『電源防衛戦争 電力をめぐる戦後史』にみる、米に翻弄される戦後日本
今回も単巻5冊からの再録です。
かなりショッキングで感情的になりすぎたので、整形し直そうと思ったんですが……。
なかなか、うまくいかず。
読了後の感情を大切にして、あまり手を入れていません。
支離滅裂な部分も多分に残した感想となっていますが、
何かを感じ取ってくださったら、嬉しいです。
戦後、GHQに翻弄される日本
このタイトルは、戦後の電気事業史を通じて、政治事情や利権争いの歴史を描く。
そこから、現在社会の闇が作られてきた経緯の一角が垣間見える。
電気事業史だけど、生活や経済の重要事項だからこそ、当時の情勢にもろ影響を受けいてる。
敗戦後、アメリカ中心のGHQ占領下にあった日本。
そして始まった冷戦に巻き込まれていく日本。
東日本大震災で問題が明るみに出た原発の経緯もわかる。
政治はあまり知らないので、そこら辺はちょっと理解が追いついてない部分もある。
それくらい濃い。
全てにおいて、現場で頑張って努力をし、真剣に問題を解決しようとする人たちが蔑ろにされていて、読んでいてかなり胸が痛む。
まず、戦前。
個人や個人企業が作った発電所は国営の日発に徴収された。
総力戦において発電所が国営会社に徴収される、という道理はわかる。
でも、そんなものも徴収されていたのか、知らなかったという驚きの方が大きかった。
そして、戦後すぐ。
戦後、電力再編では政治家(=利権を持っている事業家)の、自分たちの利益しか考えない政治争いに発展する。
もちろん、徴収された人々への補償はされなかった。
この時点でかなりの怒りが湧き起こる。
摘まれる、市民運動の兆し
そして、水資源に頼った電源構成だった日本は、雨不足から電力不足に陥る。
社会では電力不足に対して、隣組を作って節電に対応しようという市民運動が始まろうとする。
が、「隣組」と名がついてしまったのが仇となって、GHQによって抑制されてしまう。
徹底的に、その手のものは駆逐されてしまったらしい。
そりゃ、現代において地球温暖化防止や水資源保護のために「家庭でできることをしましょう」と言っても虚しく響くわけだ。
市民が団結して何かをなす事自体は、圧倒的に善のはずなのに。
もちろん、それが暴走して戦争に発展したように見えても、それは、絶対に簡単には壊されちゃダメなものだったはずだ。
隣近所の人と協力する。隣人を愛せとは違うけど、根幹は同じじゃない?
宗教とか文化とか、そいうもの。
戦争に走った原因と言っても、国民性であることには変わりない。
戦後、GHQに市民運動の息吹をことごとく破壊されてしまった。
押し付け憲法だとか憤っている方もいるけど、こっちの方がひどく酷いことだと思う。
それで、思ってしまった。
五人組が連想させるような市民運動が徹底的に潰されてしまったのなら、日本は健全な市民運動を展開する力を失ってしまったのではないか?
戦後の市民運動といえば、学生運動とか色々とあると思う。
でも、いいイメージがない。内ゲバで、「だから左翼は……」と言われる原因になったんでしょ、とか。
近年の学生運動であれば、SEALDs。
でも、何らかの成果を上げたか、というと微妙。
一瞬の盛り上がりだけで、消えてしまった。
本当に改憲を考えるなら、法律や憲法の勉強会をして、代替案を考えていく活動をすればいいのに。
と、当時、同じ一学生であるわたしは思っていた。
でも、ラップとかデモとか、そういう表面的な活動しか見えなかった。
各公害への反対運動・補填なんかは、戦前からの問題だし、命や健康に直結するから、どう考えるかは難しいかも。
市民運動があろうがなかろうが、政府や社会が考えて然るべき問題だと思う。
そこに、市民運動だけに責任をおっ被せるのは違う、という気がする。
最近の深刻なトピックであれば、原発反対とか、沖縄基地問題とか。
ただ、政治的にも現実的にも可能な代替案でもって、社会をよりよくした、という成果は上がってないと感じる。
この時期のGHQの介入によって作られた流れで、市民の力が完全に骨抜きにされてしまった、というわけではないとは思う。
でも、少なからず、失ってしまったものはあったのではなかろうか。
MARの文化侵略と、レッドパージの政治策略
MARとかいう文化侵略組織!
新型コロナ流行後は検査にしか見えない英文字三つだけど、これが、もう本当に酷い!
わざわざ広島市長を招待し「原爆を落とされたのは日本の自業自得。アメリカに感謝している」と言わせる!
どういう看板を掲げていても、もう、酷いし許せない!
その一点だけで、もう信じられないでしょ!?
胸糞すぎる。
いつも組織の詳細とかいつもググって、最低Wikipediaで概要をおさえて書くんだけど……。
それも、できなかったくらい。
欧米社会が、口当たり耳当たりのいい言葉を並べて、文化侵略の一手とした組織ってこと。
もしかして、現代の「SDOs」とか「ダイバーシティ」とか耳障りのいい言葉にも、裏があるのかも……。
なんて、思っちゃいません?
陰謀論がすぎると言われそうだけど、「流行らせようとするからには、どこかが利権を持っていけるカラクリがあるんだ」くらいは認識しておいた方がいいと思う。
で。
言葉だけは知っていたんだけど、レッドパージの実情が描かれていて、初めて何があったのか知った。
これがもうね、怒りとか通り越して虚しさしかない。
冷戦を背景に、市民の中で高まる反米感情を抑えるため、赤と揶揄される共産主義が悪になっていく。
電気事業においては、「共産主義社会を実現しよう」というよりも、「労働組合で労働者の権利を守ろう」という活動。
勤務時間や給料、休日なんかを先進的な条件で勝ち取っていた。
電源(発電所)の破壊を目論んでいるという事実が作り上げられていく。
レッドパージってなんとなく一塊のカタカナ語としか捉えてなかったけど、社会から「赤(共産主義者)」を「排除する」ってこと。
つまり、会社をクビにし、社会から追放する。
今の暴力団排除とかと似たような感じだね。
ある思想の人をそれだけの理由で排除するっていうのが、もう、極悪。
しかも、捏造した罪で行われる。
というか、もう、平安時代の御代から人間がやってることって変わらないのね。
当時は「時の天皇(あるいは権力者)を呪い殺そうとした」という捏造で政敵を失脚させて、その昭和版がレッドパージ。
一般市民に向かっている時点でなおさらタチが悪いけど、歴史の一ページにならないだけで、実際にはそういうことは無数にあったんだろうな。
現代史に近いから、その非道の片鱗がまだ残っているってだけで。
このレッドパージの結果、真に業務改善を求めていた共産系以外の人も大量解雇に紛れこまされてしまう。
疑惑もあって、明らかに追放されないとおかしいような人が残って、出世していく。
ここに、今の、現場が蔑ろにされて、やれ非正規雇用で経費削減だなんだっていう日本の源流があるんだと思った。
労働者の権利を守る、より良い職場を作ろう、もっと消費者に寄り添った電力供給をしよう。
という人たちが、会社の上層にとって邪魔という理由で、「赤」のレッテルを貼られて、追放される。
生活のため、家族のため、会社に残るにはそれに迎合しなきゃならない。
一般市民の息苦しさや、自由がないやるせなさ、終戦で一度解放されたはずのそれが、またやってきてる。
確かに、空襲とか直接的な命の危機は無くなったかもしれない。
でも、レッドパージで失業したら、次の働き口はないどころか、社会追放。村八分でも葬式と火事は残るけど、資本主義社会で働き口がないっていうのはそもそも生きていけない。
朝鮮半島では戦争が起こっている、軍が解体され、戦争ができない憲法の日本は冷戦最前線基地としてアメリカに頼るしかない。
だから、仕方ない。
戦前の総力戦時代と何が違うんだろう。
その中でも、日本は
けれど、その歴史の中で、日本に利益がなかったわけじゃない。
レッドパージの実行役の一人は、共産対策をアラブに売り込んだ。
それによって、日本にオイルを引っ張っってきた。
こういうこともある。
何もかも、善悪とか好悪で割り切れるわけじゃない。
というか、欺いているという自覚を持って、利になることをしないといけないこともあるんだと思う。
それが、どう評価されるかは後世の結果次第。
後世の歴史家だって判断しきれないと思う。
でも、今の日本経済というのは、そういう悪どい手札を切った結果、ある。
ってことは自覚しなきゃならない。
他にも、アフリカでトヨタがシェアをとっているのは、アフリカ大陸でも先進国の南アフリカ共和国で、ちょっと道徳的にやばいことをしたからだったりする。
アパルトヘイト政策を批判して輸出を制限した国際社会に日本は迎合しながら、それでも現地の人たちを支援するという名目で「技術支援」をした、という流れがある。
日本企業が有利になるように。
そういう戦略は、表沙汰にされていないけど、山ほどあると思う。
そして、これからも強かにそういう切り札を切らないと、日本は魑魅魍魎の国際社会で生き残れない。
でも、今の大企業に就職する大学生っていうのは、まず安定を求めていて、こういう手は考えもつきそうにない。
すごく、憂慮する事態だと思う。
清濁合わせて、日本に有利な決断をする。
それができないと国際社会で生き残れないんだけど、民間にも官僚にもそういう人材が減ってきているんじゃないかと思ってる。
あんまり、主語がでかいことは言いたくないけど、日本はどうなるんだろうといつも不安になる。
そして、電子力発電所へ
そして、電気事業史を辿り、原発のページへ。
福竜丸事件が起こったのが、この時期。
広まる反米活動を反共に陥れて沈静化するための「原子力平和利用」の情報戦が行われた。
この時点では、原発は技術的に実現していない。
米側は宣伝するだけで、実現までは考慮していなかったという。
だけど、専門知識のない政治家中心に推し進められ、科学者の意見が蔑ろにされつつ、原発の造成が急がれてゆく。
「原爆が落とされた日本だからこそ、平和利用をしなければない」という御旗の下で。
リアルに真摯に考える科学者たちの意見が無視されていくような、現場や専門性の軽視って何故、起こるんだろう。
そして、運営コスト以外のリスク、事故や被曝については何も語られないまま、「国内の技術育成のため」と採算も度外視で押し進められていった。
もう、何も言えない。
でも、こういうのって世の中にいっぱいあるよね。
国民の幸福を考えて、その分野の最適解を選んでいたら、そうはなっていないでしょっていうの。
この本は、電気事業史を通じて、それが何故かを教えてくれている。
政治的な事情と利権が絡んで、真摯に努力している現場が逆らえない圧力となって、歪められていく。
やるせ無いことばかり。
でも、読んでよかった、知らないままでいなくてよかった、という歴史が詰まった一冊だった。
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