"男"と"女"はいなくなる?

 またお久しぶりです、こんにちは。先日、家庭内で感染した人が出たため、現在自宅に幽閉されている私でございます。体調に変化はありませんが、インフルエンザとかならかかってもゲームできるし問題ないかな、と楽観的に過ごしている次第。しかし文房具店のセールに行けなかったことは心残りですね。アマ〇ンで買うより安くなってたってのに……致し方ない。

 さて、今回は題名のインパクト優先みたいな節があります。つまり題名ほど過激な内容が続くことはありません。少し前に学んだジャック・ラカンの名言に似たような言葉がありました。私はまだまだ学不足なので、そこには言及しないでおきましょう。
 あと、私の記事の中で「男と女」を扱うものはこれで二本目になります。この記事はそれの続編のような位置取りなので、もしかするとそちらも併せて読むと理解が捗るのかもしれませんね。

1.最近の性別に対する風潮

 近年では性差的なものに人間が敏感になってきて、基本的にジェンダーフリーを優先する形が流行っているように思えます。ファッションデザインも男女共用が多いので、ファッション弱者の私は選択肢が増えて混乱するばかり。これは完全に私が悪いですね、はい。
 LGBTとかの性的少数者? とかへの配慮も進んでいて、どんな人であっても生きやすい世の中になりつつある……というか、そうなろうとしていることが伝わってきます。実際に生きやすいかどうかについては、私の判断することでもないし聡くないのでノーコメントとして、努力は様々な場所で見られますね。男女に限らず固定概念の除去がブームというか、多様性を認め合うことが主流の世の中になってきて、ぼっちの私もたまに恩恵にあやかっております。
 で、LGBTは今ものすごい数に増えていて、LGBTQQIAAPPO2S とかもあるらしいです。多様性の尊重……すっごい尊重してるなぁって、字面から分かりますよね。第三の性を持っている人やら、性別のない人やら、両性の人やら、とにかく色々います。ポケモンのタイプよりいるかもしれません。いや、流石にまだか?

2.男らしさ、女らしさ

 このLGBT(省略)なんですけど、過去私が指摘した通り男女の偏見、差別を基に成り立っている概念という側面があります。男らしい女って、「男らしい」って先入観がないと気づけない属性だよな、という話です。それについては多分私の前の記事が言っているので任せましょう。
 とにもかくにも、結構色んな所で「ジェンダーはよくない」と言っている割には男らしさとか女らしさとかが共通認識としてまだ残っている。そういった状況です。これに関しては、もし取り除きたいんだったら一世紀くらい時間作って、その最中に男女に関することを言うのを一切禁止するとか、それくらいトンデモな方法を使わなきゃ消せない事象でしょうし、別に私は困っていないので大丈夫です。いや、困っている人がいたら頑張ってください。ただ、こういった概念がある程度あると概念を把握しやすくて有難い時もあるよな、と。それくらい薄い認識です。形としてはちょっと歪ですけどね。歪だからこそ、"男"と"女"がいなくなると。ここでタイトル回収ですよ?

3."男"と"女"の意味

 現在、使われている男と女という単語には、勿論男らしさと女らしさという先入観が含蓄されています。詳しい意味についてはちょっとご自宅の広辞苑をお引きください。私はやりたくないです。
 男らしさと女らしさについては、はっきり言ってジェンダーが色濃く映されたものなので現代ではあまり好まれない概念ではないかなと思います。かと言って、男と女という名称から削除するのも面倒ということで。男と女は言葉として(男らしさ、女らしさまで含めて)使っていくけど、ジェンダーは解放していくよ、という動きを続けるとどうなるか?
 A.言葉の意味から性別的な概念が消え去ります。

 ……と一言で言っても私が何を考えているのかは伝わらないですよね。頑張って説明します。
 まず、男らしさ、女らしさという概念があると有難い時がある、というのはどういうことか。これは、例えば自己紹介で役立ちます。自分が男って言っておけば、まぁメイクの話題振っても盛り上がれないんだろうな、とか、スポーツとか一緒にやっていけたらいいな、とか思えるじゃないですか。反対に女って言っておけば下ネタとか避けるでしょうし、ドッジボールで狙うときもちょっと手加減するっていう良心の呵責が生まれますし。その先入観通りに扱われる、って結構楽だと思います。
 うーん、いかんせん言葉が悪いですね。まぁ言い換えて、肩書として使える、とか、グループに所属できる、とかで良いんじゃないでしょうか。自分が何かのグループに所属する時って、そのグループに世間が抱いている印象とか共通概念に沿って自分を扱ってほしい時だと思うんです。ここで言うグループってのは必ずしもコミュニティとして確立している団体とかではなく、右寄り左寄りとか、勤勉であるとか、むしろそっちの方を指します。私はあんまりこういうグループに所属するのが嫌なんですけど、一々自分の性格とか思考とかを人に説明するのが面倒なので手っ取り早く「唯心論で懐疑主義です」とか言うことがありますが、これですね。自分をグループに所属させるという行為は、ある程度自分とそのグループに連関性があって、そのグループと価値観やら印象やらを共有していいと思える瞬間なんです。あくまで私が言っているだけですけどね? 恐らく皆さんこんな詳しく考えてないと思いますけどね?
 だから、自分が男ってグループに所属するのは、男の印象やら社会的な立場やら何やらと自分を紐づけしたい時なんです。トランスジェンダーの方は、自分の生物的な性で勝手に紐づけされた社会的な性とあんまりシンパシーを感じないもんで、もう片方にして楽に生きようって、多分そういうことです。あんまりこんなフランクかつ軽く触れていいラインではないことは重々承知ですけど、お許しを。
 その上で私の想像、というか今これを言うと提案チックなんですけど、男と女から生物学的な性という意味は消えるんじゃないか、と。このまま社会が進むとね? 消したら良いんじゃないですか? と。だってそうすれば性別がどうのって一々面倒なプロセス踏む必要も無くなりますし、元々根付いていた偏見も肩書に流用できちゃうし、案外悪くないのでは、と考える次第です。(何度でも言いたいんですけど、わざわざこんな婉曲に考えなくても、今現在その風潮は表れていると思います。面倒なことで色々悩むのは私みたいな物好きだけで十分です)

 じゃあ、生物学的な性を表す時は何を使いましょう?
 これは簡単です。動物の性別には男とか女はあまり使いません。そうですね、雄と雌を使えばいいんです。どうせ人間も生物ですから。生物学的な方は雌雄を使って、男女は抜け殻を有効活用する。これで万事解決というわけです。
 ……と考えついて思ったんですけど、英語圏で性別とか表す時ってあんまりmen, women使わずにmale, female使いますよね。やっぱり先人は偉大だなぁと思います。

4.おわりに

 今回の話、多分大多数の人は言語化するまでもなく心で理解できているんですよね。生きててそう感じます。なのでこの記事の正体は、私が前に記事に書いた疑問に対する私としてのアンサーです。つまり独り言というわけです。うん、いつもと変わりませんね。
 男と女という意味、多分一〇年前からかなり変化しているんだと思います。時代の変化で言葉の意味が変わることはよくあること(だと思うん)ですが、こう目の当たりにするとえも言えない喪失感を覚えますね。しかし、失われるニュアンスもあれば得るニュアンスもあるわけで、新しい言葉の趣を味わっていく方が楽に生きられるでしょうから、そのような形で努力しようと思います。

 次回はどうしましょう。この話をもうちょっと広げて、ジャック・ラカンの三界っぽい話でもしましょうか? まぁ、次のことは次の私に託しましょうか。
 では、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?