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最近の記事

やりたい放題の傑作ボディ・ホラー|『The Substance』(2024)

せっかく海外にいて、話題の洋画を一足先に観れるので、たまには映画のレビューでも書こうかな、という企画。ふだんからFilmarksに書いているが、もうちょっと長めのものを。ネタバレあります。 『The Substance』は、『REVENGE リベンジ』などで知られるフランスの映画監督コラリー・ファルジャの新作で、今年の5月にカンヌでプレミア上映されて以後、各所で2024年最高の一本と称えられている作品だ。パルムドールこそショーン・ベイカー『Anora』に譲ったものの、昨年『

    • 海外学振@カナダ|ビザ申請編

      まもなく日本学術振興会の海外特別研究員としてカナダに出発する予定なのですが、6月なかばにやったビザ(ワークパーミット)申請についてメモしておきます。自分は代行業者を通さず自力で申請したので、「これちゃんと通るのか……?」とかなり心配でした。同じ状況に陥った方の助けになれば幸いです。 海外学振は日本学術振興会から給料をもらって2年間海外の研究機関に滞在できる制度ですが、ビザ申請は手伝ってくれません。こちとら長期の海外滞在は初めてなので、ビザというものについて調べるところからス

      • 「映画を倍速で見ることのなにがわるいのか」ROUND3

        倍速鑑賞について、私が当初考えていたことはこうだ。 作者の意図するところではないやり方で鑑賞することは、ふつうは、美的に落ち度があり、道徳的に落ち度がある。つまり、ちゃんと見れておらず、失礼である。〈見るからにはちゃんと見るべし〉も〈失礼なことはするな〉ももっともらしい規範なので、ふつう、倍速で見ることは美的・道徳的な非難に値する。ふつう、映画を倍速で見ることはわるいのだ。 しかし、「ふつう」と書いたように、これらの落ち度を打ち消すような要因がある。鑑賞が回復可能な場合、

        • 見たこともない絵画を「美しい」と言ってなにがまずいのか

          タイトルは反語。以下では、まずくない、という話をする。 1 直面原理について私たちは、絵画や音楽や映画や服や風景などについて、美的判断を下している。つまりは、「Xは美しい」「Yは醜い」といったことを考えたり言ったりしている。美的な観点からアイテムを評価しているのだ。あったかい服でもダサければ選ばないし、美しい風景なら苦労してでも見に行くという風に、美的判断は生活における選択を左右している。 美的判断というのは美学という学問のコアを成す主題(と言ってもよいだろう)だが、これ

          私の『百年の孤独』

          はじめてガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』を読んだのは2014年の春で、私は学部の1年生だった。駒場に行きそびれて日吉に来たサブカル男子の例にもれず、当時の私はハイリーにセンシティブで、まったくここには阿呆しかいないのかと気も狂わんばかりであった。あれほど鬱屈とした気持ちを抱えていなければ、メディアにこもってあれほど分厚い小説を読むことにもならなかっただろう。結果的にはラッキーだったわけだ。 スケールの大きいものに触れて個人サイズの悩みがかき消えることをAwe体験

          私の『百年の孤独』

          ディッキーの「アートワールド」について

          いわゆる芸術の制度説(制度的定義)の提唱者として挙げられがちなアーサー・C・ダントーとジョージ・ディッキーのうち、ダントーのほうは明確に誤読で、本人が公式に否定している。「制度」をどう理解するにせよ、ダントーは芸術制度の存在を持ち出して、芸術作品であるという地位を説明したわけではない。ダントーの立場については最近高田さんが改めてまとめてくださったので、そちらを参照。 そういえばディッキーの制度説について読み漁っていた時期があり、分かったことのいくつかは日記にポツポツ書いてい

          ディッキーの「アートワールド」について

          なんの役にも立たない良いもの:哲学と芸術の価値について

          1 芸術の価値2010年のアメリカ哲学会東部例会で、会長のスーザン・ウルフ[Susan Wolf]は哲学を芸術になぞらえる講演をした。「Good-for-nothings」と題したその講演で、ウルフは「なんの役にも立たない良いもの」があることを訴えている。アブストラクトはこうだ。 17世紀のオランダ黄金時代には、レンブラントを筆頭として、才能あふれる画家たちがたくさんいた。しかし、その時代に作られた傑作たちが過去ないし現在において、人間の福祉にとって不可欠な貢献をしていると

          なんの役にも立たない良いもの:哲学と芸術の価値について

          「ダサい」の美学:ダサい服はダサい人を前提とする?

          以下は、「ダサいという美的用語についてなんか書く」という、自分に課した大喜利への回答である。 「美しい」や「醜い」と同様に、「ダサい」はさまざまな用法で使われうる。そのなかには、記述的要素がなく純粋に評価的な用法や、とくに美的でない用法など、放っておいてかまわない用法がたくさんある。放っておきたくないのは、次のような用例に現れる「ダサい」である。 ここでは、記述的な内容をもった美的性質としてのダサさが、個別のアイテムへと帰属されている。おそらく、これがダサいの最もベーシッ

          「ダサい」の美学:ダサい服はダサい人を前提とする?

          芸術作品を批評する芸術作品

          それ自体が芸術作品でありつつ、芸術作品についての批評であることは可能なのか。可能である、というのが本稿の主張だ。 前に書いた通り、私がもっともらしいと思う批評の定義とは、鑑賞のガイドである。特定の芸術作品についての理解、知覚、情動を導き、強化する機能を担うアイテムはなんであれ芸術批評と呼ばれるのに十分であり、そのような機能を担うことは芸術批評と呼ばれるのに必要である。(必要条件のほうは今回のテーマとは関係ないが。) 鑑賞ガイドとしての批評、という考えを採用した場合、私たち

          芸術作品を批評する芸術作品

          「批評」を定義するという課題

          批評の定義について。「定義」というのは、やや問題含みなところがあるので、私は「特徴づけ」という表現の方をより好んでいるが、まぁやること同じだ。すなわち、批評という活動(ないしその産物)に特徴的で、その他の活動(ないしアイテム)から批評を区別する要素とはなんなのか、に答えるのだ。芸術に関連した言説はいろいろある(広告、美術史、芸術哲学、キャプションなど)が、そのうちどれがなぜ批評に該当するのか。単純化のために、これらの課題については以下ではとにかく「批評の定義」と言うことにしよ

          「批評」を定義するという課題

          シンディ・シャーマンと自己を埋没する芸術

          7月15日、哲学若手研究者フォーラムにて村山さん(@Aizilo)、岡田さん(@summerfuyo)、伊藤さん(@eudaimon_richo)によるWS「美学と自己」を聞いてきた。村山さんは自己表現と自己理解、岡田さんはフィクションを通した作者の人柄理解、伊藤さんは美的な個性と逸脱の自由についてお話されており、どれもたいへん面白かった。 岡田さんと伊藤さんのアーギュメントにはそれぞれコメントをしたのだが、村山さんのご発表についてはちょっと咀嚼に時間がかかった。というのも

          シンディ・シャーマンと自己を埋没する芸術

          芸術的価値についてどのような立場があるのか

          芸術の価値や芸術的価値について調べているが、Internet Encyclopedia of Philosophyのエントリーに立場一覧があって面白かったので、簡単な補足を入れつつ&ちょいちょい修正しつつ一通り訳してみた。元エントリーを書いているのはリヴァプール大学のHarry Drummond。 まず大前提として、「芸術の価値[value of art]」と「芸術的価値[artistic value]」はふつう区別される。前者は、ものとしての芸術作品が持ちうる任意のタイプ

          芸術的価値についてどのような立場があるのか

          2022年に聴いてたK-POPいろいろ

          すっかりK-POPの話をしなくなったのだが、実は最近また熱心に聴くようになってきた。振り返ってみれば2022年はK-POP(のうち、私の聞いているヨジャドル界隈)にとって、直近3年で見て最も豊作な年だったと言っても過言ではないだろう。 流れ変わったなと思わせたのは、春先に(G)I-DLEが出した「Tomboy」だ。2021年のいざこざで、誰もが認めるエース・スジンが脱退したときにはもう正直おしまいだと思っていた。のだが、こんなに自信満々でやりたい放題なカムバを誰が予想しただ

          2022年に聴いてたK-POPいろいろ

          ジャンル研究の方法論②

          その①はこちら。 相変わらず、「{任意のある芸術ジャンル}とはなにか」式の研究の正解は分からないが、ここ一年でジャンル論についてはいろいろと読み、論文も書いているところなので、専門トピックのひとつに「ジャンル」を数えてもよい頃だろう。同じく、ジャンル概念に関心を向けているローン・スター大学のEvan Maloneによる論文「ジャンル爆発の問題[The Problem of Genre Explosion]」を読んできたのでご紹介。 ホラーとはなにか、SFとはなにか、といっ

          ジャンル研究の方法論②

          美しさを見てとるために訓練が必要であるとはどういうことか

          美的性質や美的知覚について、最近出版されたマドレーヌ・ランサム[Madeleine Ransom]の論文がとてもよかったのでまとめておく。 1 前提:美的知覚美的性質[aesthetic properties]とは、「美しい」「優美だ」「けばけばしい」「退屈だ」「バランスが取れている」など、われわれが芸術作品や自然の風景について語るときによく言及する性質のことだ。こういう性質を見てとったり聞いてとることを美的知覚[aesthetic perception]と呼び、「このモネ

          美しさを見てとるために訓練が必要であるとはどういうことか

          美的に良いものはなにゆえ良いのか

          美的価値に関する快楽主義芸術作品なり風景が、美しかったり優美だったりしてとても感じがよいときに、それらは「美的価値が高い」と言う。このような美的価値の本性に関してはさまざまに議論があるが、その中心には「快楽主義」という立場がある。 快楽主義において、美しい風景や優美な絵画が「高い美的価値を持つ」と言われているときに言われることとは、それらが「大きな美的快楽を与える能力を持っている」ということである。より大きな快楽を与えるものほど、より大きな価値を持ち、ちょっとした快楽しか与

          美的に良いものはなにゆえ良いのか