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競馬と物事の選択で自分にとっての最適解を探す時に共通することとは?(No.32)



今年に入ってからだろうか。

競馬好きの弟の影響もあって、
たまに競馬をやるようになった。


何においても言えるが、
新しく覚えることに対してはハードルが高く感じるもの。



やり始めの頃は
3連単(1着から3着にくる馬と着順を当てる)
しか買い方を知らなかったので、

とにかく馬券の買い方の種類が多くて
訳がわからなかった。


例えばだが、
スポーツや情報発信、資格の勉強など

やり方や知識、ルールが徐々にわかってくると
もっと上手くなるため、
もっと自信をつけるために、
色々と思考を重ね始めるだろう。


僕も馬券の買い方が一通りわかるようになると、
次第に買い方に応じて予想を立て始める。




競馬には
オッズ(当たった時の倍率)と人気があるが、

僕は1番人気〜5番人気の馬を
3連複(着順予想は不要で1着〜3着にくる馬を当てる)を買い方を覚えてからはよくしていた。


人気=強いからくるとみんなが思っているってことだから、そりゃああたるでしょ!


みたいな前提で挑んでいたが、
思った以上に当たらない。



「守破離」なんて言葉があるし、
スポーツでも上手い人から学ぶし、
発信やSNSの運用でも大手の人からやり方
を学んだりするのに、、、



この時はまだ気づいていなかったね。

  • 人気=強いという前提ではない

  • みんなが買っているから自分の買い方にもそのまま当てはまるというわけではない


という事を。




ここからは、
競馬と最適解を絡めた話をしていこうかな。





競馬って人気以外にも
膨大な種類の参照データがあって、

  • 血統

  • コーナー毎のタイム

  • 過去のレース成績

  • どの距離・競馬場が得意か

  • 逃げ、先行、差し、追い込みなどどのタイプの馬か


など挙げ出したらキリがない。

どのデータを基準に考えるかで、
自分が選ぶべき馬(最適解)も当然変わってくる。



「競馬においては馬券を当てる事が最適解だから、
全通り買えばいいんじゃないの?」

という声も聞こえてきそうだが、


現実的に馬券を当てるには
馬券に絡まない馬を選択肢から外さなければいけない。



例えば18頭出るレースで3連単を全通り買うと、最低一点100円〜から掛けるので約50万必要になる。着順によっては当たってもマイナスということも当然ある。



これに関しては、
自分の目標を何か達成させようという時
を考えればわかりやすい。


目標を達成させるためにできることは全てやる
のは正だが、

現実問題、
時間やお金などの制約が人それぞれ出てくるため、
状況に応じて優先順位を付けたり、
取捨選択するかと。


例としてSNSで発信することを考えるなら、


SNSのアカウントを運用して発信を見てもらうと
いう目標を立てた時に、

  • 広告を出す

  • 有益な発信

  • 付加価値を与える情報の提供

  • 共感を得てファンになってもらう


などいくつものアイデアが思い浮かぶだろう。


しかし、実際は思いついたもの全部取り組む
というよりは


目標に近づく確率が高くなるものなどを
ピックアップして取捨選択する。




えーっと、何の話でしたっけ、、、



あ〜〜そうそう、

話を戻すと、

選択肢に入れたり外したりするにはそれなりの
根拠が必要になってくるわけですよね。


そこで、自分が当たると思って選んだ馬券(最適解)
に根拠を持たせるために、


理由づけのための言語化やデータ


が重要になる。



「人気=強いという前提ではない」
の例でいえば、


自分の選んだ馬券(最適解)が、
みんなが選んでいる(人気がある)から
当たる(自分にとっての正解)とは限らない。


自分の馬券を当たりに持っていくための根拠を
示さないといけないわけで、

当然、

自分にとっての最適解においても
正解と自分が思えるための辻褄合わせが必要

だと僕は感じる。


でないと、自信を持って選択肢を選んだり捨てたりできないからね。



最適解だって選ぶ意識がなければ、
自分にとってこの選択肢は合っているか?の結果がでないわけだから。



さらに、競馬には他人の買い目とまるっきり同じにして馬券を購入するイナゴのような買い方がある。

自分が選んでいるわけではないので、
ハズレると予想した人に対して罵詈雑言のような
コメントやリプが目立つ。



自分にとっての当たる(最適解)を
他人任せにしているわけだから他責思考だし、

何より自分で予想が立てられない以上、
一生誰かの最適解を探し続けて、
自分にとっても正解だと思うものを模索するハメに
なるかと。


自分の人生の中でコントロールできる割合は
増やしていかないと精神的にも不自由さをより感じてしまうのではないだろうか?


「競馬の話から何を大げさな!」


と言われそうだが、

考え方や習慣は
こういう小さな積み重ねの集合だからこそ気を遣っていきたい。



理由づけのための言語化やデータが大事


だと先程申し上げたが、


つまりは、
最適解を見つけやすくするために
土台となる前提や条件の選定が必要だが、

その選定を自責で考えるために
言語化やデータが大事

だと改めて伝えたい。


もちろん、自分の力が及ばない部分の影響力が働くことの存在は否定しないし認めるが、

人は根本では楽したい生き物なので、
他責だとどうしても自分の力が及ばない部分を
見つけ出して、それを理由にしてしまいがちだ。


なので次に繋げる(より良い最適解の発見)
ためにも、
自責で考えて「ここが良くなかったから次は改善しよう」など新たな行動へのモチベーションに
変換することでら最適解を見つけるまでのより良い循環を起こせるのではないか。


今日はここまで。

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