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読みたくないなら、読まなくていい

 春の連続投稿チャレンジ、4記事目。

 前年読書冊数は400冊。

 そんなわたしが、習慣にしている「読む」ことについて。

 「読むという習慣」について書こうと思う。

 読書の習慣法、というような記事が世の中にはいっぱいある。

 ノウハウとして書くこともできる。

 心理学的には。

 やる気は出すものじゃなくて行動から出てくるもの。
 なので、とりあえず本を用意して毎日十分からでも開け、というような。

 でも、それってありふれているし、面白くないし。

 何より、なんというか本心じゃない。

 だから、アンチテーゼ、逆張りをしたい気分になった。

 「読みたくないなら、読まなくていい」

 そういう話をしようと思う。



そもそも、いつから読むようになったの?

 覚えてない。

 というか、読めるようになる前から、物語を読んでいた、という方が正しい。

 共働きの母は、どんなに疲れていても毎夜、読み聞かせをしてくれた。

 保育園でも、読み聞かせの時間があった。

 そこが、まず原点。

 自由で、あまり教育をするような保育園ではなかったけど、就学前から文字を読めるようになっていたらしい。

 それから、自由時間は全部、読書に注ぎ込んできた。

 まぁ、自分なりに友達と遊ぶということもあった。

 人よりは少ないだろうけど。

 ゲームを買ってもらえない家庭だったのも大きいと思う。

 まぁ、ゲームをするようになっても、結局、一日一冊というペースは守られ続けてきた。

 「読む習慣」という概念ができるより前に、読んできた。

 そして、読み続けている。

  

 

「なぜ」読んでいるのか?

 なぜ、というのはちょっと複雑になる。

 でも、ちゃんと答えはある。

 物語を読む。

 時には、現実逃避でもあるけど、そうやって心を守って。

 人生に大切なことを学ぶ。

 悩みを解決してくれる情報を探す。

 そうして、人生をより良いものにしようと足掻いて。

 生きるため、生きていくために、読んでいる。

 これが、理由。

 これでは、言葉足らずかもしれない。。

 でも、ただ人生の隣にあり続けて欲しいと願っている。

 一種の、信仰に近いかもしれない。

 読書が、人生を豊かにしてくれると信じている。



読みたくないなら、読まなくていい。

 わたしは、スポーツが嫌いだ。

 誰かと、言葉以外で通じて、何かをする。

 これが、もう、苦手だ。

 言葉でさえ、すれ違っているのに。

 というか、ルールが理解できない。

 ルールを設定するのはわかる。
 でも、「どうしてそんなルールがあるのか?」となってしまう。

 これが、ゲームなら、まだ「システムを作るためにそうなっている」とか「ゲームバランスの調整」とか、理由が簡単にわかる。

 でも、運動が嫌いというわけではない。

 歩いてどこまでもいく、みたいなことをたまーにやるとすごく浄化される。

 さて、なんの話だと思われるかもしれない。

 つまり、「嫌いなことは、しなくていい」ということ。

 こどもの頃は、いろんなことに挑戦した方がいい。

 好き嫌い、得手不得手は、そもそもやってみないことにはわからないことだから。

 でも、大人になったら、自分の行動は選べる。

 読書、すなわち「本で読む」ということをしなくても、代替物は色々とある。

 物語を楽しみたければ、ゲームや映画、アニメ、漫画……。

 勉強をしたければ、YouTube、動画教材、テレビやラジオ……。

 だから、「読む」ことが苦痛なら、しなくていい。

 いろんな方がいると思う。

 文字を追うとどうしても眠くなる。

 というか、そもそも、文章を読むのがとても苦手。

 本というものがどうも堅苦しくて嫌い。

 いろんな、理由があると思う。

 なら、読まなくていい。

 読書というのは高尚とかそういうイメージがあって、それを自分に取り込みたいという願望が世の中にあると思う。

 でも、そういうのも一種の偏見だ。

 心の中くらいはそういうのから自由になって、「本当に読みたいのか?」と問うてみてほしい。

 その答えが「読みたくない」なら。

 「映画の方がいい」「YouTube動画で勉強する」なら。

 物心つく前から読み続けてきたわたしだから、だからこそ言いたい。

 好きじゃないなら、嫌いなら。

 無理してまで、読まなくていい。

 辛い思いをしてまで、読まなくていい。

 読みたくないなら、読まなくていい。

 


#習慣にしていること

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