自己紹介、再び。一介の読書好き、人生に大きく関わったジャンルを語る。
読書好きの自己紹介は、好きな本の紹介。
だと思っています。
で、すでに結構語ってるんですよねぇ……。
noteの春キャンペーンに参加するべく、今回は……。
人生に大きく関わったジャンルを語ろうと思います。
ファンタジー読みすぎて、飽きる小学生。
『エルマーとりゅう』周回数不明。
『ゲド戦記』は、小学三年生にはちょっと難しかった。
『デルトラ・クエスト』はアニメも見た。今でもたまに読みかえす。
『ハリー・ポッター』読んで即三周する。
なんか同学年で流行ったので『ダレン・シャン』を読了してガチハマり。
『バーティミアス』には、泣いた。
ひたすら、ファンタジーばっかりを読んでいた。
ルパン原作とか、シャーロック・ホームズとかも読んだが、あんまり覚えていない。
あの頃を振り返ると、側にファンタジーがある。
今でも、ファンタジーは好き。
『ゲド戦記』は中高時代に読み直して、自分の読めてなかった部分に愕然としながら、それでも「歳を経てから読み直す楽しみ」を教えてもらった。
まぁ、えーと。
本を読むスピードが速いせいで、現行のシリーズを追いかけるのが、当時から苦手。
一日1.5冊ペースくらいなので、シリーズはだいたい一週間で読んで、次。
っていうリズムなんですよ。
一年刊行でもストーリー忘れてる。
だから、「全部出たら読むかー」ってなりがちで、そうなると何を読んでたかを忘れる。
だから、『ロックウッド除霊探偵局』も『トンネル』も『アルケミストシリーズ』も『ハーフ・バッド』も途中までしか読んでないんですよね……。
というわけで、今の「完結しているものを読む」というスタイルに落ち着いていたりする。
それで。
ひたすら。
ファンタジー、ファンタジー、ファンタジー。
で、だいたい展開が読めるようになってしまった。
ぶっちゃけ、飽きた。
何か他の本を読みたい。
というわけで、図書館の児童書の棚から、ヤングアダルトの棚へ。
そう、ライトノベルに手を出すのだ。
ファンタジー文庫がライトノベルと呼ばれるようになった時代で。
90年代頃は、集英社コバルト文庫や富士見ファンタジア文庫が幅を利かせていたらしい。
この時、このジャンル群は「ファンタジー文庫」と呼ばれていたと聞く。
わたしが中学に進学する頃には、すでに電撃文庫が創刊されていた。
というかアニメで言うと『境界線上のホライゾン』二期とか『オオカミさんと七人の仲間たち』とかが放送された。
ライトノベル全盛期終盤から、異世界ものへの過渡期にティーンであった。
少し前のライトノベル、「TRPGのGMから作家にスカウトされた」なんて後書きを羨ましがり、もう十年くらい早く生まれたかったと叫んでいた。
片っ端から読んだ。
特に、電撃文庫が多かった。
刊行当初の電撃文庫をコレクターしたいと思っているが、なかなか手を出せてなかったり。
今でも好きで、現行で追いかけている作家さんが二人いる。
メルヘンこと美しい怪異譚をかく甲田学人さん。
商業なのに、絶対にメインカップルを最後まで書いちゃう川上稔さん。
川上稔さんを手に取ったきっかけは覚えている。
亡くなった父方の祖父と、下の名前が同じだったのだ。
そうして手に取った『都市シリーズ』の内容はもう、あまり覚えてない。
ライトノベルで最初に読んだ本は覚えてない。
母が読んでいて家にあった『なんて素敵にジャパネスク』を読んでいたから、走りはそれな気がする。
ライトノベルのいいところは、やはり、読みやすいこと。
一時間半くらいで読める。
とはいえ、面白いし、アツいし、独創的だし。
他の読書と遜色ない。
で、今でも読書量の半分くらいはライトノベルだったりする。
90年代・00年代くらいに出版されたシリーズが一番好きだ。
理由は知らない。
なんかいい感じに説明をつけようとすることはできるけど、それは不惑をすぎて懐古し、今の時代を貶すのと同じになると思っている。
だから、あえて理由は探さない。
図書館も蔵書整理で結構、この時代のライトノベルはなくなりつつある。
しかし、Kindle Unlimitedにかなり全巻読めるシリーズが多いので、常に1シリーズはライトノベルを読んでいたりする。
今は、24年3月に始めて対象になった、集英社コバルト文庫の『チョーシリーズ』
ハマりすぎたので全巻買ってしまった。
なんつーか。
好きだ。
野梨原花南さんに関わらず、霜島ケイさんとか、茅田砂胡さんとか、壁井ユカコさんとか、竹宮ゆゆこさんとか、ラノベ出身の女性作家さんも結構今でも読んでいたりする。
つらつらと書きすぎて、アウトラインさえ迷子になってきたが。
小学校高学年から読み始め、それ以降、わたしの人生にはライトノベルがある。
今後も、きっと、あり続ける。
ハードボイルドが鬱から救ってくれる。
高校で、鬱になった。
一日一冊読んでいたのに、読めなくなった。
ひたすら、ニコニコ動画を流すしかできなくなった。
とはいえ『転生したらスライムになった』は「小説家になろう」で二周くらい読んだ記憶はある。
完結していたから、それは、高校の時だったと思う。
記憶が交錯している。
とにかく。
とにかく、読めなくなった。
そもそも、図書館に行けなくなった。
読もうと思って買った、グレッグ・イーガン『ディアスボラ』は内容が全くわからなかった。
十ページくらいから進まなくて、封印した。
それで。
休養して、徐々に本が読めるようになって。
「鬱抜け」と言う言葉があるけれど、そんなにスッキリこの時から日常に戻れた、というもんじゃない。
でも、ローレンス・ブロック『マット・スカダーシリーズ』が救ってくれたと思っている。
スカダーさんは、探偵が国家資格のアメリカで、無免許探偵をしている。
元刑事だけど、逃亡する犯人を銃で撃った時に、夜中なのに通りにいた女の子を殺してしまってやめた。
アル中なんだけど、シリーズの最初の方はあまりわからない。
でも、ある巻の巻頭で急に、緊急搬送されて、保険に入ってないので病院から追い出されたと語り出す。
で、酒を飲んでまた緊急搬送される。
そこから、禁酒するための努力が始まる。
図書館を駆使して、全巻読んだ。
辛くても生きなきゃいけない。
どんなにどん底でもそこから一歩一歩歩かなきゃいけない。
自分が最底であっても、やっぱりプラスの方へ少しずつでも向かわなきゃいけない。
それが、生きるということだ。
そう、教えてくれた。
言葉にすると軽いし、こう言われても響かない。
でも、十数巻を通して、スカダーさんが生き様を見せてくれた。
だから、今生きてると思う。
で、ジャンルの話。
ミステリはあんまり好きじゃない。
推理小説は、トリックと犯人を当てる推理パズルだと思っている。
だから、登場人物の動機とか、ストーリーを他ジャンルに比べてあまり重視してない。
わたしにとっての小説の一側面として、「キャラたちの作用によって一つの物語が出来上がる」というものがある。
しかし、純粋な推理小説は、探偵がトリックを解くために、犯人が殺人を犯す。
犯人が殺すしかない心理状況や、殺すしかないと決心をする状況が起きたからではなくて。
だから、推理小説はあんまり読まない。
反して言えば、人物描写なんかをちゃんとしているものは好き。
最近だと『元彼の遺言状』とか。
で。
ミステリの周辺ジャンルも好き。
まず、ハードボイルド。
ローレンス・ブロックは翻訳長編は全部読んでるし。
ピエール・ルメートルも好き。
そして、ノワール小説。
エルロイよりも、ジム・トンプスンが好き。
『ポップ1280』が、なんか、理想だ。
破滅思想や自殺念慮はなくならない。
どんなに薄くなっていても、絶対に、なくならないと知ってる。
最近ないな、と思っていても、急に胸中を襲撃して頭を絶望一色に染めていく。
だから、「完全になくなって健常になった」とは思わない方がいいと知っている。
そのときの絶望の黒が深くならないように。
これは、付き合っていかなきゃいけないものなんだ。
でも、だからこそ、理想の破滅を見せられると、なんというか、慰められたように感じえる。
普段からよく読む、というジャンルじゃないけど、人生を救ってくれたと思っている。
鬱から日常に戻ったことを教えてくれたSF
鬱の時に読めなかった『ディアスポラ』。
人生で、いちばん時間をかけて読んだ本。
読み始めて読めなくて。
それから、完全に読み終わるまで二年かかった。
鞄の中に入れ続けて、ぐしゃぐしゃになった。
まぁ、この本は色々あって手元から無くなったんだけど……。
また、買わなきゃなーと思っている。
ともかく、読み通して、読み終わって。
戻ったと思った。
本を読める、自分に。
本を楽しめる自分に。
さて。
SFは好きとまで言い切れないジャンルだと思う。
読むし、面白いとは思っている。
でも、好きというほど知らない。
「この本やシリーズが好きなら、こっちも読んでみたら?」というアドバイスをしてくれる先達がほしいと常々思っている。
だから、ネビュラ賞やヒューゴ賞なんかをガイドラインとして読もうとして失敗していたりする。
読みたいけど、読むのが大変だから、なかなか読めてない。
そういう距離感のジャンル。
SFは、女性としての生き方を考えさせてくれるジャンルでもある。
いちばん最初に読んだSFは、明らか。
ジブリ映画をきっかけに読んだ『ゲド戦記』だ。
アーシュラ・K・ル=グウィンは女性だけど、「女性がSFを書いているとバレたら、売れないから」という理由で、出版社が勝手にファーストネームを略して売っていたというエピがある。
彼女だけじゃなくて、『たったひとつの冴えたやりかた』のジェイムズ・ティプトリー・ジュニアも同じような経歴を持つ女性作家だ。
ブロックやトンプスンも好きな作家にあげる十代だったわたし。
それで「変」と言われるほどの人間関係も持っていないんだけど。
別に、それでいいんだと思った。
好きなものを読んで、書いて。
このエピは、いつも、それでいいんだと肯定してくれる気がする。
正体を隠されてでも、小説を発表し続けた女性の先達たち。
読むこと、書くこと、生きること。
好きなことをすること。
そのための、勇気をくれる。
人生は変わらなかったけど、読み続ける生物学専門書
「読書好きです」という方って、日本作家さんの小説・ビジネス書・自己啓発本くらいしか読んでなかったりする。
偏見です。
完全な、偏見ですけど。
いやでも、それって勿体無いよ、と思っている。
とはいえ、わたしも読むようになったのは大学に入ってから。
高校生とか、もっと前、中学生くらいから読んでいたかった。
そしたら、たぶん、大学はもうちょっと頑張って生物学科に入ったと思う。
まぁ、人生を変えたかもしれないけど、時期が悪くてそこまでいかなかった、という感じ。
苦々しい思いもあるけど、でも、今でも「面白いから」という理由だけでひたすら読んでいる。
学術書とまでいかなくても、一般向けというレベルでも十分面白い。
探しやすいのは新書だけど、あんまり新書は読んでない。
一度、「これいい!」という本があると、その参考文献へどんどん広がっていく。
あるいは、「こっちはどうなってるんだろう?」とか「これについて詳しく知りたいから探してみよう」とか。
だから、どうやって、そういう本と出会って読み始めたのか、覚えていない。
「読みたいとは思うけど……」という方は、とにかく図書館に行って全部の棚をみるつもりで散策し、タイトルで気になった本を借りる……。
というのをやったら運が良ければ一回で、悪くても三回すれば、どんどん読書が広がると思う。
「小説は面白くない」「でも本は読みたい」と思っている方は、ぜひ一度やってほしい。
最後に
まぁ、今は、基本的に好き勝手読んでる。
これからも、好き勝手読むと思う。
わたしの人生には常に本があって、あんまり人はいないかった。
会話での交流が苦手で、分量のある本を通す。
これをコミュニケーションとしているところがある。
だから、休みに誰とも会わなくても、本を開いて誰かに会う。
不思議なコミュニケーションだと思う。
誰かが、誰に読まれるかわからないけど、想いを綴る。
それを、読む。
だから、わたしは、こうして書く。
誰に読まれるともわからないけれど、想いを綴る。
本が好きだ。
読書が好きだ。
人生を救ってくれた。
人生を教えてくれた。
だから。
あなたにも好きになってほしい。
もし、あなたが辛い中にいるのなら、どこかに心に寄り添って、時には厳しく叱って、なんとか助けてくれる本があるかもしれない。
だから、こうして文字を綴っている。
わたしの読んだ本が、あなたの「面白い」につながって欲しい。
あるいは、その出会いが、あなたの人生を助けてくれるかもしれない。
そう願って、noteで読書感想を書いている。
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