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なんの役にも立たない良いもの:哲学と芸術の価値について

1 芸術の価値

2010年のアメリカ哲学会東部例会で、会長のスーザン・ウルフ[Susan Wolf]は哲学を芸術になぞらえる講演をした。「Good-for-nothings」と題したその講演で、ウルフは「なんの役にも立たない良いもの」があることを訴えている。アブストラクトはこうだ。

多くの学術論文や芸術作品は、仮に作られなかったとしても、誰かが損をするようなものではない。しかし、そういった作品のなかには、それにもかかわらず良いものがあるという判断に抗うことは難しい。これらの作品が作られたことをありがたく思い、称え、賞賛し、保存するために労を惜しまないことに、なにも間違いはない。それらを生み出した著者や芸術家には、誇りを覚えるだけの理由がある。このことは、あるものが良いものであるためには、すなわち、注目や肯定的な関心に値するものであるためには、誰かやなにかにとって良い[good for someone or something]ものでなければならない、その福祉を高めるものでなければならないという考えを、疑問に付すものである。

17世紀のオランダ黄金時代には、レンブラントを筆頭として、才能あふれる画家たちがたくさんいた。しかし、その時代に作られた傑作たちが過去ないし現在において、人間の福祉にとって不可欠な貢献をしているとは言い難い。レンブラントは生涯を通して何百点もの絵画を制作したが、仮にそのうち数個や数十個が作られなかったとして、誰かが本当に困るわけではない。彼の描いた別の絵画を見れば済む話だ。

ヘラルト・ドウ『水腫の女』1663

同時代のオランダの画家にヘラルト・ドウがいる。レンブラントに学んだ画家で、素晴らしい絵をたくさん描いているが、ウルフはドウに関して次のように問う。仮にドウが画家のキャリアを選ばず、例えば化学者になっていたとして、誰かなにか損をするのか

ドウの絵画の潜在的な鑑賞者たちが損をする、と考えるのはもっともらしくない。彼らは別の画家の別の絵画を鑑賞し、それから価値ある経験(快楽や洞察)を受け取ることができる。ドウの全作品が丸ごと存在しなかったとしても、鑑賞者たちに実質的な損失はない。

ドウ自身が損をする、と考えるのももっともらしくない。たしかに、ドウは画家として成功することで、自己実現を果たしている(つまり、アリストテレス的なエウダイモニアに至っている)のだろう。しかし、彼は化学者としても自己実現を果たせたかもしれないのだ。画家のキャリアを選ばないことが、ドウ自身にとって実質的な損失であるとは言えない。

しかし、ドウの絵画たちは良い絵画であり、賞賛に値するものなのだ。それらが失われた世界は、たとえ誰にも実質的な損失を及ぼさないのだとしても、かなり残念な世界である。なんといっても、それは、良い絵画がより少ない世界なのだ。たとえ、その絵画たちが誰のなんの役にも立たないのだとしても。

このことは、ドウの絵画が「良いものである」という事実と、その有用性の間に、構成的な結びつきがないことを示している。つまり、ドウの絵画は、誰かのなにかしらの役に立つ、その人の福祉に寄与するという限りにおいて良いものなのではない。それらは、ベネフィットから独立に良い、ただ良いのだ。

もちろん、ドウの絵画がいかなる役にも立っていないというわけではない。現にそれらは役に立っている。ルーブル美術館で『水腫の女』を鑑賞する人々はそこから価値ある美的経験を得られるだろうし、画家志望の者はドウのスタイルを学んだり模写することで自身のスキルを高められる。ドウの絵画は、ふつうの意味において多くの人々の福利に寄与している。

ウルフによれば、しかし、ドウの絵画たちは「役に立つからこそ良いもの」に尽きるわけではない。過去や現在の人々に与えているかなるベネフィットからも独立に、それらはまずもって良いものである。むしろ、良いものだからこそ役に立つのであって、その逆ではない。価値があるから有用なのであって、有用だから価値があるのではない(少なくとも、それだけではない)のだ。

良い芸術作品は、良い帰結のための道具ではない。実際、私たちは芸術作品を肯定的に評価するとき、それが与える経験やもたらす事態を根拠として取り上げるわけではない。私たちが述べるのが次のようなことだ。

小説の構造の複雑さ、散文の質の高さ、人物造形の深さと繊細さ、市民社会についての洞察、これらすべてが、『ミドルマーチ』が〔『ダ・ヴィンチ・コード』よりも〕優れた小説である理由を説明するのに役立つ。

Wolf (2010: 55)

しかじかの特徴は、ジョージ・エリオット『ミドルマーチ』を良い小説にしている。そこには芸術的に良い特徴があるからこそ、『ミドルマーチ』はいろんな役に立つ(例えば私たちの知的・知覚的を高める)。私たちを利するからこそ良いのではない。良いからこそ、私たちを利するのだ。『ミドルマーチ』は、good for usに先立って、excellentなのである。

2 哲学の価値

ウルフによれば、哲学論文も同様である。あちこちのジャーナルで次から次へと発表される論文たちが、どれも人間の福祉にとって不可欠なわけではない。多くは、決して書かれなかったとしても、誰かが実質的な損失を被るようなものではない。

ウルフが紹介するエピソードによれば、W・V・O・クワインはある招待講演で、聴衆を退屈させることのない、独創的で挑発的な論文を準備しなければとかなり苦心していた。当日ですら、聴衆をがっかりさせるのではないかと心配を表明しつつ発表したのが「経験主義のふたつのドグマ」である。改めて紹介するまでもなく、これは20世紀において最も重要な哲学論文のひとつである。

ウルフがクワインに共感するのは次のポイントだ。すなわち、自分が生み出すどんな論文よりも、人々はもっとずっと有意義なものを読んだり聞いたりするべきなのではないか。自分にとっての哲学的スターたちが書いたのものでなく、自分の書いたものを読んでもらうベネフィットはどこにあるのか。

書かれなかったとしても誰かなにか困るわけではない、という事実は書き手を絶望させるかもしれない。それでも、役に立つ/立たないという評価軸とは別に、良い論文は良いのである。私たちにはその存在をありがたがり、その損失を残念がる正当な理由がある。私たちにとって、それがなんの役に立つのかとは独立に。

ウルフも報告しているが、道具的なベネフィットを求めて大学に入る学生は少なくない。彼らは待遇のよい仕事につきたいのであり、スキルを高めたいのであり、マシな社会的生活を送りたいのであり、そのために学ぶのだ。その態度になにか落ち度があるわけではないにせよ、それが哲学を学ぶことの全てではないとウルフは主張する。

これは、哲学を学んだり芸術作品に触れることはそれ自体として楽しい、という話でもない。私にとっての楽しさは、私にとってのベネフィットである。「それ自体の楽しみ」に着目することは、福祉への貢献という観点から脱していない。

大学は、もっと抽象的な仕方で良い経験をする場所である。全てではないにせよ、そこで出会うものはまずもって良いものであり、あなたがする経験は「良いものの経験」なのだ。良いものをより多く経験する人生は、そうでない人生よりも生きるに値した人生である。たとえ、「良いものの経験」が、具体的な有用性として理解できないにせよ。

まとめると、世界にはなんの役にも立たない良いものがある。より正確に言えば、「なんの役にも立たない良いもの」は、実際にはいろんな役に立っており、それらの点で良いものだが、単に有用性に尽きるわけではない良さを持ったものである。この考えによって、ウルフは価値についての道具主義・福利主義を拒絶する。誰かのなにかの役に立つ/立たないという事実から独立に、ただ良いもの、賞賛に値したものが世界にはあるのだ。

3 感想

ウルフは、手を変え品を変え、有用性の観点からは捉えられない端的な良さがあることを訴えている。彼女の議論は、美的価値に関する今日の議論でも、経験主義に反対したものとしてよく引かれている。

とりわけ興味深いのは、ウルフが「なんの役にも立たない良いもの」の範例として芸術作品を取り上げている点だ。意識的しているのかどうかは定かではないが、芸術には内在的価値があるという見解は、美学における伝統的な見解、すなわち美の判断は関心と結びついていないという見解と共鳴している。美しいものは、良い。そして、その良さは美しいものの有用性からは独立している。

大学教育の意義に関する箇所なんかは、あれこれ考えさせるところがあるだろう。コスパやタイパを重視する風潮は、現代日本に限られたものでもないらしい。私たちは多くの場面で、「これをやるのはあれのため」「あれをやるのはそれのため」といった、目的論的な世界観にとらわれている。すきあらば役に立つものを最大化し、役に立たないものを切り捨てようとする。ウルフの議論は、そんな生き方に待ったをかけている。良いものは、必ずしも有用性ゆえに良いのではない。世界には、なんの役にも立たない良いものがある。

私自身、ウルフの議論に十分説得されたわけではない。「なんの役にも立たない良いもの」があるという見解には少なからず理想主義的なところがあり、また、論証によって擁護しているというよりも単に言い張っているような印象をうける箇所も少なくない。それでも、それはひとつの問題提起として、繰り返し想起するに値する議論である。つまり、良いものとはただ役に立つものなのか、私たちは人生においてただベネフィットを気にかけているのか(気にかけるべきなのか)、と。

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