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『有形資産』と『無形負債』について 経済的な合理性だけで僕たちは幸せになれるのか?
『資産』と『負債』という考え方があります。
これはお金の勉強をしようと思った人がまず最初に出会う概念で、僕は一昨年NISA口座を開設するときに投資の本を何冊か読んでこの概念に出会いました。
「お金を増やすためには自分が持っているものが果たして資産なのか、それとも負債なのかを考えなさい」という教えです。
『資産』とは自分の財布にお金を入れてくれるもののことで、当時僕が買おうとしていた投資信託がこれにあたります。
そして『負債』とは自分の財布からお金を抜き出してしまうもののことで、ローンや維持費のかかるもの(車やマイホームなど)がこれにあたります。
とはいえマイホームを「お金を増やそう」という目的で買う人は少ないですし、何より持ち家には夢があります。
「家を買うことがずっと夢だった」という人もいる中で、「マイホームは負債だから買わないほうがいいよ」というのは少しドライな意見のように思います。
「物を資産か負債で分けて考えようね」というのはあくまで『経済的な合理性を考える時の一つのものさし』であり、その物差しで全てを測ることはできないわけです。
家を買うために仕事を頑張り、昇進をし、その過程で人生に対する充実感やかけがえのない仲間、磨かれたスキルや発掘できた自分の才能などはどうでしょうか?
一概に「資産か負債か」という判断基準だけで購買行動がいいものだったのか悪いものだったのかを判断することは難しいと思います。
ものごとには多面性があります。高値で売れる物件を買うことだけがマイホーム購入の醍醐味ではありません。
「資産か負債か」という考え方は一面的な物の見方でしかないわけです。
今日はなぜいきなりこんな小難しい話を始めたかというと、「資産か負債かという考え方にもう一つ軸をつけてみたらどうだろう?」とふと車を運転しながら思いついたからです。
ええ、思いつきです。
で、僕が思いついた概念が「資産か負債か」という概念に「有形か無形か」という軸をもう一つつけて
『有形資産』
『有形負債』
『無形資産』
『無形負債』
という4つにわけて物事を考えてみたらどうかと思ったのです。
形があるかないか、つまりそれは「物質的なものか精神的なものか」という分類の仕方です。
僕はなによりもまず幸せになりたいと思っていて、この現代を生きるにはお金が必要であることも個人事業を7年もやっているからよくわかっているし、
だからと言って「金さえあれば幸せになれる!」という金の亡者的な雰囲気を醸し出しても幸せになれないことはみんなわかってると思います。
お金はあるに越したことはないけれど、お金さえあれば幸せになれるか?といえばそれは違う。でもお金は必要。
そのせめぎ合いの中で葛藤している人もたくさんいるんじゃないかと思っていて、
何より僕もその葛藤はずっとしているタイプなので、「一体何をどう考えれば幸せになれるんだろう」ということを常に頭の中でお手玉のようにぐるぐる回している人間であります。
お金は欲しい。でもお金のために全てを犠牲にするのは違うし、「男は金を稼いでればいいんだ」という時代でもないし、仕事に人生を捧げるのは違うし、
でもお金を稼げないことには生活できないし、「仕事は人生そのものではない」と言ったものの仕事をしている時間というのは1日の使い方の一番大きなウェイトを占めている部分でもあります。
現に僕も仕事がうまくいっている時は毎日がなんとなく楽しいし、口座の現金が右肩上がりで増えているとき、
とくに「たくさん入ってきてたくさん使うけれど次の月にはなんだかんだ増えている」みたいな状況の時が一番心が安定した経験があります。
ちなみに一番きついのは「お金が0になったとき」ではなくて、「お金がじわじわ減っているのに増える見込みがないとき」です。
売上が出なくなって貯金を食い潰して生活している時、「人間は右肩下がりに耐えられない生き物なんだなあ」と強く感じました。
右肩上がりって健康にいいんですよ。毎日ちょっとずつ自分が成長している感じとか、それこそ口座の現金がじわりじわりと増えている時とか。
幸せってなんだろうなあ、と考えるときにこういう自分が幸せだと感じた時のこととか、逆に不幸だとか感じた時のことを思い出すんです。
そんなことを考えているときに「資産と負債という概念に形があるかないかを組み合わせたら、結構いいところまで説明がつくんじゃないかな」と思いました。
さあやっと本題に入れます。お待たせしました。
「資産を増やして負債を減らせ」というのは世の中の親切なお金持ちが後身の僕たちに残してくれたありがたい教えなわけですが、この概念は「資産を増やす」という目的のもとに成り立っています。
この概念に沿えば「理論上資産は増える」のですが、そもそも人がどうして「資産を増やしたい」と思うのかを考えると、「幸せになりたいからお金に不自由しない生活を送りたい」というケースですよね。
僕はもう本当にそのまんまそう思っています。
でも、でもですよ。そもそも論として「資産が増えること=幸せなのか?」という部分に関するフォーカスが抜けているとこの理論を忠実に実践することはできません。
だって経済的合理性を考えればマイホームは負債なので買わないほうがいいんですよ。でもマイホームは今でも売れまくってるらしいです。
僕の友人に5000万円の注文住宅を売っている某大手ハウスメーカーの営業マンがいるのですが、彼に言わせると「家を建てたい人はこの時代にもいっぱいいる」のだそうです。
彼のメーカーで家を建てる人はみんな経済的な合理性を考えないアホの子なのでしょうか?そんなことはないはずです。
だって彼の顧客は5000万円のローンが組める経済力を持っている人たちなわけです。ええ、僕には組めません。ということは、僕なんかよりもよっぽど『経済活動ガチ勢』なわけです。
こんなことを言うと角が立つかもしれませんが、「マイホームなんて負債だからいらないよ^^」と言っている人のほとんどがマイホームを買えません。
ローンに通らないからです。
マイホームを買うか買わないかの決断をする場所にすら立っていないわけです。
そんな人が何を言おうと結局マイホームを買う人の心理は理解できないわけです。
ちなみに、僕は自分のことを『マイホームを買わない派』ではなく『マイホームは買えない派』だと思っています。
買わないんじゃなくて買えない。だからそもそもの選択肢がない。
その場に立っていないんだからピーピーギャーギャー言っても仕方がないわけです。
ですからマイホームが資産か負債かという論争は、「マイホームを買える状態にある」という前提がないと意味がないと思っています。
どうせ買えないんですから、議論するだけ無駄です。
でも少なくともここからわかるのは、「マイホームを買う」という行為は経済的合理性を超えた価値がある決断だと言うことです。
つまり、マイホームは『有形負債であるが無形資産である』と言えるのではないでしょうか。
経済的にはお金が出ていく物だけど精神的には利益があるもの、という理解でOKです。
こんなふうに2つの軸を持って仕分けをしていきます。
そうすると面白いことがわかります。マイホームに『経済的合理性』という1軸だけでものさしを当てると、マイホームを購入する人が後を絶たない理由が説明できませんが、
「経済的には不合理であるが精神的に得られるものが大きい」と考えると説明ができそうですよね。
何度も言いますが僕は『マイホーム買えないマン』なので想像でしかありませんが、
自分の城を持つことの精神的な満足感や「このために仕事を頑張ろう」と思えることなどを加味すると、そこに合理性があるから人は5000万家売りマンの彼から家を買うわけです。
何度も言いますが、マイホームを買う人はマイホームを買える人です。僕なんかよりもよっぽど資本主義ガチ勢の人たちが決断する選択に、合理性がないわけがないのです。
そこに『形のない資産としての機能』があると考えれば、まあ納得がいくなと、僕は思ったのです。車を運転しながら。
形のない資産は他にもたくさんあります。
例えば仕事で考えると、「儲かるけれど苦しい仕事」は『有形資産であり無形負債である』と考えることができます。
お金は手に入るんだけど、朝から晩まで働いて「仕事以外に使う時間がほぼ0に近い」という状態であったり、
「仕事をする上での人間関係が苦痛で精神的にダメージを負い仕事が続けられなくなる」というケースに陥ることはよくあります。
形がある収入だけを幸せの基準とするなら「どんな場所だろうと働かないより働いたほうが幸せになれる」という考え方になってしまうのですが、実際の社会はそんなふうに回ってません。
たくさん働いてもお金が全然もらえなかったり残業代をくれなかったり、上司がパワハラしまくってくるような職場は今すぐ消滅したほうがいいと思いますが、
「一生懸命働いて対価としてのお金はもらえているけれどそれ以外のことが疎かになっている気がする」という気持ちで働いている人もたくさんいると思います。
そう言う人は仕事が「有形資産である(お金を財布に入れてくれる)が無形負債である(心から幸せが出ていく)」というものになっているのです。
もちろん生きていくのにお金は必要ですから収入を得られることで生活が成り立つという部分はあるのですが、僕たち人間は「生きてさえいれば幸せを感じられる」ようにはできてません。
生きることをクリアできたらその次、「精神の充実」を目指し始めて当然なのです。
仕事を通じて幸せになるためには「有形資産であり(お金を財布に入れてくれる)、無形資産である(心に幸せを入れてくれる)」というものにしないといけません。
もちろんこれはレベルの高い話です。そもそも仕事は生きていくためにするものであり、仕事をしないとお金を得られないので、生きていけません。
厳密に言うとこの国ではお金がないくらいで生きていけないことはないし、お金がなくても幸せに生きている人はたくさんいるのですが、
お金がないことそのものは人を死に追いやるほど強烈な負の力があることも確かです。
ですから仕事を「有形資産であり無形資産である」の状態にするにはかなりレベルの高いことをしなくてはいけない、というのが僕の持論です。
ほとんどの場合それは起業になると思っています。自分で仕事を作るのです。
なぜなら会社は、働き手を募集するときに形のない報酬を明記する義務はなく、精神的な満足は自分で取りに行かないと得られないものだからです。心の幸せは与えられて得られるものじゃないんですね。
「月に30万円あげます」ということはあっても「毎月あなたの心を満たすことを約束します」という会社はありません。というか心の充足は会社が従業員に与えられることの範疇をはるかに超えています。
同じ会社でも「この会社は最高だ!」と思っている社員と「こんなクソな会社明日にでも辞めてやりたい」と思う社員がいることは当たり前で、心の幸せは人それぞれで個人差がえげつないので、自分で確保するしかないのです。
もちろん起業をせずともすでにある会社で幸せになれる人もいます。ただ僕の考え的には、
すでに存在している会社の中で「物理的にも精神的にも幸せになる」ことはかなり難しいと考えていて、ぶっちゃけ宝くじに当たるくらい確率の低いものだと思っています。
なぜなら会社に所属すると言うことは不確定要素が多いものだからです。会社の理念に強く共感したとして、実際に配属された先の上司が意地悪な人だったら?これだけでもうアウトです。
逆に今いる会社で物理的にも精神的にも満たされている人は、それはもう宝くじにあたっていることと同義なので、絶対大事にしたほうがいいです。
逆に今ついている仕事が「お金はいいんだけど心は満たされてないな」とか「お金はあんまりもらえないけど精神的にはすごく満たされてるな」と思う人、それもとても幸福なことだと僕は思います。
『会社に勤める』と言うことだけで物理的か精神的かの幸福がどちらかを満たせているなら、それだけでものすごく運がいいことです。
だからと言って「そこでずっと働けよ」と言いたいわけではなくて、「両方求めるなら自分で会社作ったほうが早いよ」ということが伝えたいです。
でも人間は一つ満たされたら次の幸福が欲しくなる生き物ですから、「もっといい仕事があるんじゃないか?」って思うことは当然です。
既存のもので満足できないなら?
作っちゃえばいいじゃないですか。簡単な話です。
さて、今日は「資本と負債」という考え方に「有形か無形か」という概念をがっちゃんこさせて話してみました。
本当はもう少し別の部分に言及したいことがあったのですが、今回はこの辺で文字数が5000文字を超えましたので、一旦ここで終了したいと思います。
また時間があったら続き書きます。
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