審査員が喜ぶnoteを書けば、本当に選ばれるのか
noteでは常時、どこかの企業とタイアップした「投稿企画」なるものが催されている。noteは赤字が多く、内情は大変と聞く。クリエイターの有料noteの利益には限界があるだろうし、個人より企業の力を借りた方が売上は軌道に乗るだろう。
一度、過去にこうしたタイアップ記事で受賞をした人が、受賞のコツをnoteで語っていた。その人によると「とにかく企画に協賛してる企業の中の人が喜ぶようなものを書くこと」がコツらしい。その企業のWEBサイトにある、企業理念やビジョンなどを踏まえて書くことが大事、とのこと。
まあ要するに、スポンサーが喜ぶようなことを書くことが大事らしい。自分の書きたいことを書きたいように書いたものでは、コンクール企画では通りにくいみたいだ。
以前、自分は紙の本を出版してみたいという夢があった。出版スクールに40万払って通い、30社に企画書を送ったものの、どこからも相手にはされなかった。
今ならわかるが、自分は出版社に「私の本なら売れます」アピールが足りなかったのだろうと思う。
本屋に行けば、店頭の目立つ平積み台には「成功する人の習慣」やら「部下を怒れない人のための関わり方」とか「元気で120歳まで生きる」とか、人の欲望を叶えてくれそうな、売れそうなような作品が置かれている。
一方で店の奥の方、閑散として人気のない本棚には、売れ筋と関係ない、良書と呼ばれる本が多数眠っている。こうした本はどこかの大学教授とか研究者といった、肩書きのある人が書いていることが多い。売れ行きは必ずしも良くないかもしれないが、需要は確かにある。自分は肩書きがないのだから、もっと「この本を出せば売れる」エビデンスを揃えてアピールせねばならなかったのだ。
話をnoteの方に戻すと、noteの応募企画で集まった作品を審査するのは、その企業の中の人たちだ。彼ら彼女らとて暇ではない。本業の隙間時間に仕方なく読んだnoteの中から「この作品なら、会社の顔として賞を与えても、上司に文句を言われなさそうだ」という作品を選んでいる。
だから賞を狙うのなら、その賞を与える企業への入念なリサーチが重要になってくる。
・・とここまで書いて、なんだか書くこととビジネス的思考って、とことん相性が悪いような気がしてきた。
本来は書きたいことを自由に書くのが文章の本質なのに、企業が喜びそうなことを書かないといけないというのは、先生が好きそうなことを作文に書く小学生と同じである。
noteはビジネスというより文芸の色の強い場だ。書きたいことを自由に書ける場で、わざわざ審査員の要求に沿ったものを提出するコンクールとは本来相性が悪い。
ただたまに膨大な作品群の中で、一際強烈な個性を放っている作品が賞に選ばれることもあるからおもしろい。
自分のやりたいことと、世界が求めているもの。この2つが交差しているところを天職と呼んだりする。
note投稿企画でいえば、企業の人が喜ぶ内容と自分が書きたい・伝えたい熱のあるものが神がかって交差した作品が、広く愛されるのかもなどと思ったりした。
今日もお疲れ様でした。
書くのが楽しくなる入門ワークショップの最終回、残2席です。
書くよろこびを思い出す。
10月5日(土)から始まる文章講座、あとお一人大丈夫です。9月28日〆切。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
明日も適当にしっかりで参りましょう。