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書くということの分の悪さ

私の趣味は「書くこと」なのだろうか?最近こうやってnoteをを書いているが、なかなか報われない趣味である。

もちろん、趣味なんだから報われようが報われなかろうが好きだったら関係ないだろという話なのだが聞いて欲しい。

(不特定多数に)音楽は聞いてもらえるし、絵も見てもらえる。料理は食べられないこともあるが、写真に撮れば映えるし誰も傷つけない。

魚釣りは釣ってる姿や獲物や仕掛けを写真で見せることが出来る。スポーツやファッションなどもそうである。そして、そのレベルを特に問われない。趣味だから。

ところが「書く」ことはどうだろう。まず、活字が嫌いで読まない人が一定数いる。読んでもらえたら今度は内容によって好かれたり嫌われたり、下手したら人を傷つけることさえある。

noteをやっていると、文章書く人がこんなにも多いんだ!と驚かされるが、現実は好きな人にリンクすら開いてもらえないのだ。

そんなことを思いながら、今日も私は書いている。そして考える。「書く」ことは趣味なのか?いや、もしかしたら「生き様を見せること」なのかもしれない。

私達は自分のあるいは誰かの生き様を書いているのだ。そりゃあ受け入れない人もいるだろう。他人様にそんなことを強いるなんて、それはもう蛮族の仕業である。


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