第3感 大熊家は安泰

 どうも。30歳、芸歴6年目のしがない芸人です。普段は伝説のつるぎというトリオで活動してます。
 相方の名前はハンマーと南コントテラー。そして僕の名前は大熊健司。
 こうやって並べてみると、むしろ僕の方が変な感じしますよね。これが数の暴力ってやつか。
 未だ売れる兆しはありませんが、とりあえず日々邁進しております。
 そんな男の話を聞いてってください。

 この前、三つ下の弟の結婚式があった。
 ありがたいことに、今まで友達の結婚式に参列したことは何度かあったけど、これまで参列したどの結婚式ともなんか違う感じがした。

 僕と弟は二人兄弟で、会社員の父と専業主婦の母との間に生まれた。
 教育にお金を出すことを惜しまなかった両親のおかげで、小学校から私立に通わせてもらい、中学受験も頑張って見事第一志望に合格。兄弟そろって同じ小中高に通った。
 まあでも、色々あるよね!

 全員から嫌われていた、もとい怖がられていた父親は、僕が19歳の秋に家を追い出され、それから2年半ほどして、僕が22歳を迎える少し前に離婚をした。
 しかし20年以上使っていた大熊という苗字には愛着があったし、何より大熊って苗字は結構気に入っていたので、母も含め、三人とも大熊のまま今も生きている。
 父親とは19歳のあの日、家を追い出されていない会っていないし、これから先も一生会うつもりはない。
 ということはどういうことか。そう、当然弟は父親を結婚式に呼ばなかったわけだ。

 父親がいない結婚式というのはなかなか不思議なもので、僕が思っていた結婚式と少し違ったりもした。

 まずは結婚式、式本番。弟はチャペルで挙げたのだが、普通なら一列目に両親、二列目以降に親族、そして友人と続いていく。
 ということで兄である僕は当然二列目に座ろうと思っていたが、母親の要望もあり一列目に。
 まさか子供はおろか、結婚だってしてないのに、最前列で結婚式を見れる日が来るとは。
 もちろん、そうはいっても僕はどこまで行っても兄でしかないので、両親が立つシーンは他の列席者と同じように座って見ていた。
 あんま一列目でずっと座ってる奴いないよな。

 そして披露宴。披露宴ともなると両親はもっと大変である。
相手方の親族や新郎新婦の友人に挨拶したり、遠方から来てくださった人がいればお車代を渡したり、やることは多々ある。
ということで、僕も母に付き添ってぺこぺこ挨拶したり、お車代渡したり、披露宴会場をあっちこっちを駆け回った。
友達の結婚式なら運ばれてきた料理を食べて、友達と談笑してって楽しめたけど、そうも行かないんですね。
 まあ結婚式の話はざっくりこれくらいにして。もっと詳しいお話はstand.FMというラジオアプリで話したんで、是非聞いてやってください。


まあそんな感じで弟の結婚式は無事、結びとなったわけです。
 本当に結婚おめでとう。

 このnoteの結びに。
 披露宴の席に着くと、そこに自分の名前が書かれた紙が置いてあった。まあこれはよくある光景である。
 二つ折りになっていたその紙を開くと、そこには弟からの手書きのメッセージが。

「先に結婚します。これからも兄弟仲良くお母さんを支えていこう。」

 ああ、いい弟を持った。これで大熊家は安泰だ。
 僕はもう少し、僕らしく生きていこう。

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