アッシュ・スミス 【忘却マガジンストア】【忘却イベントガイド】
忘却マガジンストア 90年代ベスト
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忘却図書館 10年代ベスト
海外がまだまだ憧れだった1970年代の、パンナムが象徴する飛行機文化、世界を教えてくれた洋画の吹き替え文化、そしておしゃれにもほどがあった、70年代東京の街と店とファッション。そんな時代を背景にしたキラキラしたラブストーリーを書きました。ですが残念ながらいまだ未発表。ご興味ある方のご連絡をお待ちしつつ、その参考書籍をまとめてみました。
1989年7月5日。 「明日のテストのため、初めてAERA買って、大学の図書館に戻る」 ウィキによるとこの前年の創刊だったんですね。 前項のアンアン同様、こちらもこの…
1989年6月18日。 「六本木マクドナルド。スクエアビルのゲーセンでファイナルラップ」 87年に発表されたレースのアーケードゲーム。 この日記以前からやってました。…
1989年6月12日。 「部室で後輩たちにファミスタの手ほどきを受ける」 以降、何十回とその記述が続いていきます。大学の部室で後に総当たりトーナメントまで開催されま…
1989年6月6日。 「○○が載ってるアンアン買う」 大学の同じクラスの美女が出てたので。当時(いまも?)アンアンのようなカジュアルな女性誌には、街角スナップ的に素…
「ミスター・ハイファッション」で軽く触れましたけど、このころのマリ・クレールはファッション誌の中でも異彩を放ってました。 当時の出版業界に関わっていた人に…
1989年5月27日。 「11時に広尾の青山ブックセンター。「ぴあ」立ち読みで、ピチカート・ファイヴは、6月25日よりも、7月のライブのほうがよいとわかる。メンズビギの雑誌「…
1989年5月11日。 「宝島とスタジオ・ボイス買う」 6月28日。 「スタジオボイスのスペイン特集号買って帰る」 スタジオ・ボイスもいろいろと変遷のある雑誌ですね。 ま…
1989年4月6日。 「キネマ旬報ビリー・ワイルダー特集買う」 まあ定番の雑誌ですから、これ以前も、好きな監督や映画の特集のときは買ってましたね。 1996年4月17日。 …
1989年4月5日。 流行通信は毎号ではないですけど、この前からたまに買ってました。 「ミスター・ハイファッション」でも書きましたけど、特集などが全部ファッショ…
1989年4月4日。 「御茶ノ水でイーストウッド特集のSWITCH買う」 多少時差はありますけど&雑な分け方ですけど、当時カルチャー雑誌として人気があったのは、サブカル・…
1989年3月29日。 「10:00ごろフランスから成田着。宝島、MRハイファッション(サディスティック・ミカ・バンドが載ってたから)買う」 これは完全に、高橋幸宏さんのフ…
1989年2月19日。 「「ぴあテン」は相変わらずいまいち」 1990年2月15日。 「ぴあを買う。ぴあテン、相変わらずいまいち」 なんか「ぴあテン」に恨みでもあったのか私。 …
1989年2月12日。 最初にふさわしい雑誌でしょうか。 70年代はさすがに子供でしたけど、80年代、私が10代のころのB5版のサブカル雑誌時代の宝島はよく愛読してました…
【忘却図書館】が、だんだん現在に追いついてきたので、しばらく別企画として、雑誌版【忘却マガジンストア】を始めます。【忘却イベントガイド】【忘却ゲームセンター】も…
2017年12月25日。 殺伐とした本をたくさん読んで、自分自身も殺伐とした小説を書いてた年だったので、最後くらいほんわかしようと思ったのでしょうか。 ものすごく…
2017年12月16日。 2年前(2022年4月)、またこの事件についての捜査協力を呼びかけたり、話題になってましたね。 <ネットで調べてみる> 本書では実行犯とされる…
1989年7月5日。 「明日のテストのため、初めてAERA買って、大学の図書館に戻る」 ウィキによるとこの前年の創刊だったんですね。 前項のアンアン同様、こちらもこのときの私には想像すらできないことですけど、00年代の数年、連載ではないですけど毎号カルチャーレビューのような原稿を書いてました。 というわけでその話はまたそのときに。
1989年6月18日。 「六本木マクドナルド。スクエアビルのゲーセンでファイナルラップ」 87年に発表されたレースのアーケードゲーム。 この日記以前からやってました。私、人生でいちばんゲームセンターでお金使ったのはこれかもしれません。 2人とか4人で横並びになって、同時に同じコースを走って競うという、当時は斬新すぎるゲームでした。 ただこれ、ウィキにもあるんですけど競ってるのが友人とは限らず、ゲーセンで居合わせた人であることも多いわけで、車をぶつけられたりしたら
1989年6月12日。 「部室で後輩たちにファミスタの手ほどきを受ける」 以降、何十回とその記述が続いていきます。大学の部室で後に総当たりトーナメントまで開催されました。 86年に発売されたファミスタ。 ファミコンのあの粗いドット絵でよくあれだけ熱中できたものだといまは思います。本当の球場が見えてたもんなあ。 盗塁の駆け引きがいちばん楽しかったかも。 1990年12月23日。 「誕生日プレゼントでファミスタ’91もらう」 1995年9月4日。 「編集部か
1989年6月6日。 「○○が載ってるアンアン買う」 大学の同じクラスの美女が出てたので。当時(いまも?)アンアンのようなカジュアルな女性誌には、街角スナップ的に素人の可愛い女の子もときどき載ってましたね。 さて、誰もが知るアンアンですけど、この10数年後くらいから私、しょっちゅうインタビューしていただいたり、エッセイ書かせていただいたり、さらには3年間、俳優さんと対談連載までしたりして、すごくお世話になるんですけど、その話はまたそのときに。 大学4年のこの
「ミスター・ハイファッション」で軽く触れましたけど、このころのマリ・クレールはファッション誌の中でも異彩を放ってました。 当時の出版業界に関わっていた人にはいまさらな話ですけど、文芸誌「海」出身の安原顯(やすはらけん)さんがマリ・クレールに移籍。そこで文芸路線を女性ファッション誌にも持ち込み、読書特集やカルチャー特集で(ファッション誌なのに)ヒットを連発させていました。 しかし安原さんの死後の残念な話も、出版業界の人間はだいたい知ってますが。 90年代にお世話
1989年5月27日。 「11時に広尾の青山ブックセンター。「ぴあ」立ち読みで、ピチカート・ファイヴは、6月25日よりも、7月のライブのほうがよいとわかる。メンズビギの雑誌「VISAGE」ジャック・タチ特集買う」 まず「ぴあ」買えよですね。 そして広尾にも青山ブックセンターがあったよい時代でした。 日記をそのまま引用したのには意味があって、この雑誌(メンズビギ発行でした)、どこまでかはわかりませんがかなりの割合で、ピチカート・ファイヴの小西康陽さんが関わっていらっ
1989年5月11日。 「宝島とスタジオ・ボイス買う」 6月28日。 「スタジオボイスのスペイン特集号買って帰る」 スタジオ・ボイスもいろいろと変遷のある雑誌ですね。 まず最初はアメリカの「Interview」誌との提携のインタビュー雑誌、やがて日本の文化人を扱うカルチャー雑誌に(70代以上の方にはこの時代のスタジオ・ボイスが印象深いと思います)、そしてこの、私が日記を書き始めた89年は、いちばんつまらなかったというとアレですけど、定まってない感じでしたね。 8月9
1989年4月6日。 「キネマ旬報ビリー・ワイルダー特集買う」 まあ定番の雑誌ですから、これ以前も、好きな監督や映画の特集のときは買ってましたね。 1996年4月17日。 「青山ブックセンター六本木で、キネマ旬報別冊「THE ルパン三世 FILES」買う。つまらない」 こらこら。身も蓋もない言い方。 私、かなり映画関係の雑誌やムックやパンフレットの編集・執筆をやってたんですけど、キネマ旬報本誌では仕事したことなかったですね。 ただ、キネ旬の別冊ムックとし
1989年4月5日。 流行通信は毎号ではないですけど、この前からたまに買ってました。 「ミスター・ハイファッション」でも書きましたけど、特集などが全部ファッションのときは買わず、この号みたいにパリ特集で、ファッションだけでなくカルチャーや哲学まで扱ってたりすると購入したりとそんな感じでした。 以下の写真もそんな特集ですね。 この数年後、流行通信は仕事でちょっと関わるようになるんですけど、その話はまたそのときに。
1989年4月4日。 「御茶ノ水でイーストウッド特集のSWITCH買う」 多少時差はありますけど&雑な分け方ですけど、当時カルチャー雑誌として人気があったのは、サブカル・ニューアカ寄りの「スタジオ・ボイス」、インタビュー・ジャーナリズム寄りの「SWITCH」、海外・ハイクラス寄りの「エスクァイア」といったところでしょうか。 あくまでも80年代後半から90年代にかけてのことです。00年以降は私もよくわかってません。 1994年3月17日。 「遅ればせだが、SWIT
1989年3月29日。 「10:00ごろフランスから成田着。宝島、MRハイファッション(サディスティック・ミカ・バンドが載ってたから)買う」 これは完全に、高橋幸宏さんのファンでしたので、それ目当てのみです。 カルチャー系の記事に強ければファッション誌でも買ってたんですけど(マリ・クレールとか)、完全に男性ファッション専門みたいな雑誌(メンズ・ノンノとか)は、ほぼ手にすることはなかったですね。
1989年2月19日。 「「ぴあテン」は相変わらずいまいち」 1990年2月15日。 「ぴあを買う。ぴあテン、相変わらずいまいち」 なんか「ぴあテン」に恨みでもあったのか私。 ある年代には説明不要ですが、映画でもライブでも、「ぴあ」がなければ見に行くことも、それ以前にチケット買うこともできなかった(ちょっと言い過ぎですが)時代があったとは、いまの人は信じられないでしょうね。 そのぴあで、映画などいろんなジャンルの年間ベスト10を選出するのが「ぴあテン」。読者投票と
1989年2月12日。 最初にふさわしい雑誌でしょうか。 70年代はさすがに子供でしたけど、80年代、私が10代のころのB5版のサブカル雑誌時代の宝島はよく愛読してました。 ウィキにあるようにミュージシャンをメインで扱うようになって、87年から大判化したわけですが、次第に私がそれほど興味ないバンドブームのバンドがメインになっていって、興味も薄くなっていきました。 そして以下。 1990年3月9日。 「宝島買う。つまらなさに拍車かかってる」 3月10日。 「宝
【忘却図書館】が、だんだん現在に追いついてきたので、しばらく別企画として、雑誌版【忘却マガジンストア】を始めます。【忘却イベントガイド】【忘却ゲームセンター】も合わせて始めます。私が日記をつけていた1989年から。 「忘却ブラウン管」「忘却レコードショップ」も同時進行していきます。
2017年12月25日。 殺伐とした本をたくさん読んで、自分自身も殺伐とした小説を書いてた年だったので、最後くらいほんわかしようと思ったのでしょうか。 ものすごくいい話でした。 偏屈な書店主と、店に置き去りにされた幼女と、2人と仲を深めていく書店営業の女。 もうね、たまらなかったです。いい人たちのいい話。 この時期、蔵書の7割くらいを処分し始めた時期だったんですけど、これは残しました。 <ネットで調べてみる> 私自身の話ですけど、ある書店のプッシ
2017年12月16日。 2年前(2022年4月)、またこの事件についての捜査協力を呼びかけたり、話題になってましたね。 <ネットで調べてみる> 本書では実行犯とされる韓国人に取材もしてたかと思いますが、そのへんの真偽と捜査の進展はどうなってるんだろう。