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排泄ケアとは一体何なのか?

こんばんは!
埼玉県で介護福祉士をしている大西です!

今回のテーマは「排泄ケア」です。
「排泄」って、介護の原点にして人間の根本でもありますよね。

それでは第228弾です、よろしくお願いします!!

排泄ケアの意味とは?

介護における排泄ケアとは何でしょう?

本日こんなtweetをしました。

排泄ケアって、汚れてしまったものを綺麗にするもの、おむつやパットを交換するもの、と思われる方もいるかもしれません。

しかしそれって、実はそれだけじゃ正しく無くて本人の「快不快の原則」に基づいた支援をすることが排泄ケアなんですね。

ただオムツ交換やトイレでパットを交換するだけでは、ただの「後始末」に過ぎなくなってしまいます。

そして、それこそが「人を最も人たらしめる」行為なのではないか?
と考えています。

人が人であるため、不快では無く「快」の状態でいるために。

その為に必要な行為ではないかと思うんですね。

それでは何故「人間的行為」として必要なのか深堀りしていきます。

生理的欲求は心身に直結する

僕たちって、お腹が空くとイライラしたり、物事に集中できなくなったりしますよね。

僕たちって、寝不足になるとストレスが溜まりやすくなるし、注意力が散漫になりますよね。

では、トイレを我慢すると僕たちはどうなるのでしょう?

最終的には我慢できずに漏らしてしまうでしょう。

そう、この「漏らしてしまう」というのが肝心です。

もれちゃうんですよ。

という事は、最初は我慢しているんです。

我慢してるんです(笑)

トイレを我慢するとどうですか?

いらいらする?焦燥感にかられる?
集中できない?仕事が雑になる?


排泄という生理的欲求を我慢するのって、とても「不快」なはずなんです。

我慢することにより、意識や心にも影響しますし、体は緊張し、お腹は痛くなり、最終的に漏らしてしまうと皮膚感覚が弱くなったりします。

僕たちですらそうです。

ではお年寄りはどうでしょうか?

もちろん体の機能的に衰えるのは仕方がありません。

では、環境的に我慢を強いられ、漏らす事を強要されたらどうでしょうか??

答えは「我慢するという苦痛を無くし、最初から漏らし皮膚感覚をマヒさせる」んですね。

もちろん一部の例かもしれませんが、これは事実あります。

生理的欲求を我慢する、というのは心だけでなく体に苦痛を生みます。

漏らしてしまったところで、お腹は痛くならないし脳みそは「トイレに行け!!」という信号を出し続け苦しくすることはありません。

そう、これが排泄という生理的欲求を我慢した行く末です。

心、体に直結する。
それが排泄なんです。

快不快を守れ!!

排泄の生理的欲求について書いていきましたが、僕たち介護職のすべき仕事はそこを守る事です。

いつまでも気持ちよく、心を殺さずに気持ちよく過ごせるための支援。

それが排泄ケアなのでは無いでしょうか。

現実、不快であることを訴えられないお年寄りのかたもいます。

現実、不快をキャッチするのが難しい方もいます。

だからこそ難しく、日々の観察、タイミング、関りによる感覚的な変化をキャッチしなくてはいけないのです。

それが排泄ケアなのでは無いでしょうか。
少なくとも僕はそう思います。

医療が命を支える仕事なら、介護は生活を支える仕事。

命も難しけど、生活も難しい。

僕たち介護職は、今後より一層「生活とは何か?」「人間とは何か?」を考えなくてはいけませんね。

今回はそんな話でした。


それでは今回も読んで頂きありがとうございます!!

次回もまたよろしくお願いします!!

未来を創る介護福祉士 大西

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