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『才能の出どころ』を意識しながら話を聞くと見えてくるものがある


人には持って生まれた『気質』というものがある。その人が本来持っている資質で、先天的なものである。後天的に努力して身につく『能力』とは違う。この2つを合わせて『才能』と僕は呼んでいる。


僕がコーチとして人と関わる時は「この人の才能はどこだろう?」と考える以上に「この人の才能はどこからきているだろう?」と考える。


まず前提として、才能は誰にでもある。この社会を今日まで生きてこれた時点で『生き残る才能』があることのなによりの証明だから。


「どうやってあなたは今日まで生きてきたの?」ということを掘り下げるだけで意外と簡単に才能は見つかる。ただそこで見つかる才能は気質からくるものではなく能力からくるものが多い。


能力は努力の結晶だ。何も持たずに生まれてきた僕たちが、人間の作った社会に適合する中で、身につけた生存戦略。それが後天的に身につく才能の正体。だからここには人によって差はあるけれど、大なり小なりの『悲しみ』があったりする。


協調性がある人の多くは、協調性がないと生きていけなかった人だ。


学生時代の成績がいい人の中にも「楽しくて勉強をしていたら成績が伸びていた」と言う人もいれば、「親の期待を裏切らないために必死で努力してきた」と語る人もいるだろう。


同じ「成績がいい」でも才能の出どころが違う。出どころが違えば活かし方も変わる。ここについて詳しく語ると10万字になってしまうのでここでは語らないけれど、活かし方まで考えてこそ才能を「伸ばす」につながる。


見つけるまでは1人でできる。対話の意味はここにある、と僕は思う。才能を見つけ、ルーツを知り、伸ばすべき才能と置いておく才能を見極める。


僕はライフコーチとして『その人が一番自然に生きられるありかた』を一緒に探す仕事をしているので、こんなことを考えながらクライアントさんの話を聞いている。


だからなんだ、という話なのだけれど、僕はそういう視点で仕事をしている。そうすると見えてくるものがたくさんあるのだけれど、ここからどんなロジックを組み立てていくかは、あなたのご想像にお任せする。この話の続きは、またどこかの機会で。それではまた。










いただいたサポートはミックスナッツになって僕のお腹の脂肪として蓄えられます。