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「わるい円安」について調べたら、フリーランスとしての生き方が見えてきた話


最近僕はめちゃめちゃ円安について調べています。人ごとじゃねぇなあと思ったからです。どちらかといえばフリーランスになるまでは「円が高くなろうが安くなろうがどうでもいいわ」なんて人間だったのですが、独立してからというもの、世の中の動向にとても敏感になりました。


「何の話やねん」という人のためにちょっと調べたことを披露します。素人に毛が生えたような知識で偉そうに語るので、間違ってたらごめんなさい。


そもそも「円」ってなんやねん。


この世界にはたくさんの通貨があります。円とかドルとかユーロとか。僕は日本で生まれて日本で育って海外旅行にも1回しか行ったことがないので、そもそも円を「数ある通貨のうちのひとつ」と認識したことがありません。僕は恥ずかしい話、円を「お金を数える単位」だと思って生きてきました。


もちろん円がアメリカでは使えないことは知っています。新婚旅行でフィリピンに行った時はマニラの両替所で円をペソに替えました。各国で使う通貨が違うことは理解しています。


ただ、それはあくまで「海外旅行に行くときには両替をしなければいけない」という知識でしかなくて、「自分が持っている日本円の価値が日々動いている」という概念までは辿り着いてなかったように思います。


僕は「円が高いとか安いとかそんなのは海外旅行によく行く人が考えればいいことで、自分には関係ないでしょ」とのんきに考えていたようです。完全にひとごとでした。興味がなかったんです。


どうも円のパワーが落ちているらしい


でも調べてみたらそんなことなかった。めちゃめちゃ影響があるっぽいのです。そもそもお金とは「なにかと交換するために持っているチケット」のことですから、円が安くなるということはそのチケットのパワーが落ちるということで、僕もそのチケットを持っていますから、バリバリ当事者なんです。


もちろんあなたも当事者です。そんなこと常識ですか?すいません。僕は知りませんでした。常識って何だろう…


だからと言って円安そのものがめちゃめちゃ悪いことかと言われると、そうでもないということみたいで。「チケットパワーが落ちたら落ちたでメリットもあるからトータル悪くない話よね」という側面もあるとか。「円安=困る」ではないらしい。


でも今回の円安はあまりいいことが起こりにくそうな雰囲気で、そのせいで「これは困るタイプの円安ですね」と騒いでいる人がたくさんいると。だから「わるい円安」。なるほど。ちょっとだけ見えてきた。


それにしても僕の解説、「らしい」とか「っぽい」ばっかりですね。無知で申し訳ないです。難しいですね、世界。興味が湧いた人は自分で調べてみてください。知ってる人は僕にご教授ください…ぜひ…



お金の話なんだけど、お金だけの話じゃない


お金の話なので、「結局どうすれば損しないの?」という話も大事ではあるんですが、そんなことを言ったら「日本に住んでいるだけでオワコン」という話になってくるし、「あの世にお金は持っていけねえよ」という極論に辿り着けば勉強するだけ無駄という結論に辿り着きかねないし、なんとも落とし所が難しいなあと思うところです。


僕はあくまで発信者なので、僕が経験したことを僕の言葉で語るところに価値があると思ってます。資産が増えるとか減るとか、そこで戦う気はないんですね。もちろん気になるんですけど。大事なところはそこじゃない。


もともと「楽しく暮らせれば何でもいいよね」と思うタイプの人間なので、楽しく暮らすために必要なことは勉強するし、学びジャンキーになって頭でっかちになっても意味ないと思うんです。学びと経験のバランス。結局のところ「自分がどうするか」というところが大事だと考えています。



金融はスイミー


今回の件で僕は「金融ってスイミーみたいやなあ」と思いました。スイミーって知ってますか?スイミーは小さい魚なのですが、仲間と集まることで大きな魚の形を作って、天敵から身を守っていくお話です。


小学1年生くらいで読んだ気がする



相場とか為替とか、なんだかよくわからない数字がでっかい魚みたいに見えるけど、よーくみてみるとスイミーのお話のように、ちいさな要素が無数に集まってできている。なんだ、小魚じゃん。でも何匹いるんだろう。想像つかない。これ、完璧に全部把握できる人なんているの?


それでも途方に暮れながら一つ一つ要素を分解して学んでいくと、結局得体の知れない大きな魚の正体はわからないままなんですが、「この構造って他の物事でも同じことが言えるんじゃ?」という気づきが生まれてきました。



フリーランスという生き方を大魚ととらえるかスイミーと見るか



例えばフリーランスという生き方に対して、「得体の知れない大きな魚」のようなイメージを持っている人は多いんじゃないかと思います。「食っていけるほど稼げるのか」という議論が持ち上がることは多いですが、収入の多さというのは大きな魚の一部分でしかありません。


たしかに収入があることは大事だし、お金さえ稼げればあとはどうにでもなりそうな感じもあるけれど、実際はそんなことない。お金を稼げばその分お金の管理する能力も求められるし、ひと月100万円稼ぐ能力と年間で500万円稼ぐ能力は全然違うし、稼いだら稼いだでお金の管理もしていかないといけない。


だから結局、フリーランスという生き方は「無数の要素が集まっている」スイミーの群れのようなものなんです。「稼げるのか?」という不安は「稼げさえすればなんとかなる」という前提があり、これはこの生き方を大魚としてみている。


実際には細部を見ると無数のちいさな要素が集まって、ひとつの群れになっている。それが生き方です。お金を稼ぐことも守ることも、使うことだって大事な要素の一つ。たくさん稼いでも燃え尽きて嫌になっちゃえばこの生き方は続けられません。逆にお金がなくても心の火さえ消えなければ、この生き方は半永久的にずっとできる。そういうものです。



単純にされすぎたものの中に自由はない


フリーランスは会社を経営して社長をやるのと同じなんです。社長の仕事は何ですか?と聞かれてもぶっちゃけ「よくわからん」じゃないですか。社長という仕事も大魚ではなく無数のスイミーが集まってできたものなんですね。一部分だけを抜き取って「これが社長の仕事です」って言い切ることはできないものなのです。


裏を返せば、複雑なものの中にしか自由はないとは言えます。社長が取引先の人とゴルフに行く。感覚的にはなんか遊んでるみたいじゃないですよね。でもここで大きな受注が取れたら、会社としては売上になるわけで。だからと言って「稼ぐためには取引先とゴルフをしろ」とは言い切れないじゃないですか。


ヘタクソな接待ならしないほうがいいという考えもあるし、とにかく複雑な世界なんです。でも自由ですよね。自由にやりたい人は社長に向いてますよね。フリーランスも1人で会社をやるのと変わらないのでいいですね。でも自由とは複雑なことのことなので多くの人は尻込みするんです。複雑だからこそやってみないとわからないのに。


だから勇気を持って一歩踏み出しながら、複雑なことをひとつひとつ要素に分解していって、できるかどうかわからないけれど、実際に損をしたり得をしたりしながら、学んでいくことが大事だと僕は思います。自由はスイミーの中にある。



複雑なことにシンプルな気持ちでチャレンジする


話を戻します。だから僕は今回悪い円安をきっかけに金融について勉強してたおかげで、複雑なことをやっていく勇気が自由に生きるためには大事だなって思ったんです。シンプルな気持ちで難しいことにチャレンジする。そうすれば大魚が小魚に見えてくる瞬間がある。複雑の中に自由がある。


例えばこのnoteもそうです。僕はブログという媒体に手を出し始めた時「読者の読みやすいブログを書きなさい」と習ったので、ずっとそのことばかり考えて文章を書いてきました。


起承転結を大事にして、読まれやすいタイトルをつけて、導線をしっかり引いて、リストに誘導する。お客さんになってくれる人がスススッと自分の前に現れる、これがマーケティングだよと。そう習いました。


「自己流でやってもダメなんだよ」と結果を出している人はそうやって教えてくれました。実際に成果も出たし、今も僕の発信には「シンプルにわかりやすく」のベースがある。だけどこのシンプルなやり方には「自由がねえな」って思ったんです。単純化が過ぎて、誰も彼も同じような言葉を出し過ぎている。これは不自由じゃないか?


僕がやっているライフコーチングというビジネスは、最終的に一対一の人間関係を構築することで成立しているものです。深い関係はいつだって複雑です。


替えが効かない存在にならないと始まらないのだから、シンプルにわかりやすく誘導しても無駄なんです。結局のところ深い関係になりたいのだから、わかりやすくを突き詰めたとしても、それは僕じゃなくてもできることなんです。




2回目までにオンリーワンにならないと4500万円の家は売れないらしい


4500万円の注文住宅を営業している友人が言っていました。「うちの家は相場より1000万円近く高いから、相見積もりを出された時点でもうだめ。2回目のアポイントの時点でオンリーワンになってないと話にならない」って。


きっとそういうことなんですよね。円安について語るライフコーチなんていないじゃないですか。たとえそれが誰の心に刺さらなかろうと、他の人と違う切り口を見つけて攻めないと、オンリーワンにはなれないんですね。


僕は自由でいたいので、きれいにまとめたくないんです。誰にでも刺さる文章を書くくらいなら、誰にも刺さらない文章を1人で書いて、「これはおもしろいね…」と自分で頷いていたい。


「自分の魅力をひところで説明できるキャッチコピーをつけなさい」という個人ビジネスの教えは僕の中ではナシです。機能でオンリーワンになってもダメなんです。僕の中の満たしたい気持ちは満たせない。生き方でオンリーワンになりたい。


そもそも人の心は複雑なものです。何をフックに反応するかわからない。悩みを狙い撃ちにした「いかにも」な文章で攻めても、結局のところ「これ自分じゃなくても書けるじゃん」と萎えてしまっては、ずっと続けられない。他人に興味を持ってもらう前に自分を飽きさせない工夫が必要なんです。


あなたの心は「その辺のマーケティング本に書かれたブログハック」で揺らされるほど単純ですか?僕は違うと信じたい。そりゃ揺らされないこともないんだけど。大魚としてではなく、スイミーとして生きたいんだ。


人間は複雑で、中を覗くのには勇気が必要で、それを一緒にできる存在が僕で、僕はその関係をサービスとして売っていて、それを買ってくれる人は僕の「複雑で自由な生き方」に魅力を感じてくれる人であって欲しい。だったらどうする。複雑なものを複雑なまま、小出しにしていくしかないじゃないか。僕はそう考えています。


だから僕はこれからも、複雑な話をしていくことを続けます。「って何の話やねん」と自分にツッコミを入れたくなるような、フラッと読みにきてくれた人が途中で離脱するような文章を書きます。それが「わるい円安」を通じて僕が得た気づきです。


これから発信の世界はどうなっていくのか


これから発信の世界はどんどん分断されていくと思います。フォロワーの数が何万人もいるような「みんなの人気者」がどんどん生まれにくくなって、それぞれの界隈が綺麗にすみわけされて、「隣の芝が青いかどうかすらわからない、そもそも見えないから」という状態になっていく。


こんな世界で生きると決めてしまったから、僕は生き続けるために「今までのセオリー」は全部破っていくつもりです。人の悩みを解決するコンテンツは作りません。個人的なことを書きます。個人的なことは複雑です。コーチングしている時の自分も、円安について調べている時の自分も、温泉旅館で娘がギャン泣きして夫婦揃って全然眠れなかったことも、全部自分だからです。


全てをさらけだして、それこそ役に立つか立たないかとかそういうこともぶっ飛ばして、「その思考そのものがおもしろい」と僕自身に興味を持ってくれる人が、少数でいいからあらわれるほうがいい。


時代の流れが早すぎて、過去の成功体験を通じて渡せる価値がガクッと下がった。たった数年でも「あの時とは状況がまるで違うからね」という話になってしまう。これは為替の世界も同じですね。


だからこそもう「やりかた」にはあまり価値がないと思っていて。「なぜそうしたのか」「どうしてその結論に至ったのか」の方が価値がある。僕のやり方は僕にしかできないけれど、僕が僕のやり方を見つけるために使った回路はきっとあなたの役に立つ。


見るからに「役に立てますよ」と言ってくる情報には価値がない。オーダーメイドのやり方を作っていくための材料としてしか他人の経験は機能しない。そんな時代になっている。結論を急いではいけない。円安がヤバいからと慌てふためいて資産を全部ドルに変えようとしたら、きっと火傷する。今考えていることはそんな感じ。以上です。

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