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オンライン社会は個人で稼ぐ僕たちを豊かにしたか?流れてくる情報だけで本質は掴めない

現代は情報化社会だ。SNS社会だ。どんな情報にも簡単に触れられる。フォローボタンひとつでどんな世界にいる人とも繋がることができ、ノウハウも無料で公開されているものが山のようにある。

なんでも手に入る情報化社会は僕たちを豊かにしたのか?


僕が生きている「個人で稼いでいく」という世界の情報だって、僕が起業した7年前とは比べ物にならないくらい多くの人間が、ノウハウや知見を惜しみなく公開している。

特にこの数年は感染症の影響もあり、オンラインでつながることがごく当たり前の社会になった。

少しでも「起業をしたい」と思えば、起業をしたい人が集まるコミュニティがあり、起業に関しての情報を発信する者が山のようにおり、誰でも家にいながら『起業』を知ることができる。お金の稼ぎ方を学ぶことができる。

でも僕はこうも思う。スマホひとつで『学ぶことができてしまう』世の中は本当に豊かなのか。

実際に個人でお金を稼いでいる人間は「稼ぎ方を知っていること」と「実際に稼ぐこと」に天と地の差があることは痛いほど理解している。「わかる」と「できる」は違うということを。

ブロガーとして稼げて初めて「ブログを書いているだけじゃダメだ」と知った


僕は稼ぐことを自分の足を動かしながら学んだ。

「個人で稼ぎたい」と思った7年前は、今のようにSNSやブログに情報が落ちていなかったから(実際にはたくさんあっただろうけど、当時の僕は見つけることができなかった)、ブログで稼いでいる人に「教えてくれ」と頭を下げてお金を払って教えてもらった。

その人に教えてもらっている間、他のブロガーの情報なんて一切見ることもなく、その人に言われたことだけを愚直にやっていた。

実際に稼げるようになったのは忘れもしない7年前の12月30日。

彼女とデートにきていた遊園地の観覧車の前で、僕の書いたブログから自分の商品が売れた。

メールで通知が来たまさにその瞬間、自分の言葉でお金を稼ぐ初めての経験をした。

雪がパラパラと舞う曇り空の下、大きな観覧車がぐおんぐおんと音を立てながら回っていた景色を、今でもはっきりと思い出せる。

「何してるの、早くいくよ」と手を引こうとした彼女の手を振り解き、「ちょっとまって」とスマホの画面を見つめていた。あの瞬間の感覚は忘れられない。

高揚感も束の間、観覧車がてっぺんに差し掛かる頃には「このままじゃダメだ」と感じている自分がいた。

どうしても今の自分がこのビジネスで生計を立てて独立している姿が想像できない。ブログの書き方はオンラインで教わっていた。オンラインの限界を感じたのだ。

僕にブログの書き方を教えてくれた人は東京に住んでいて、東京には僕と同じようにブログを使ってお金を稼ぎたい人たちが直接集まっているコミュニティがあるらしかった。

その人によると、実際に僕のやっていることで40万円とか80万円とかを月に稼ぐ大学生やら主婦がゴロゴロいると。

実際に稼いでいる人間がいるということは頭では理解していたけど、同時に「頭で理解しているだけじゃダメだ、この目で見ないと」という感情に駆られた。

直接会って教わりたかった。

観覧車を降りてすぐに彼女に僕は言った。「俺東京行くわ。」彼女は困惑していたが、僕が毎日12時間以上コメダコーヒーに通ってブログを書いていたことを知っていたので、「これ以上お金は貸さないからね」とだけ言って離れて暮らすことを了承してくれた。

そうして僕は観覧車が1周するまでの時間で上京を決めた。足を動かさなければ得られない生きた情報を得るために、人生を賭けた。

そのおかげで今の自分がいることは間違いない。


発信者の本当に伝えたいことは文章だけではわからない

『生きた情報』とは五感で感じる情報のことだ。僕がブログやラジオで発信していることに嘘偽りは全くないのだけれど、それでも「文字や音声にできる」という意味では一部でしかない。

東京にいた当時の僕の師匠は、教材とLINE電話でノウハウの全てを教えてくれた。そして僕はその気持ちに応えるように手を動かし、自分の力でお金を稼ぐという経験を手に入れた。

ただ、「これで生きていける」という確証までは、手を動かすだけでは得られなかった。

稼ぐことは知識やノウハウさえあれば1人でやることもできる。手を動かせばいい。

僕はなんのために東京に行ったのか。それは「実際に稼いでいる人間をこの目で見て、一緒に時間を過ごして、五感で感じ取らないとこの先に進めない」と思ったからだった。

この感覚がここ数年の社会の『リモート化』によって、人々の中からどんどん薄くなっているような印象を受ける。

スマホでいいじゃん、人に会うの危ないし。家にいたらいいじゃん、わざわざ外に行くのめんどくさいし。オンラインで十分学べるでしょって。

そんな人々の需要を満たすようなサービスがどんどん作り出され、「家にいながら起業を学べる」ことは当たり前になった。

でも僕は、「人間という生き物そのものがオンラインに対応できるように作られていないのではないか?」と思っている。


人間は「見よう見まね」で技術を向上させてきた種族である


そもそも論、人間は社会的な動物で、周りの個体の身振り手振りをまねることで技術を身につけ、狩りや農耕をし、発展してきた。

人間とは環境に大きく左右される生き物で、たとえ正しい知識やノウハウを持ったところで、直接関わっている人の顔ぶれが変わらなければ、本当の意味で自分を変えることはできない。

僕は東京に行って、実際にブログで稼いでいる人とたくさん知り合った。僕はコミュニティのいち受講生だったから、教えを乞えば簡単に話す機会を作ることができた。

同じように学んでいる人や既に稼いでいる先輩に話を聞きに行って、ランチをし、酒を飲んだ。「この人たちも同じ人間なんだな」と感じたとき、自分にもできる気がしてきた。

僕が高単価で自分のコーチングサービスを売れるようになった時もそうだった。

仲良くなった1こ下の男の子が、「僕はバックエンドで45万円のコンサル売ってますよ」と言っていたのを聞いて、「それマジ!!??どういうこと???!!!」と食いぎみに教えたもらったからだ。

失礼な話であるけれど、「コイツにできるなら俺にもできるな」と思った。彼はどうやって売るかなどという確信めいた話は最後まで教えてくれなかったけど、僕には十分だった。

実際にその3日後、僕のコーチングは45万円で売れた。

その時の経験から僕は学んだ。商売っていうのは理屈じゃない


売ってきたからわかる「自分にもできそうだ」と思えることの価値

もちろん商売は何の理屈も知らずにできることではないし、ある程度売れるようになるまではノウハウを学ぶことだったり、誰かの下について修行することも大事だ。

だけどその先は「どれだけ確信を持っているのか」という部分が勝負で、こればっかりは人に教えてもらえるものじゃないし、ましてや「オンラインで無料の情報を集めて得られる」ものなんかじゃ決してない。

自分の足を動かして、経験をたくさん集めて、その上で理想を叶えている人間と関わって初めて得られるものだ。

と言っても、当時の僕と同じ環境にいた人たちがみな僕と同じように稼げていたわけではない。むしろ僕は目立ちまくっていた。

極端な成功例として散々もてはやされたし、セミナーにも何回も講師として登壇した。

つまり僕のケースは珍しいパターンだったのだ。

僕はどうしてあんなことができたのだろう。その答えは『飢え』ではないかと思っている。そしてこれは今日のテーマである「オンライン社会が生み出す悲劇」とも繋がる。


飢えていないと目の前にあるチャンスに気づけない

僕は常に飢えていた。実際に稼いでいる人たちと関わることに。僕の住んでいた九州の片田舎に、少なくとも僕のアクセスできる範囲には、個人で稼ぐためのノウハウや知識は落ちていなかった。

ましてや稼いでいる人なんて周りに1人もいなかった。今のように稼ぐことについて発信している人も見つからなかった。

だから高いお金を出して稼ぎ方のノウハウを買った。脇目も振らずむさぼり、自分の血肉にした。

ノウハウを食べ終わった後に、今度は「実際に生きている稼ぐ人間の声」が欲しくなった。

そのために人生を賭けて東京に行った。稼いでいる人たちの生の声は美味で美味で仕方がなかった。

欲しくてたまらないものを好きなだけどうぞ、と言われている気分。空腹でのぞむお寿司とカニのバイキング。完全にハイになって、貪り狂うように人に会いまくった。

オンライン社会は人から『飢え』を奪ったのではないか。「起業したい」という強い想いが生み出す『飢え』は、SNSなどで日々流れてくる情報を浴びることで「満足した気分になる」ことでなくなっていく。

情報がなかった時代は「自分で取りに行こう」としないと手に入らなかったものが、今ではスマホ一とつで簡単に手に入る。

本当に大事なことは「取りに行く道中で自分の足を動かすこと」だったのに。


「手を動かすことも」大事だが、もっと大事なことは「足を動かすこと」


今では一歩も動かずに貴重な情報にいくらでもアクセスできる。現実は何一つ変わっていないのに、知った気になって満足する。満足してしまう。

実際の行動といえばスマホを操作する親指くらいしか動かしていないから、お腹も空かない。新しい情報はSNSのアルゴリズムによって頼まなくてもバンバン流れてくる。

2時間ごとに家にウーバーイーツが来る想像をしてみてほしい。そのとき食べたいものが運ばれてくる生活をしていて、太るなという方が無理だろう。

家でゴロゴロしていればピザの方が歩いてくるのに、自分で歩いて好きなものを食べに行こうという気は失せてしまう。

『飢え』はどこかに消え去り、飢えなくなったことで必死になる必要もなくなり、結果として足を動かさなければ手に入らない『五感で感じる情報』にアクセスできなくなっていく。

この感覚は何も今に始まったことではなくて、僕が上京した時にも似たようなものを感じたことがある。

200人規模のセミナールームがぱんぱんになるくらい人がいたのに、そこにいる人たちはまるで飢えていなかった。

セミナールームに漂う生ぬるい空気の正体

話を聞いてみると、東京にはこんな起業スクールはごまんとあって、ここにいる人たちは「たくさんあるセミナーの一つ」としてこの場所を選んでいる。

無職で、彼女に金を借りていて、日雇いのバイトで貯めたお金を握りしめて飛行機に乗って来た僕とは、まるで状況が違っていた。

「どうしてこんなに素晴らしい環境があるのに、みんなもっと稼ごうとしないの??」とずっと思っていたけれど、今なら説明がつく。

参加者のほとんどが情報に飢えている状態ではなかったのだ。

触れられる情報の分母が、通えるセミナーの母数が、僕とは違うのだ。必死さを全く感じられなかった。

「毎週セミナーに出るけど全然ブログは書いていない人」が参加者の6割くらいいた気がする。

みんなこぞって「これから頑張ろうと思っているんです」と言っていた。彼女たちは裕福で飢えていないから、頑張る理由がない。週末のお稽古みたいな感覚だったんじゃないだろうか。

お金に裕福なのかどうかは聞いていないからわからないけれど、少なくとも情報に関しては地方の片田舎から飛んできた僕とは天と地の差があったはずだ。

結果として僕はそこにいる人の誰よりも速いスピードで稼げるようになった。飢え飢えの飢え飢えだったからだ。


どんなに質の高い情報も『飢え』に叶わない


「空腹は最高のスパイスである」という言葉があるように、どんな情報も受け手が飢えていなくては「本当のおいしさは伝わらない」のだ。

情報のシャワーを毎日浴びても現実が変わらないのは、この社会があなたを飢えさせてくれないからなのかもしれない。

本当に食べたいものを食べる前にお腹がいっぱいになって、ごろんと横になって眠くなる。目が覚めたらまた枕元に置かれたファーストフードを食べる。

味が濃くて、カロリーが高くて、栄養が少ない。そんなものを絶え間なく食べ続けていたら体を壊してしまうし、素材の味なんてわからなくなってしまう。

情報化社会はそんな状況を引き起こしているのではないか。これが今回伝えたい「情報化社会の悲劇」である。

飢えるためにはどうしたらいいのか?


さて、ここからは「飢えるために」というテーマで話を進めていく。なんだかおかしな話をしているような気がするが、飢えないことには自分の足が動かない。どうすれば『飢え』を発生させることができるのか。

その答えは簡単だ。「足を動かす」ことだ。「足を動かしたいから飢えたいのに、どういうことだよ!」と思う人もいるだろうが、もう少し我慢して聞いて欲しい。

もう一回そもそも論を考えてみよう。「個人で稼ぐ」ことの情報を集めている人は「個人で稼ぎたい」という目的があって情報を集めている。

今回問題提起をしているのは、「情報のシャワーを浴びているうちに知った気になり、足が動かなくなり、本当に必要な5感を使って得られる情報を得られず、結果として必要な情報が集まらず、個人で稼ぐと言う目的が達成されない」ということである。

そして「目的が達成されないから、さらに情報を集め、さらに知った気になり、足が動かなくなり、家から出なくなり、5感を使って得られる情報が…」という負のスパイラルにハマる。

このスパイラルをぶっ壊すためには、どこかで連鎖を止めるしかない。そのためにはどこかのタイミングで「エイヤ!!」と足を動かすしかないのだ。


足を動かせ、コストをかけろ


「個人で稼ぐ」という目的を持っている人なら、稼いでいる人に会いにいく。稼いでいる人がいるコミュニティに参加する。ここで大事なことは『対面で会う』ということだ。

オンラインで参加できるコミュニティなどに入っていたとしても、そこをきっかけに直接会いにいく。間違ってもオンラインで全ての情報を得られるとは思わないこと。直接触れて、自分の理想をすでに叶えている人間が「同じ人間である」ということを知ること。

1度や2度の対面ではそのことは腑に落ちないかもしれない。だったとしても3回でも4回でも会いにいくこと。

必ずしも同じ人やコミュニティだけでなくてもいい。とにかく現実に「自分の先をいく人がいる」ということを、頭ではなく体で理解すること。

お金をかけ、時間をかけ、労力をかけ、人に会いにいく。遠方に行く場合は宿泊費もかかるだろう。オンラインならズーム一本で終わることに、莫大なコストをかけるのだ。

「人間の学びはかけたコストに比例する」と教えてくれたのは僕の大学時代にお世話になったゼミの教授だった。教授は大学でやる授業をそのまんま個人で講座を開講して提供していた。

「お前らは平気で寝てるけど、俺の講座に金払ってくるやつに寝てるやつなんか1人もいないぞ」と笑っていた。

これは僕もビジネスを7年やってきた経験として身に染みている。コストをかけて会いにきた人は前のめりでなんとか情報を持って帰ろうとすることを。

僕は無料で人と話すことの方が難しい


むしろ僕は無料で人と話すことの方が苦手なくらいだ。コストが掛かっていない対話は、価値を持って帰ってもらうことが逆に難しい。『飢え』の度合いが人によって違いすぎるからだ。

「飢えているからコストをかけて学びにきている」というのも正しいのだけれど、逆もまた真なりで、「コストをかけるから飢える」ということも同じように正しい。

感覚的には信じられないかもしれないけれど、人はコストをかけた対象のことを好きになる。好きになるからコストをかけるのではなくて、コストをかけるから好きになる。

この理論を逆手に取るのだ。「個人でお金を稼ぐこと」を学びたいなら、学ぶためにお金と時間と労力をかける。「オンラインで学ぶ」ことでは、お金以外のコストがかかりにくい。

現に僕も最近、ビジネスを1から学び直そうと思ってあるオンラインサロンに入った。動画が見放題、とのことだったが実際に動画を見たのは2日くらいで、あとは何もせずに会費を3ヶ月払い続けて退会してしまった。

動画をたくさん見られることに満足してしまったのだ。

本当に学ぶ気があったならそのコミュニティのオフ会にでも参加すればよかったのだが、あいにく日程が合わずに参加できないまま先に熱が冷めてしまった。

人間の興味や熱は生物だから、タイミングを逃すと再燃させることは難しい。


ハングリー精神が尽きる前にコストをかけろ


だから熱があるうちに、コストをかけられるだけかけておいた方がいい。投資の本を読んだらすぐに証券口座を解説して、1円でもいいから入金する。そうすると投資の勉強がもっと進む。

これも僕の最近の実体験だ。実際に自分のお金を運用しているので、いやでもドル円レートや指数の変動に目がいくようになる。コストをかけているからだ。人ごとじゃない。

つまり、「足を動かす」とは「コストをかける」ことである。ここで言うコストは「お金・時間・労力」のことで、決してお金のことだけではない。

情報のシャワーを浴び続けることが問題なのは、シャワーを浴びることには時間以外のコストがかからないからだ。


人が変わる瞬間

僕はライフコーチとしてたくさんの人の『変わる瞬間』を見てきた。どうやら人間は変化するに値しないコストを払わない限り、変化は起きないみたいだ。変化する人は必ず相応のコストを支払っている。

コストを先に支払わない限り変化はないのだ。宝くじは買わなければ当たらない。情報も同じで、その辺に落ちている無料の情報で人生がどうにかなるなんて思わない方がいい。どんな情報も、受け手が飢えていなければ無意味だ。

「これから頑張ろう」と思いながらずっと情報をウォッチしているあなたに足りないのは、情報ではなくて『飢え』なのかもしれない。


あとがき


僕は飢えている人との対話が好きです。「自分で稼げるようになって理想の暮らしがしたい」「人生を変えるためにビジネスをやりたい」という強い気持ちを持っている人と話すと、僕もハングリーな気持ちを思い出せるんですよね。もちろん気持ちだけでお金を稼げるってわけじゃないですけど、僕は曲がりなりにも「個人でお金を稼いで生活する」って言うことに関しては7年やってきているので、『コーチとして話を聞く』以上のことができます。

僕にとってのコーチングとは「その人が叶えたい未来に辿り着くために必要なことを関わりの中で提供する」というものなので、「うんうん」と頷きながら話を聞くことだけがコーチングじゃないと思っているんですよね。特に「個人で稼ぐ」と言う部分に関しては、経験しているからこその直感が働きます。だからこそ僕と対話する意味があるのだと思います。

僕は起業する前はスポーツ選手をやっていたのですが、あるレジェンドアスリートと日本選手権という舞台で対峙したことがありました。その試合で彼は引退をしたので、最後に僕たち若手の選手と力強く握手をしてくれたのです。その時に彼から「最後の試技、よく攻めてたね。いい動きだったよ」と言葉をもらい、そのたった一言で自分が今までやってきたことが全て報われた気がしました。

残念ながらその年に僕も色々あって競技をやめてしまったのですが、第一線で活躍し続けている彼からの言葉は一生忘れられません。「経験者の一言ってこんなに重いんだ」と感じたできごとが、僕のコーチングの原点でもあります。

もちろんコーチとしての技術を使って違う畑で活躍する人の支援をすることも素晴らしいと思うのですが、僕は自分が「個人で稼ぐ」ということを第一線でやり続けているからこそできる対話を提供したいと考えています。

自分でアクセスできる情報には「現段階の自分が問題だと思うこと」までにしか届きません。自分では認知していない課題に関する情報を自力で集めることはできないのです。僕たち人間は自分の良さでさえ自分でわからないし、「理想を叶えるために何が必要か?」という問いですら1人でやり続けることは難しいです。

成功には必ず協力者が必要で、協力者は自分の目指す道の経験者であればあるほど良くて、実際に経験している人間と「そっちに行くためにはどうしたらいいだろう」という対話が、一番効くと思っています。

僕は僕が歩いてきた道を目指している人、そして僕との対話を心の底から求めている人と出会い、協力し、理想を叶えていくプロセスがとても好きです。好きだからきっと7年も続いているのでしょう。この文章を読んだ誰かとまたつながって、「どうしたら理想に一歩でも近づけるだろう」と対話をする姿を想像しながら、今回の話を終わろうかと思います。




最後まで読んでいただいてありがとうございました。ぜひスキやコメントで「最後まで読んだったぜ!」という印を残していってもらえると幸いです。すでに僕と対話の予定が入っているあなたは、次回話す時に「note読んだぜ!」とお伝えください。

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それでは!今日は8500文字も読んでくれてありがとうございました!また書きますので、また読んでくださいや!以上です。


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