、一番分かりやすい違いは梨花が亡くなることだと思います。
病気になるのも、実はそれが理由で姿を消すのも、泉ヶ原さんを頼るのもそのままですが、原作ではちゃんと結婚式前に会えるし、出席もしてくれています。これは、映画という媒体にするときにドラマチックにするための要素の一つだったのかな、と思っています。物語としては亡くなる必要はなかったと正直思いますが、ここは映画で、別の物語と思えば、病気を抱えているという伏線はちゃんとあったし、そういう流れもありかな、と思いました。でも、どちらがいいか、と言われれば間違いなく原作の流れですね。梨花さんと再会できる場面、私は興奮しながら読んだし、結婚式に梨花さんがいるのもとても幸せに感じました。

脱線しますが、みぃたんに、「ずっと長生きして欲しいの」と言われたときの、梨花の表情の変化、さとみちゃんのお芝居に唸りました。あそこの、驚きからの悲しさ、そこからの決意、気持ちの変化が全部分かって、感動しました。これは原作にないシーンですが、梨花の病気がキーになっている映画の中ではとても重要なシーンでした。

原作との違いで昇華しきれなかったのが、みぃたんの存在です。
前述したように、私の中の優子ちゃんは比較的ドライな印象です。それは子どもの頃からで、悲しいことがあっても「ま、しかたない」と気持ちを切り替えることのできる女の子。なので、「泣き虫みぃたん」という描かれ方が予告のときから違和感でした。「笑っているとラッキーが転がり込んでくる」という梨花のセリフは原作と同じですが、みぃたんにもその梨花譲りの逞しさを描いてくれたら嬉しかったなと思いました。

原作の芯は森宮さんなのかな、と思っていましたが、映画はどちらかというと梨花さんかな?その分、水戸さんや泉ヶ原さんとの生活、彼らの梨花さんやみぃたんとの関係がしっかりと描かれていました。原作だと優子ちゃんの想い出話として語られますからね。特に水戸さんは、原作以上にキャラクターが私の中でくっきりと浮かび上がってきました。青森まで会いに行く設定になったから、会えなかった間のお互いの話もできていたし。大森南朋さん素敵だったな。

上記の向井先生が登場せず、ちょっと微妙な先生ばかり出てくるのは残念でした。美人先生も担任の先生もうーん…ですよね。向井先生を登場させるとかなり印象的なキャラクターになると思うのですが。あまりにも一般的な対応をする教師だけなのはちょっとキャラ設定が雑でしたね。

そして、優子ちゃんの友達。原作とは大きく違いました。確執の内容もあれ?という感じで、仲良くなる理由もあまりよく分かりませんでした。原作は仲がいい所からの仲違いで、その内容もまあまあ理不尽ですが、高校生だとあるあるだなあと思ったし、仲が復活する様子も自然でした。

子どもが成長する過程って親だけが大事なわけじゃなく、周りにいる人との関わりもとても大切で。2時間半に収める必要があるとはいえ、学校での人間関係の雑な描き方は気になりました。

③森宮さんと優子ちゃん、そして早瀬くんへ

原作は結婚式の朝の森宮さんの一人称から始まり、ラストシーンも結婚式の森宮さんの一人称で終わります。それが映画では、早瀬くんの語りから始まり、最後も早瀬くんの語りで終わります。これちょっと意外でしたが、映画では「バトンを繋げる」というところを特に意識したのかな、と思いました。子どもの頃、運動会でバトンを落としたことをずっと気にしていた森宮さんが、優子ちゃんというバトンを早瀬くんに繋げることができた、それは森宮さんにとってすごく幸せなことですよね。結婚式で早瀬くんに優子ちゃんを渡す場面での森宮さんの言葉に、その想いが詰まっていたように感じました。

森宮さんと優子ちゃんの父娘だけど親友のような、気さくな楽しい関係性が、圭さんと芽郁ちゃんによって素敵に表現されていました。この二人、優子ちゃんは意外ときついこと言いますよね。「父親ぶるとこウザい」とか。でも、その直後に「美味しい〜!」って笑い合う。この距離感最高だな、と思います。「弁当は親の愛情を表現できる最高のキャンバス」とか言いながら高校生にキャラ弁作る父親って、確かにちょっとウザいと思うんですけど(笑)それを呆れつつも楽しむ優子ちゃんが素敵です。

早瀬くんが最初に森宮家に遊びに来るときの森宮親子の会話が大好きで。奥さん(梨花)が出ていった理由に関する3択問題、問題もひどいけど、「全部あるね〜」ってうんうん頷いちゃう優子ちゃんも(笑)あそこの会話のテンポ最高でした。

合格した後の親子のデートで、カプチーノとカフェオレを優子ちゃんが持ってくるところ。本当にどちらか分からなくなってしまった芽郁ちゃんのアドリブだとのことですが、映画で見るとむしろ、「どっち?」ってうっすら笑いつつ聞いてる圭さんが素に見えて、ちょっとふふっと笑ってしまいました。

今まで森宮さんが作っていた料理を一緒に作るシーン。優子ちゃんが大人になったことを実感できるし、二人の包丁の音がシンクロしたり、お互いが作ったミートソースを味見し合ったり、二人のこれまでの過ぎた時間も実感できました。

圭さんも番宣で話していた、二人がようやく喧嘩できる場面。タイミングも理由も切なすぎる展開ですけれど、きっとあそこで二人はまた親子としての段階を一歩進んだんでしょうね。

クライマックスの結婚式。実の父親である水戸さんにエスコート役を譲ろうとする森宮さんですが、水戸さんも泉ヶ原さんも森宮さんがやるべきだと伝えます。優子ちゃんも。この場面、原作でもものすごく好きで、映画でも見られて嬉しかったです。血の繋がりがなくても、森宮さんは優子ちゃんの実家、帰るべき存在なんですよね。

早瀬くん、良かったです!原作のイメージのまま。天才肌なんですよね、口調も行動も。風来坊とはよくいったもので。岡田健史くん素晴らしかったです。

④みぃたんと愛情の塊なママ

梨花さんは、一見すると男を取っ替え引っ替えする魔性の女ですよね。水戸さんに「生命保険、なるべく高額なやつに入って」とか、男に必ず貯金のこと聞くところとか。だけど、若い頃に病気で子どもが産めなくなっていた梨花さんにとって、実は一番大事だった、手に入れたかったのは子ども。「みぃたん」だった。水戸さんに惹かれたのは、みぃたんの存在込みだったんでしょう。お金を気にするのも子どものため。泉ヶ原さんとの結婚はみぃたんにピアノをあげたかったから、森宮さんとの結婚は、自分がいなくなったとしても、みぃたんを守り続けてくれる存在をあげたかったから。方法はぶっ飛んでいますが、ここまで子どものために尽くすことができる母親の愛情は凄まじいな、と思いました。

そんな愛情が伝わっているからこそ、みぃたんはママが大好き。二人で笑い合うシーンは本当に幸せそうで可愛いですよね。特に、二人で「にん!」って笑い合ってるシーンが大好きです。

水戸さんとの手紙だけは届けてあげてほしかったと原作を読んだ時も思いましたが、それは今回も同じ。梨花さんの気持ちは分かるけれど、手紙は届けたうえで、みぃたんへの自分の想いを伝えてあげてほしかったです。

⑤映画ならではの仕掛け

一番は時系列の操作。みぃたんと優子ちゃんが同時期に生きていると思わせる描き方です。実はよく見ると、みぃたんのときはスマホが一切出てこないんです。スマホがある時代なら、手紙を隠してもメールとか連絡とれちゃいますしね。他にも、梨花さんが外で森宮さんや泉ヶ原さんと会っている場面が実は全然別の時期だったりするのがいくつか。これは一箇所は初回は気付かず、見事に騙されました!

映像だから感じられる色の使い方素敵でした。梨花さんが来る前の水戸家は雑然としてて、みぃたんの服装もちょっとボーイッシュ。でも、梨花さんが来てからはキッチュなカラフルさになり、みぃたんの服装もカラフルに可愛くなりました。泉ヶ原家はシックな色合いで、みぃたんの服装もちょっと上品に。そして森宮家はナチュラルなカラフルさ。これはとても素敵でした!

あとは何といっても音楽!ピアノが重要なポイントになっている作品ですが、映像だと実際に曲が聴けるのはやはり楽しいです。優子ちゃんのピアノが少しずつ上手になっていくところとか、力強く色気のある早瀬くんのピアノの音とか、森宮さんとの「旅立ちの日に」とか。みぃたんがピアノを始めるきっかけとなるピアノの音が、実は早瀬くんのピアノの音だった(同じ曲だった)ってシーンは映画オリジナルですが、とても好きなシーンでした。そして、この曲かなり綺麗で好きです。

⑥明日が二つになった

原作で大好きだった森宮さんの言葉…元は梨花さんの言葉ですが「明日が二つになった」というもの。優子ちゃんが来たことで自分以外の未来ができて、明日が二つになった、というこの言葉に詰まった愛の大きさに感動したのですが、これが映画でも、場面は変わっていたけれど出てきて嬉しかったです。みぃたんとの笑顔のやりとり可愛かったなあ。

しかも、そこから中盤のクライマックスである卒業式の卒業合唱の場面に繋がる演出が心憎い!自分より大事な明日を、愛情たっぷりな料理と共に、大切にしてきたんだな、と優子ちゃんと森宮さんの涙を見ながら、こちらも涙腺崩壊でした。

まとまりのない文章になってしまいましたが、この作品への想いを存分に書けて楽しかったです。読んでくださった皆様、ありがとうございました。

そして、原作を未読の方はぜひ原作を読んでみてください。淡々と穏やかな中にある深い感動をぜひ味わってほしいです!