「ぼのぼの」いがらしみきお
漫画の紹介。
本作は4コマ、のように見せかけておいてそうじゃない構成。
単純に4コマのコマ割りになってはいるが、その4コマ一本で起承転結して話が終わることはない。
登場人物は森の動物たち。
メインキャストは3人(匹)で、主人公のラッコ”ぼのぼの”と小さいがなかなか香ばしい性格をしているシマリスくん、そして乱暴者のアライグマくん。
彼らが森の動物たちと交流したり、時には森の仲間たちが主人公になったりしてストーリーが進んでいく。
こう書くと、子供向けの非常にほのぼのとした物語かと勘違いされそうだが全然そんなことはない。
哲学書だと俺は思っている。
動物たちなので、仕事とか部活とか生きる目標とか、人生のいろどりとなるようなことは出てこない。
彼らの中にあるのは、食べることと仲間と交流すること、そして暮らしていくことのみ。
その中で感じたことが、笑いをちりばめられながら描かれている。
人生のいろどりが無いぶん、本質を突き付けてくるのだ。
色々なエピソードがあるので、印象に残ったシーンを紹介しよう。
ラッコのぼのぼのにはすごく慕っている人がいる。
スナドリネコというおじさん。
いつもポーカーフェイスでぼのぼのの子供らしい疑問に、すこし大人な回答をして導いてくれる、ムーミンで言うとスナフキンのような人。
喧嘩も強くて、ヒグマと闘うこともある。
また、ぼのぼのは架空の恐怖をよく空想する。
それは”しまっちゃうおじさん”だ。
もし悪いことをしたら、ここで誰かを手伝わなかったら、、、”しまっちゃうおじさん”に誰も知らないところにしまわれちゃうんだーと妄想が爆発して泣き出す。
この”しまっちゃうおじさん”は死のメタファーなのだろう。
で、このキャラクターがどこかスナドリネコに似ているのだ。
尊敬する存在も恐怖の存在も似ている、どちらも自分に手の届かない超越的な存在(スナドリネコもたまにふらっとどっかいって、いつも会えるわけではない)で、違いは与えてくれるものが良いものか悪いものかの違い。
つまり神と悪魔の関係。
砂漠に住んでいるプレーリードッグちゃん、シマリスくんの友達でとてもおっとりしている子。
すごいゆっくりしている為、外敵に襲われる可能性が高い。
その為、シマリスくんが常に遊びに”行く”関係。
そんなプレーリードッグちゃんが、砂漠にきれいな花が咲いたのを知らせるためにシマリスの家をたずねるのだ。
その事実を知った時にぼのぼのは、ゆっくり何かをするということはずっとその思いを持ち続けていることだと気づき、感動する。
その他にも、みんなで定番の遊びを作ろうとしたり、まるでスタンドバイミーのような旅をしたり、といったエピソードも面白い。
昭和の頑固おやじみたいなアライグマくんのお父さんや、グズリくんのお父さんなど、大人たちのキャラもいい。
気づきを与えてくれるエピソードがたくさん。
たとえば、子供たちが趣味ってなんだろうという疑問を持つのだが、たどり着いた結末が秀逸。
「大人はかっこつけだから遊ぶとか言わないんだ、趣味っていうのは言い方を変えた”遊び”のことだ」だって。
そうなんだよね。
おもしろいことがいっぱいあって、書ききれない。
ひとつ注意は、最初の5巻ぐらいまではすごいスローな展開で退屈してしまうかもしれない。
でもそれ以降は面白くてしょうがない。
傑作です。
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