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「いつまでも若くいたい」という勘違い。

僕は「老け顔」属性である。
男35歳。
多分、世間的には"「おじ」の玄関を開けて、靴を脱いだ"くらいの位置にいるだろう。

しかし僕の見た目は、
もう既に居間まで行ってソファに横になっちゃってるのだ。(推定40代前半)

思い起こせば、中学生の夏に同級生と市民プールに遊びに行った際
5人で行って、最後尾に並んだ僕は前の友人に並んでチケットを買おうとしたところ、「大人の方は⚪︎⚪︎円ですねぇ〜」と、僕だけ別料金を提示された始末だ。

けどそんな自分が嫌と思ったことは人生で一度たりとない。

大好きな髭だって似合うし、安い服を着てもチープに見えない。
どこへ行っても、何をやっても人には安心感を与える。

しかし、他人からの「若さこそ正義」アピールに疲弊することはよくある。
僕が年齢を言うとちょっと鼻で笑いながら、

「えn!年下〜n?見えnなぁ〜いn!私より年上かと思ったnぁ〜n!⭐️」

なんかちょっと語尾に「n」をつける系の化石ギャルみたいなオバに言われる。
うむ、良くもまぁ綺麗に自分を棚に上げたな。
もしかして、棚にあげたは良いけど、届かない上に置いたこと(老いたこと)を忘れちゃってるな?

この社会では未だにルッキズムに支配されている側面もあって
美容やファッションに関心のない奴は論外みたいな思想も一部あったりする。
多少は仕方がない。
そもそも人の印象は(特に第一印象)見た目が大部分を占めると言う論文もあるくらいだ。

ただ、それは個人が受ける印象の話であって、
その比較の基準値がタレントやモデル、アイドルにあってはいけない。
そこにコンプレックスを持ってしまえば、老いるほどに幸福度が下がっていく一方ではないか?と思う。

見た目が老いることに抗うことで、時間の経過そのものを否定することになる。
もし、抗えなくなった未来が来たらどうするのだろうか?
整形がそう言う意味で老化の抑止となるのだろうか。

見た目の若さを求めると言うのは、未来の自分を否定し続けることになる。
一番大切にしなくてはいけない自分自身に嘘をつき続けなくてはいけなくなる。

しわしわの顔が美しいって言われる人になりたいし、みんなもそうであるといいよ。

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