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創作でなく制作

イラストに限らずクリエイティブ制作全般に渡って誰しも抱える問題だと思いますが、制作時のクライアントとの関係に関してここ最近考えた事を書こうと思います。


会社員としてイラストを描いていた時代に常々考えてきた事として、クリエイティブ制作においてそのクオリティを高めていくに当たり、クライアントと制作側は出来るだけ「対等」である事が望ましく、それはブランドや企画の力点への理解と作り物へのこだわりと
がなるだけ同じ重さで乗る事と、そして一方的な押し付けでない、より良い意見が残るようになるからです。

と、ここまでは今でも意見は変わりません。

しかし、「お金を払っている側」という立場が、対価を払って専門家として呼ばれたクリエイターに対して強すぎるケースが多い事への疑問と苛立ちをこれまでずっと感じてきた事に関しては、今は少し自分勝手と幼さが過ぎたと反省するようになった、というお話をしたいと思います。


まず基本的に、修正なんて出来ればしたくないというのが作る側の人情で、1回でOKが頂けるなら気分的にもコスパ的にも最高です。

しかし商業用のイラストはあくまでクライアントからのオファーありきで発生し、クライアントのために作り仕上げるものですので、自分本位で始まる事も進む事も終わる事もあり得ません。

更に言えば先方は制作のプロでないので、0からの発注を上手にこなせる訳もなく、よってご要望に沿うために不足や間違いのない理解をこちらが得るための責任を、出会い頭のたかが1回のコミュニケーションの中でクライアント側一方に押し付けるのはどう考えても間違っており、簡単ではありませんがイラストレーター側が「積極的ヒアリング」と「プロとしてのリード」をもって帳尻を合わせる事は、制作側としてむしろ最低限の義務なのだと、独立後しばらく経って改めて考えるようになりました。

加えて、例えばイラストはイメージや世界観を手作りで表現するものではありますが、商業用として描かれたものは必ず「目で見る説明」としての側面も持ちますので、例えば働くスタッフのユニフォームの描写、ポーズやアクションの自然さや小道具の大きさや扱いのルール等といった、クライアント側がテキトーには済ませられない事情が必ずあります。

修正を求められる理由が「技術の不足によってお客様の要求に応えられない」というような場合には完全にこちらのせいですし、ともすれば「イラストレーター」と名乗る資格自体を考え直さなくてはいけない事にもなりかねませんが、これは当然すぎるので一旦このパターンに関してはここでは言及しないものとして、こうしたクライアント側の事情に対して、イラストレーター側は「分かっていない」という前提をまず自分の中に持って打ち合わせに臨む姿勢が求められると思います。


ただしこちらもプロのクリエイターのはしくれですので、クライアントに口出しされたくない領域はどうしてもあります。

またむしろこちらが良かれと思ってわざとしている・しないでいる事に関して、よく考えもせずに逆を言われたり、実際に単なる修正依頼以上の意地の悪い言葉選びをされたりすれば、モチベーションに大打撃を受ける事も正直あります。

更にイラストの「どうとでも作れる」というツール的特性を「何でも出来る」と都合よく解釈してしまう人や、そのくせ「イラストレーターという人材そのもの」に対して、なかなか真っ当な社会人と見なしてもらえなかったりと、僕自身独立する前からこの肩書きを背負って人前に立つ事には、恐らく一般的な聞こえの職業より少し重めのハンディキャップが付いて回る実感を持ち続けてきました。

しかし、これもやはりある程度は自分側でどうにかすべきものと予め思っている方がやはり健康的で、そうある事でまず悪戯に他人を憎まなくて済むようになりました。


そして、よくよく考えてみると自分側に信頼を得られない理由がない訳でもないと気づきました。

例えば僕は独立するまで実質的な商売上の金銭面の動きに関しては勿論、一般レベルのお金の知識に関しても「会社に守られている」という前提の元に相当なテキトーをかましていました。

恐らくその「価値観の差という名の軽薄さ」が顔や言葉尻からじんわり滲み出ていたであろう事は間違いなく、先方から致命的な違いや不足と受け取られても不思議はなく、かといってこれを埋めないといけないという焦りすら持たずに、つまり自分から歩み寄る事を全くしないまま、自分の専門分野に関して相手側の理解や信頼が十分に得られない事に苛立ちを感じていた、という訳です。


そして何よりですが、独立してから仕事を「続けていく事」の難しさやそれを背負う怖さと、そのためには「リピーターの存在が不可欠」と知る事で、「では自分なら初対面の相手にどれだけ信頼を寄せて接する事が出来るか」と相手の立場で考えるようになり、これまでの僕自身の考え方が如何に都合が良かったかと気づく事が出来ました。

商売における信頼は小学生の初恋ではないので、そうそうお互いに一目惚れの両想いとはいかず、積み重ねによって形を成すもので、恐らく開店初日に長蛇の列ができるお店も、何度も通ってくれるお客さんがいないならすぐに立ちいかなくなるでしょう。


このページのタイトルにも書きましたが、まず自分の仕事は「創作でなく制作」と端的に言葉に出来た事は僕にとって割と大きな出来事で、何か意識を変化させるきっかけにもなった気がします。

ここまで基本的になるだけ中立視点になる事で自分側の悪い点に目を向ける、という理屈主体で書いた内容にしたつもりではありますが、この「意識の変化」というものがまずは頭の前提にある気がします。

仕事をする覚悟として、「自分なり」を変えずに自然と享受できるものだけでやりくりしていこうという発想は、少々勝手ですし、チープな気がします。

意欲や感情論をコントロールする事で、理屈も成長するのではないかと。