神様の試験

 大学に入学したころから続けていた居酒屋バイトを就職活動を理由に辞めた叶(かなう)だったが、無事就職が決まったこともあり、最後の春休みを満喫するためにも単発でできるバイトを探していた。

そしてネットで色々探してみたがなかなかいいバイトには巡り合えず、そんな中、友人からの紹介で辿り着いたのが、この試験監督のバイトだった。

ついに今日が初めての日。黒髪指定な上に、スーツを着なければならないため、正直なところ面倒くささもあったが、以前試験官のアルバイトをしたことがあるという別の友人が、とても楽なバイトだったと言っていたので、意外と心持ちは軽かった。

なかなかに朝が早いのが唯一の難点だったが、これから就職することを考えれば造作もないこと。まずは集合場所に向かい、同じ部屋で試験官を務める男性と顔合わせをした。

「今日一日一緒に試験官を務める、人間名・菊池です。よろしくね。」

「にんげんめい?え……」

 聞きなれない言葉に動揺を隠し切れない叶。

「君の名前は?」

「あ、木野(きの)と言います。よろしくお願いします。」

 菊池からのあまりにもすんなりした質問に、きっとこういうバイトが初めてだから緊張していて何かと聞き間違えたのだと、自分に言い聞かせた。

「木野くんは、こういったアルバイトの経験はあるのかな?」

「いえ。実は今回が初めてなんです。」

「ああ、そうかそうか。まあそんなに難しくないから、安心して。」

「はい、お願いします。」

 ついさっきまで心拍数はすごいことになっていたが、菊池の話し方や振る舞いを見て少しずつ平静を取り戻していった。また、アルバイト内容もそんなに難しくないという話を聞く力も聞けた叶は、内心とても安心したのだった。

「ちなみに、今日行われる試験がどういう試験だったかは知ってるかな。」

「すみません。何かの資格の試験だということしか。」

 正直友達からの紹介、そして楽だという理由だけで応募した叶にとって、自分の目の前で実施される試験内容など何でもよかった。

「そうかそうか。じゃあ一応教えておくね。」

「あ、お願いします。」

「今日ここで行われるのは、神様の試験なんだ。」

「神様の試験?」

「そう!」

 菊池は満面の笑みを浮かべながらそう言った。

(あ、やっぱこれヤバいやつだ。)

「えっと、あの……」

「ああ安心して。本当、怪しいやつじゃないから。」

 明らかに怪しい人からそんなことを言われたところで、なるほど、そんなんですね!、とはいかない。

「本当に怪しくないんだよ。とりあえずもう時間だし、入ってみよ。」

 そういうと菊池は叶の腕をがっしりとつかんだ。その力はとても強く、振り切ることなどできなかった。

「はい……」

 進むも地獄、戻るも地獄。叶は弱々しく返事をし、菊池について部屋の中に入った。

やっぱり人間名、っていうのは聞き間違いじゃなかったんだ、今更公開をしても時すでに遅し。叶は絶望の表情を浮かべた。


 何も見ないように、うつむきながら部屋に入ったが、ここまで来てしまってはもう同じ。叶が勇気を出して顔をあげると、目の前には驚くべき光景が広がっていた。

なんと、試験会場だというのに受験者が一人しかいないのだ。

 思わずきょとんとしてしまう叶。しかもその一人しかいない受験生はというと、一般的な資格試験を同じように何やらテキストを見てもくもくと勉強をしている。日常と異常が混在した世界に、叶はついていくことができなかった。

「あの、受験生って一人しかいないんですか?」

「それはもちろん。当たり前じゃないか、神様の試験なんだぞ?」

 さも当然といった表情でこちらを見る菊池。

なるほどどうやら、自分と菊池とでは常識が違うようだ。

「いや当たり前といわれましても。」

「いいかい。今日ここで実施されるのは格式高い神様の試験。そこら辺の検定みたいに金を払えばだれでも受けられるものじゃない。」

「そ、そうなんですね。」

 力説する菊池。ひきつった顔で答える叶。

「それに、神様の試験となると不正一つ見逃すわけにはいかない。だから、一つの教室で受験できるのは一人まで。一人の受験者に対して常に二人の試験官が目を光らせてるんだ。」

 それほどまでに厳戒態勢を敷いている割に、試験官の一人が学生アルバイト、しかも初試験監督というのは問題ないのだろうか。そんな疑問をさしはさもうとした叶を菊池は制した。

「とりあえずもうそろそろ始まるから。」

 叶は菊池に促されるまま、当初の予定通り教室の後ろから監督することになった。

「それでは今から問題と解答用紙を配布しますので筆記用具以外はすべてしまってください。」

「いざ、参らん!」

 変な意気込みをするものだ。

 菊池が問題用紙や解答用紙を配るとしばしの沈黙ののち、深く息を吸い込む音がした。

「それでは試験を開始してください。」

 菊池は高らかにそう宣言した。


 あれから十分ばかりの時間が経った。なるべく興味を持たないように、あくまで仕事だと割り切ろうとしていたが、人の好奇心というのはそう簡単になくなるものではない。

叶は一人しかいない教室にいないにも関わらず、見回りをするかのように歩き、試験問題を覗き見ることにした。

(えーっと、ごんぎつね。ごんぎつね?小学校でやったようなやつじゃん。)

 それは間違いなく、小学生の頃に教科書で見たごんぎつねだった。

(他にも都道府県の県庁所在地に、え、星座の名前。全部小学生レベルの問題だ。)

 と、ここで叶はようやく気が付いた。なるほど、これはテレビ番組なのだ。

そういうことか、と叶は思った。実は少し前のことだったが、学生生活最後の思い出にと友達と連れ立って、う冗談半分でエキストラ事務所に応募したのだった。

それゆえにこういう状況に巻き揉まれたのだろう。おそらくこのバイトを紹介してくれた友人も仕掛け人サイドで、このあとで登場するのだろう。

 全てに納得のいった叶はどう立ち回るべきか悩んでしまった。正直自分がこういう状況に置かれたからこそ、お笑い芸人のすごさが分かるというもの。

しかしここはあえてバカを演じて、騙されてみることにした。

「それでは次にリスニング問題に入る。」

(いつまでやるつもりだ?それにしても随分手が込んでるなあ。)

「第一問、パンはパンでも食べられないパンは何だ。」

「なぞなぞ?」

 僕は思わず笑いながらそう言ってしまった。

「君、今なんて?」

「あすみません。」

「確かに聞いたぞ、今君、なぞなぞといったよな?」

 すると受験者までもがそう言いだしたのだった。

「本当にすみません。さすがに今のは露骨すぎて。だってドッキリじゃないですか。」

「「ドッキリ?」」

 二人は声をそろえてそう言った。

「あ、すみません。自分素人なもので。ドッキリだと思ってもドッキリなんて言っちゃダメですよね。」

「何の話かね。」

「いやですからこれ、テレビのドッキリ番組ですよね?」

「君は何を言ってるんだ?」

「試験官がこんなに喋るなんてどうなってるんだ。」

「申し訳ございません。」

 菊池は深々と頭を下げる。

「こっちに来なさい。」

 菊池は小さな声でそう言いながら、強く手招きをした。

「え?どういうこと。」

 理解できない叶。真っ直ぐと菊池の元へと向かう。

「そのドッキリっていうのがどういう意味でかは分からんが、今は試験中だ。」

「え、いや、本当に、神様の試験なんですか?」

「だから最初からそう言ってるじゃないか。」

「いやその、これ最終チャンスですよ?」

「最終チャンス?」

「だから、ネタバラシの。」

「君頭がおかしくなったのか?いいから早く仕事に戻りなさい。」

「はい……」

 はっきり言って、何が起きているのか全く理解できなかった。

(これがドッキリじゃない?まさか。いやもしかして一回ドッキリじゃないって思わせるドッキリなのか?でも僕は素人、そんなハイレベルなことに対応できる気がしないぞ?もしくは、タチの悪い動画投稿者の動画なのか?何もできないくせに、再生数があるから才能があると勘違いした馬鹿どもの、そんな奴らの餌なったというのか?)

 色々な考えが叶の頭の中を駆け巡り、起きていながらまるで夢のような、それもとびっきりの悪夢の中にいるような気分になった。

「木野くん、木野くん?」

 菊池の声で叶は現実に引き戻された。

「あはい、すみません。」

「もう終わったけど、大丈夫か?」

「はい、大丈夫です。」

「体調が悪いなら言いなさい。」

「いえ、体調は万全です。」

「あの、一つ聞いてもいいですか?」

 すると受験者が僕に近づいてきてそう尋ねた。

「あ、はい……」

 正直叶にとっては気まずい以外の何ものでもなかった。

「あなた、なんでさっきのリスニング問題がなぞなぞだってわかったんですか?」

「えいやだって、パンはパンでも食べられないパンは何だ、なんてなぞなぞの王道じゃないですか。」

 二人が顔を見合わせる。

「まさかそこまでしっかり聞き取れていたなんて。」

「この人、逸材かもしれませんよ?」

「あの、バカにしてます?」

 なんだかそんなに言われると逆に腹が立ってきた。

「バカにしてるなんてそんな、滅相もない。」

 菊池がそう言った。

「急に敬語になってません?」

「そんなことないでゲスよ。」

「あなたはなんか敬語とか通り過ぎて卑しくなりすぎですよ。」

 受験者の口調にさらに神経を逆なでされた叶は強い口調でそう言った。

「いやいやさっきの問題はですね。エノク語だったんですよ。」

「エノキ語?」

「それはキノコじゃないでゲスか。」

 なるほど、こいつのことはシンプルに嫌いだ。

「そのエノク語っていうのは何ですか?」

「エノク語っていうのはゲスね、元々最初の人間であるアダムの、六代後の子孫にあたるエノクがメタトロンという天使になったんでゲス。」

「メタトロン、なんかゲームとかで聞いたことあります。」

「でメタトロンは神様の書記になりまして、神の言葉をエノク書に書き取ったんでゲス。だからエノク語は天使の言葉ともいわれていて、神様になるためには欠かせない必修科目なんでゲス。」

「丁寧に説明してくださってありがとうございます。」

 僕は軽く引きながらそう言った。

「光栄でございやすでゲス。」

 受験者は照れ臭そうにそういった。

「こういったバイト上あなたのことを色々と事前に調べさせていただきましたが、あなたがエノク語を履修したというデータはありませんでした。」

「エノク語を履修?まあ聞いたこともないんでそうですね。」

「わしらみたいに神様を志す人間は、国数理社エノ、って学ぶんでゲスよ。」

「はあ……」

「色々聞きたいことはあるんですけど、そのさっきリスニングテストで流れてたのが、エノク語なんですか?」

「そうでございます。」

「いやその、敬語はやめてくださいよ。」

「いえそれはなりません。あなたは私の上司になるかもしれないんですから。」

「上司?」

「はい、私は天使なので。」

「天使……え、天使?」

「はい!」

 なるほど、人間名というのはそういうことだったのか。

「エノク語を学んだことがないのに聞き取ることができるだなんて、あなたは千年に一度の逸材です。」

「天界の橋本環奈ちゃんでゲス。」

 叶は受験生を最早いないものとして扱うことにした。

「どうか、神様を目指してみませんか?」

「いやその……」

 懇願する二人。

「就職が決まってて。」

「断るというのならその企業、消し飛ばしますよ?」

「あんた、悪魔だろ。」

「いいえ、天使です。」

 そう答える菊池の笑顔は、まるで天使のようだった。

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