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「書くことでしか得られないもの」について

もうすぐ10月も終わる。ということは今年ももうすぐ終わる。うちは11月の末に2人目の子供が生まれるので、そろそろ臨月を迎える妻のお腹も大きくなってきた。

すっかり秋めいて肌寒くなった今日、久しぶりに文章を書くことにした。書く、というのは不思議なものだ。書かないとすぐに書けなくなる。

日常的に文章を書いている時期は「書きたい!」と思った瞬間に頭の中になんとなく文章構成が描け、そのままの勢いでなんとなくタイトルが決まり、パソコンさえ開けば「あとは頭の中にあるものを形にするだけ」という状態になるのだが。

文章を書く、というのは動画を撮ったりラジオを収録するのとはまた違った頭の使い方をする気がする。文章特有のゆっくりとした思考、結論に向けて頭の中にあるモヤをこねこねとしながら「書きながら考えていく」ような感覚。

「そろそろなんか書きたいな」という気持ちはずっとあった。だけどなかなか文章を書くというのはカロリーを使う。

パソコンを開くところまではいくのだけれど、まっさらなnoteエディターに点滅するカーソルを眺めながら「文章ってどうやって書くんだっけ…?」と時間だけが過ぎていく。そんな日々を繰り返していた。

そんな時に限って使っていたMagic Keyboardの調子が悪くなった。エンターの押しがすごく悪くなりスムーズにタイピングができなくなったのを言い訳に、「やっぱラジオでいっか」とパソコンを閉じる。

だから今日はとにかく「書くという筋肉のリハビリをするのだ」と無理やり書いている。物書きはどうしても「いいことを書きたい」と思ってしまう。でもそう思ってしまって文章を書く手が止まってしまったら本末転倒だ。

「言いたいことがなくて発信できない」というのは嘘だ。「発信してないから言いたいことがない」のだ。私は最近文章で言いたいことがなく、書くことから遠ざかっていた。でも本当は書いていなかったから言いたいことがなかっただけなのだ。

最近、「これからどうやって生きていこうか」と考えることが増えた。ぐるぐるぐる、とあてもない思考を回す時間があまり心地いいものではなく、この流れをなんとかして変えなければいけないな、とも思っていた。

流れを変えるには「出す」ことが一番手っ取り早い。今考えていることを出し切る。そうすると思考が整理されて、新しいアイディアや今までと違う視点を手に入れることができる。

思考を切り替えるには『文章でのアウトプット』が一番いい。書くことのスピード感が「ゆっくりとした思考」にちょうどいい感じがするのだ。

紙のノートにペンを使って書くのも良いが、私の感覚ではそれは遅すぎる。頭のなかを漂っている言葉に形をつけるには、ペンでは遅い。口では早すぎる。パソコンを使ったタイピングが一番「考えを整理している感じ」がする。

「考えが整理できている状態」は私のような発信者にとってアウトプットの源泉になるものだ。考えがバラバラしている状態では、どうしても動画やラジオも「散らかっているな」という感じになってしまう。

感覚としては、一つ一つのコンテンツの完成度は別に違和感はないのだけれど、「発信全体がどこに向かっているのか」が曖昧になるという感じだ。

思いつきでポンポン出しているけれど、私はどこに向かうのだろう?そんな感覚を覚えるときは大概、「書くこと」が足りていない。

動画もラジオも対話も、頭の回転をかなり速くぶん回して使う時間だ。即興力というか、「いかにその場が充実した空間になるかを瞬時に判断して言葉を出す」という感覚で言葉を生み出す。

即興だからこそ出る驚きや気づきもたくさんあるのだけれど、そればかりでは息切れしてしまうというか、スポーツで言うところの『基礎トレーニングが足りていない状況』に似た感じになってしまう。

だから私にとっては「書くこと」が重要だ。

別に書かなくてもいい。noteを書くことで直接収益を得ているわけではないから(色々な媒体での発信全体見て私に興味を持ってくれた人がお客さんになる構造である)、収益につながるかどうかの行動だけを見ると「発信さえしていればどの媒体でも良い」ということになるのだが、「書くこと」は私に撮ってそれ以外の意味を持つ。書かないことには、『考えるための基礎体力』のようなものが身につかないのだ。

書くことには胆力がいる。最近の私は書くことから遠ざかっていた理由には「子育て」もある。冒頭でも書いたが妻がそろそろ臨月を迎える時期になってきて、1人目の娘も先日2歳になり、生活のエネルギーのほとんどを家庭に割いている状況だ。

一言で言うとエネルギー不足。子供の相手には体力がいる。うちの家庭は料理と料理にまつわるタスク(買い出しや食材の仕分け、後片付け)がすべて私の担当で、その上で大黒柱としてビジネスも、となるともうじっくり文章を書く力など残っていないのが現状である。

だから空いている時間を使ってラジオを収録したり、早朝に起きて動画を撮影したりしていたのだが、どうもうまく思考と行動が噛み合っている気がしない。

なぜ?と考えた結果が「最近書いていないな」だったのだ。書くこと特有のゆっくりとした思考、タイピングと頭の回転がシンクロしていくような感じ、たくさんのことを考えているけれど何も考えていないような、集中しているけど力は抜けているような。

書くことで得られるもののほとんどは書くこと以外でも得ることができる。ただ、「書くことでしか得られないもの」があることも確かだ。それは「書かない日々」が教えてくれたことなので、「書かないことで得られるものは書かない日々を過ごさないと教えてもらえない」とも言える。

なので今日は久しぶりに「書くこと」を目的とした文章を書いてみた。結論。いい感覚を味わえた。書くことでしか得られない思考のスピードがあることを再確認できた。書きたいことなどなかったけれど、とりあえず書き始めることが功を奏した。ああ、よかった。

こんな文章を最後まで読んでくれたあなたへ。お久しぶりです。おはなし屋なおとです。最近書くことから遠ざかっていたせいで「忘れていた感覚」があったようです。今日この文章を書きながら思い出せました。お付き合いいただきありがとうございました。

子育てしながらこの文章を読んでいる人へ。いつもお疲れ様です。子供を育てるって本当にエネルギーを使いますよね。

なんとかパワーを残した状態を保ってもその残高を全てもれなく持っていかれるというか…なんでもしたくあげたくなっちゃうし、遊んであげたくなっちゃうし、「遊んでくれ!」って目を見てくる我が子を放り出してまでやることなどないわ…!となってしまい、仕事に手がつかない日々を私は送っておりますが、あなたもそうなのでしょうか。お互い大変でございますね。

それでは終わります。また近いうち、書きます。お元気で。


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