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「幻影制作術」としての

 わたしは以前「表現について」というテキストで「情報」を意味する"information"という語を持ち出したのですが、今回はその背景にあった「フォーム」ついて、谷川渥『美のバロキスム 芸術学講義』(武蔵野美術大学出版局、2006年)https://www.musabi.co.jp/books/b163174/の一章「絵画のフォルムとアンフォルム」を参考に、古代ギリシャの哲学者プラトンのイデア論から、第二次世界大戦後のアートシーンを風靡した「フォーマリズム」までを通して考えていきます。

 まずはプラトンのイデア論ですが、たとえばわたしがここで紙とペンを持って正三角形を描いたとして、ここで描かれた正三角形は純粋に完全な正三角形でしょうか。そうとは言い切れないはずです。何より手仕事ですからブレもありましょうし、よしんば定規を使っていたとしても、紙にインクがにじんでいたり、なにかしら物質的なひずみが起こってしまいます。そもそも図形には太さが存在してはならないはずですが、現実には太さの無い線を引くことなどは不可能と言えます。
 ここでプラトンは、わたしたちが生きているこの現実世界と区別して「イデア界」なるものを設定します。天上に理想の世界があるというわけですね。今回の例では、イデア界には純粋に完全な、真の正三角形が存在し、それを正三角形のイデアと呼ぶことができるでしょう。

 同じように立方体についても考えてみましょう。立方体は正六面体なので六つの面ありますが、一つの視点しか持たないわたしたちは一度に三面までしか見ることができません。わたしたちがそれを立方体であると認識するためには、その立方体を回してみるか、立方体の周りを回ってみるか、いずれにせよ面の数を数えて綜合的に判断するしかありません。
 それに対して立方体のイデアは、「あらゆる視点、無限の視点からこの六面体を眺めたときに現れてくるであろうような形」(p,8)と言えます。そのような形は現実世界に現象しませんし、当然絵に描くことはできません。

 しかしどうでしょう。わたしたちは実際に立方体の絵を描くことは可能ですし、なんならその立方体の絵に陰影をつけることで立体感を演出して本物らしく見せることもできるでしょう。じつはわたしは絵がうまいのです。ところがプラトンは、ギリシア語で「スキアグラフィア」と呼ばれる、このような陰影のついた絵を批判します。というのも、影は右から光が入ってきている場合には左に伸びますよね。反対に左から光が入ってきている場合には右に伸びていくわけです。このように、刻々と移り変わる現象のうち、ある場合だけを恣意的に取り出して本物そっくりだと見做すことをプラトンは拒否します。プラトンにとって絵画とは、イデア界のコピーにすぎないわたしたちが生きている世界の、そのまたコピーであって、つまりプラトンにとっての絵画は、到達すべきイデアから二重に遠いものなのです。

 反対に、本来は不可能なのですが、古代ローマの建築家ウィトルウィウスの『建築書』をもとに描かれたレオナルド・ダ・ヴィンチの《人体のプロポーションのカノン》(1485~90年頃)のように、イデアをそのまま形に写したものを「エイコン」と呼びます。フランス語で「コピー」と訳される「エイコン」は後に、キリストの正面像や神の像を指してビザンティンで「イコン」と呼ばれます。これは、その都度わたしたちの世界に現象するあり方をプラトンが「ファンタスマ」呼んだもの(フランス語では「シミュラークル」と訳されます)と対になっています。例としては葛飾北斎の《北斎漫画》が挙げられていますね。その都度の人間の動きが表現された絵です。ちなみに、「ファンタスマ」にすぎないものをいかにも写実的に、本物らしく描く技術のことは「ファンタスティケー」と呼ばれ、著者の谷川渥は「幻影制作術」と日本語訳しています。
 整理すると、イデアをそのまま写した設計図のようなものをエイコンと呼び、反対に、その都度現れてくるアスペクトを見せるものをファンタスマと呼んだのです。

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