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鈍感力が求められる世界で、感受性を磨く

あるライターさんのnoteで「パッと見たときの視覚情報が文章は大事」と言っている方がいた。例えば、

宿題、提出出来ました。

パッと見たとき、提出の出と「出来ました」の出が重なって見える。
内容的には何ら問題ないのだが、広く読まれる文章というのを意識すると「提出が出来ました」と「が」を挟み込んだ方がいいらしい。

同じ理由で「銀行行ってきます」という文章も「銀行に行ってきます」と、「に」を挟んだ方がスムーズに伝わりやすいとのこと。

・・こういうことを書くと「なんだ、小澤仁美ってのはネチネチした神経質noterだな」「誰もそんなこと気にしてないよ」と思われる読者様もいるかもしれない。

調子に乗ってもっと細かいことを挙げてみよう。
メールのやり取りで頻発する「よろしくお願いいたします」について。

自分は柔らかい印象を相手に与えたいので「いたします」はひらがな派だ。
でも人によっては「よろしくお願い致します」と漢字派の人もいる。もし相手が漢字派だったら漢字派に合わせるし、ひらがな派だったらそのまま行ったりしている。

あとまだ会ったことのない人とメールするとき。
最初は〇〇さまと様付けしていると、たいてい相手もこちらを小澤さまとか呼んだりしてるが、だんだんメールが進むにつれ相手が砕けてきて、自分のことを仁美さんと呼んできたらすかさずこちらも〇〇さん、と下の名前で返したりする。
こういう細かい心理戦を、私はかなりしている。

一緒にお食事をした翌日の御礼メールだって「昨日はありがとうございました!」とただ書くより「ささみの紫蘇梅巻きが最高でしたね」と、自分とその人しか知らない情報を入れるようにしている。
だってその方が「私はあなたと過ごした時間を大切に振り返ってますよ」と、アピールできるじゃありませんか。

・・文章がうまい人というのは、こうした細かいことが非常に気になる面倒くさい人間だったりする。
社会で生きていく上ではそうした細かさはあまり役に立たないことが多い。現代社会はどれだけ図太くいられるか、鈍感力がないとやっていけないことが多い。

「銀行行きました、は読みづらいな」「致します、は相手に合わせよ」。そんなことを考えて実際にやっている変人は、社会では「そんな、重箱の隅を突いたようなことをしなくても」と咎められることが多い。でもそのような人こそ、面白い文章を書いたりする。

逆に言えば「うわ~そんなこと考えてるの、神経質だね!俺なんか全然そんなこと気にしないけどねガハハ」という人の書くものは、あまり面白くないことが多い。

神経質というのは言い換えれば、情報をキャッチする力が高いということだ。例えるなら度の強いメガネをかけているような、広い範囲をミクロの視点で見れる人。そういう人はきっと生きにくいだろうけれど、間違いなく文才の持ち主でもある。

自分の話で恐縮だが、鈍感力を強く必要とする仕事を辞めて先日、母に「ひーちゃん、最近怒らなくなったね」と言われた。

誰だって向き不向きはある。
「置かれた場所で咲きなさい」とはよく言われるが、得意なこと・どうしてもやってしまうことは評価される世界に移ってした方が、自分をよりよく生きる助けになると思ったりする。







5月28日の入門編、29日の講座の申し込みは本日締切です。
次回開催日は未定です。

美味しいコロッケレシピを後世に残したくて、無料特別大公開中。

インタビューを受けました。小澤仁美ってどんな人?を知りたい方はぜひ。


今週もお疲れ様でした。
土日仕事の方は適当にしっかり、土日休みの方はゆっくりお休みできますように。私は今週末、文章講座を受けに行ってきます。
みなさまどうぞ、ご安全に。

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