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己のフィロソフィーを語れ

こんばんは!

埼玉県で介護福祉士をしている大西です!

なんとですね、本日で24歳を迎えることが出来ました。

これも皆様のおかげです、本当にありがとうございます!


、、、さて、自分で言っておいて「皆様のおかげで」と言う言葉、好きなんですけどあまり好んで使いません(笑)

それは何故か

それは、人は人と関わることで構築されますが、なんかこの言葉には自分の努力や考えが含まれていないように感じるからなんですね。

(めちゃくちゃ努力した上での謙遜なら好き)

僕たち人間は、人と人との間に暮らし複雑な関係性や考えで構築されています。

この「複雑さ」を捉えていく為に、今後自己流のフィロソフィー(哲学)をたまに発信してみようと思います。

というわけで、今回のテーマは「フィロソフィー」です、第67弾よろしくお願いします。



己のフィロソフィーを語れ

皆さん、『哲学』はお好きですか?

僕は結構好きです。

哲学というより「誰かの言葉」が好きなのかもしれません(笑)

哲学って、その人の生きてきた中で得た真理や人生観が詰まっていると感じるんですね。

だから、好きなのかもしれません。

ただ、何かを成し遂げた人ならまだしも、何者でもない人が哲学を発信するなんて、中々想像出来ないですよね。

それくらい「哲学」って固くてなんか難しそうなものなんでしょうね。


そこで今回、せっかく24歳になったのでこの歳は『自己流の哲学』を時たま語ってみようと思います。

きっとみんな、内側に秘めているものや瞬間で過ぎ去る思考ってたーくさんあると思うんですね。

「哲学」という形で発信するのって、実は結構重要なんじゃないかと思います。

是非興味が出た方がいれば、ネットで偉人の哲学を調べてみると面白いかもしれませんよ。



人と人間の違い

大西流フィロソフィーで、酔っ払った時に大体言うことがあります。

それは「人と人間の違い」です

人と人間、いや同じじゃん!



と、思う方!

それはそれで、良いと思います(笑)

ただ僕は、文章を作る時にこの「人」と「人間」は結構意識しているんですね。

人をただの名称として捉えている時は「人」

人に深い「何か」を捉えている時は「人間」


ではこの二つは何が違うのか?

字で見比べると一目瞭然ですが『間』という字が入っていますね。


この『間』をどう捉えて思考を巡らせるか、これが重要なのではないでしょうか。


この『間』は「あいだ」と書きます。

何かと何かの間。

人はあらゆる物に触れて、あらゆるものの狭間で生きていますよね。

人と人だったり

人と本だったり

それは仕事だったり

自然かもしれない

価値観かもしれない


あらゆる物が僕たちを取り巻き、その『あいだ』で僕たちは成長している。

だから「人」の「間」と書いて『人間』と読むんです。

自分以外の何も知らなければ、その人は『自分が人である事すら理解出来ない』のです。


なので「自分を取り巻く事情全て」が人間である事に含まれるのです。


人は何かに触れ、人と人との間で生きるからこそ人間でいられる。


そんな哲学めいたことを、普段考えたりしています。      

臭すぎ(笑)


というわけで、今回も読んでいただきありがとうございます!

今後もたまーに、自己流フィロソフィーの発信をしていきます。

己の価値観が出せる世界がくるように、まずは自分の価値観を発信していこうと思います(迷惑にならない程度に)


是非次回も宜しくお願いします!

未来を創る介護福祉士 大西




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