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内面も外見も美しくする、それは自分へのコミットメント

去年の春に大き目の公園へお花見に行ったところ、側にあるカフェが店の前で出店をしていた。まだ肌寒い季節だったこともあり「熱いチャイが飲みたいな」とその出店に並んだ。

出店には大学生くらいの若い女の子がスタッフとして立っていた。髪はしっかり巻いたポニーテール、ネイルもばっちり、そしてもちろん顔はばっちりメイク。バサバサまつ毛に真っ白のファンデーションを塗りたくって、なんというか隙がない。完璧な外見の美しさであった。

私の番になったのでチャイとマフィンをお願いしたのだが、彼女の顔が死んでいることに気づいた。本当になんの生気もない顔と声で「・・1,600円でえす」とだけぼそっと言ってくる。外見が完璧、でも表情が死んでいるという矛盾で混乱しながらお会計をしてチャイとマフィンを受け取った。
家についてレシートを見たら、値段を700円多く間違えられていたことに気づいた。

私の行っていたコーチングスクールでは、女性ファカルティでしっかりお化粧をしている人をあまり知らない。もちろん身なりはしっかりしているが、皆さん豊かな表情や声をされていて、お化粧をしなくても美しいなあと感じる。

かつて作家・樋口一葉は女学生が集う歌会に参加したとき、一番みすぼらしい着物だったにも関わらず和歌で一等を取ったというエピソードがある。やはり外面よりも内面の美しさが大事である。

・・と長年思っていたのだが、以前見た劇団四季の舞台で、ある女優さんが来ていたドレスがちょっとしぼんでいた時があった。歌も踊りも演技も完璧なのに、あのドレスだけがちょっと残念だった。

また先日受けたあるセッションで、お会いした女性の方がきれいにお化粧をしているのを見て「あらステキ♪」と私まで気分が明るくなったことがあった。セッションの中身も、もちろんよかった。でももともと内面が美しい人が外見もきれいにしていることに、なんだか心が惹かれたのだ。

「人間は内面が大事」「いやいや、人は第一印象が全て」などなど様々な説があるが、結局はバランスなんだよなと思う。

私は宝塚の娘役ファンであるが、彼女たちのメイクや豪華な衣装・アクセサリーが美しく見えるのは日々厳しいお稽古で、どうしたら自分は美しく見えるのか所作を追及しているからだと信じている。
ベースである芸事への向き合い方とか周りへの配慮が出来ていないと、不思議と美しい飾りだけが浮いて見える。

ちなみに文章教室をやるときは、ふだんズボラな自分も身ぎれいにするようにしている。それは「これから来ていただく方へいい時間を過ごしてもらう」と、自分へのコミットメントでもある。
男性なら大事な仕事の前にヒゲを念入りにそったり、お気に入りのネクタイをするような感じだろうか。

内面の美ばかりを追求してきた自分だけど、今年は眼鏡をコンタクトにしたり、ちょっとお化粧したりお気に入りのワンピースを着たり、もう少しおしゃれを楽しんでもいいかな、なんて思っている。


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