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”宴会魂”による米寿の乾杯は再びオンラインor???

先日、母が傘寿を迎えた。傘寿の祝いはオンラインでの乾杯となった。父の一周忌もオンライン、母の傘寿祝いもオンライン。宴会好きな我が親族にもなかなかにしんどいコロナ。それでも離れて暮らす家族同士、制約の多いなかでも「今を楽しむ」ことに長けた父から譲り受けた”宴会魂”をみんなで発揮している。

寂しがり屋の父は人が集まるのが好き。誰よりも宴会が大好きな人だった。我儘でマイペースなのになぜか人に愛され、いくつになっても誰よりも飲み、誰よりも食べる人だった。

私たち子供が独立してからも、誰かの誕生日と言えば集まって食事に言ったり、旅行に行ったり。。。親の還暦、古希、喜寿、傘寿と節目節目の祝い事ではみんなで旅行し、旅先でワイワイ宴会をやって数々の乾杯をしてきた。

宴会の中心にはいつも賑やかな父の酔った赤い顔があった。ビールを水のように愛飲していた父は傘寿を祝った翌年、昨年の初夏、突然に他界した。

子供も孫もみんなが集い、家族みんなで祝う節目の乾杯はもっと長く続くはずだった。母の傘寿祝いの席にひとつ、肝心の人の空席ができてしまった。

賑やかな父がいなくなり、あまりにも静かになってしまった家で一人暮らす母。せめて父の一周忌を終えたら、母の傘寿祝に”いろいろお疲れ様”の小さな旅行をみんなでしよう!とあれこれ考え、企画もしていた。

そこにコロナはやってきた。
親族が離れて暮らす我が家では遠方からみんなが集っての実施は難しかった。止む無く、父の一周忌はそれぞれの家でささやかな陰膳を据え、オンラインで乾杯した。人と飲むのが好き、賑やかなのが好き、宴会大好きな父はどう思っただろう。

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「Amazon echo?アレクサ?なんだそりゃ?」
「???なんだ?みんな映るのか?乾杯できるのか?みんな何食べてるんだ?おもしれーなー♪」

そんな風に面白がってくれただろうか?
新しもの好きだったけれどPCは苦手でガラケーも電話だけ、メールもできなかった父。機械オンチだけどガラケーのメールはでき、それを拠り所にわずかな期待で送ったechoをなんとか使いこなしてくれている母。

父の一周忌を経て少しコロナが落ち着きを見せた頃、恒例の祝い旅行が無理なら、母の傘寿はせめて実家近くのレストランで乾杯しよう!と話していた。そこへ再びコロナが勢いを増した。

結局、母の傘寿祝いもオンラインでの乾杯となった。
Amazon echoとアレクサアプリとLINEを駆使して各拠点を繋ぎ、昔話をしたり、近況を語ったり、みんなが時間を共有した。もちろん、それぞれの家では父の写真を飾り、父のためのお酒とおつまみも添えて、みんなで一緒に母の傘寿を祝った。

祝いの席はもちろん、我が親族の集いにはいつもお酒があり、笑いがあった。葬儀のときでも、お酒を酌み交わし、泣きながら笑う人たちである。

コロナや自粛に負けてはいられない。
どんなときでも楽しみを見出す”宴会魂”までは奪われない。

どんなときでもマイペースに「今を楽しむ」。
自由に人生を謳歌した父が遺した”宴会魂”は代々受け継がれることだろう。

今、母の手許にはみんなの写真とメッセージを添えた祝いの色紙がある。
「おばあちゃん、次は米寿だ!」と孫は色紙に寄せ書きした。

そうだ、米寿だ!そのときの乾杯はまたオンラインなのだろうか?
Amazon echoよりさらに進んだテクノロジーを私たちは駆使することになるのだろうか?

先のことはわからない。その前にも受験合格とか、結婚式とか、誰かの祝いの乾杯がきっとあるだろう。

宴会魂”を遺憾なく発揮して、また乾杯しよう♪

オンラインでなく、直接会って、集って、差しつ差されつ、ワイワイ飲める日を待ちながら。。。家飲み続きで着実にコロナ太りだけは進んで行くのを笑って気にしながら。。。季節は夏から秋へと移り行く。。。


#また乾杯しよう

歩く好奇心。ビジネス、起業、キャリアのコンサルタントが綴る雑感と臍曲がり視点の異論。