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思えば通過儀礼だったもの

現在僕はイラストレーターをしていて、少年時代から学校内では一番と思えるレベルには絵が上手いという自負もありました。

ただ当時の知識の中でこれを仕事にする場合、「画家」と「漫画家」以外の道があると分からず、前者に関しては感性、後者に関しては物語を考える能力の不足と判断し、高校生になる頃には親への経済的な負担を含めた理由から美術系の道を志望する気持ちはすっかりなくなっており、漠然と文系の大学に進学し、さらに「内定をくれた」という理由から求人広告会社の営業として新卒で働く事になりました。

割とすぐ後に分かった事ですが、この会社は一旦大量の新卒を確保して分母を増やし、少し生き残れば御の字という少々乱暴な方針で経営をしているタイプの企業でしたので、僕の同期も早い者は4月中に辞めていき、同年の秋頃には半数を大きく割っていたと記憶しております。

元来「営業職」に対して何の志望動機もなかった僕にとっても「自分にとって特に思い入れのないものを売る」「より高く売る」「ニーズがなければ作る」「他社との競争に勝つ」「電話口で会った事もない相手に怒られる」「話を聞いてもらえず電話を切られる」「それでも毎日電話帳を上から順に電話し続ける」「如何にこれらを努力しようと売り上げがなければ評価にはならない」等々といった全てが重くのしかかり、学生時代の自分が如何にぬるま湯にいたかを思い知らされました。

しかし今思えば、幾つかはその会社独自の個性ではありつつも、実は業務的にはそう間違った事を押し付けられてもいなかったのですが、社会に出たばかりの僕はこれら全てを理不尽と感じ、被害者意識の権化となっていました。


更にそんな中でも生意気盛りだった僕は、縦社会を重んじるタイプの語気強めな隣席の先輩との折り合いも悪く、こうなるとこれ以上この場所に籍を置き続ける理由は特になかったのですが、謂れのない負けず嫌いと、心の有様はそれとして小手先の話術だけは少なくとも自分の給料分の売り上げを工面してくれる程度には機能しており、かろうじてこの仕事を仕事して成立させていました。

また、ほぼ同じタイミングで共通の苦労をしている生き残りの新卒の同期連中とは仲が良く、彼らの頑張りを横目に見る事も当時の自分の励みになっていたと思います。

しかしながら、この同期とも時間が経つほどに成績の上では差が開いていくもので、中には仕事ができるだけでなく「愛される力」という得体の知れないパワーを有している人がいるもので、僕があくまで売り買いによる業務的なコミュニケーションをセコセコ作っていく中、彼らは相手の心の懐にしっかりと到達しており、「理屈をこねる分だけ失敗にかわいげがなくリピーターの少ない僕」とは段違いの安定感を見せつけられるようになりました。

念のため言っておきますがこれは嫉妬ではなく、僕自身もそんな彼らにしっかりほだされていた一人でしたし、純粋に「適性の違い」という覆しようのない差を突き付けられた事は、諦めと開き直りと、自分にとって人生を能動的に考え出すきっかけを与えてくれた最もインパクトの強い要因だったと考えています。


そしてここでようやく一旦少年時代の初心に戻って、「では一体自分にとって最も得意だと思えるものは何だろう?」と考え、改めて絵を志してみようという気持ちになりました。

最も適性のある道に身を置く事が、あくまで自分レベルではありますが、将来的に最も成果の出る人生をもたらしてくれると考えたからです。

また都度の頑張りの量に応じた実りを得られる事は、モチベーションの維持にも合理的な判断であるはず、と、これまで精神的燃費の悪い仕事に身を投じてきた僕は、そう信じる事にすがっていた部分もあったかもしれません。

しかしこれには勿論リスクもあり、自分にとっての得意分野で勝負する場合、負けるた時のダメージが最も大きく、自分がやりたい事をやりたいと言い出さないでいた本当の理由は、「戦わなければ負けない」という消極的な自己防衛による事も恥ずかしながら否定はできません。

よってある程度は完全に失敗となるオチも想定しつつ、気持ち基準で進めると躊躇が勝ちそうなため、あくまで「方向転換するなら早い方が良い」という理屈重視で指針を決めるようにしました。

とは言ったものの、少年時代の自己評価はそれなりに正確で、当時と同じ理由で「画家」と「漫画家」は却下され、何と言いますかすごく怒られそうですが、大人になるにつれて新たに獲得した選択肢である「イラストレーターなら大丈夫じゃなかろうか?」と考えました。

ただし、調べによると公的な資格の必要ないらしいイラストレーターという肩書きを名乗るにしても、全く美術的な専門知識のない自分は最低限踏んでおくべき工程があると判断したため、ひとまず既に社会人である以上自分で稼いだ額で通える教育機関を探し、少なくともこれを卒業しないといけないと考え、結局大学卒業1年後の4月から夜間の専門学校に通い始めました。

あとは結局、卒業後も単に絵が上手いだけでは仕事にはならないですし、そこから先の方がずっと沢山の紆余曲折があり、本当に多くの人のお世話になってここまで来ました。


という訳で、本当は自分が選ぶというよりは「やらせてもらっている」という気持ちでこの仕事をしています。


長々と書きましたが、言いたい事としては「全然興味のなかったものに手を出してみて、そこに適性のある人に引導を渡された事で、見ないふりをしていた自分本来の目標と正直に向き合うきっかけを得た。」というような内容です。

そしてこれも後から気づいた事ですが、計らずも興味のなかったはずの分野での経験から「対人への度胸」と「コミュニケーション能力」、そして「反省」というかけがえのない財産を得ていた事だけは、最後にちゃんと書いておかないと、と。

全然イラストレーターとしての話題には触れていなくて恐縮ですが。