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関係性の尊さ

こんにちは!

埼玉県で介護福祉士をしている大西です!

今日は2回目の投稿ですが、書きたいことがあったので短いですが投稿していきます。

第55弾、よろしくお願いします。


人の命は尊い

昨日の夜勤明けでこんな事がありました。

ここ1ヶ月ほど、ろくにご飯を食べないおばあちゃんがいます。

飲み物もあまり飲まなくて、食事は数口。

それが一ヶ月です。

まだ立ったりトイレに行ったりする事は出来ます。
話もしっかり出来るし、冗談を言えば笑ったりするんです。

家族の希望は自然のままに、点滴や捕食は望まないという方針。
しかも遠方に住んでおりすぐに面会に来れる状況ではありません。

「最近食事を摂らなくて、、、」
「自然のままでいいです。。」

CMさんも色々電話してくれますが、上手く理解されてるか。。

CM、現場職員(少なくとも何人かは)としては何か出来ることが無いか常に考えていました。

確かに時期的に、年的に、老衰だろう、そう言われたらそうなんでしょう。

でもね、本当にこのままで良いのかな?

ずっとそう思っていました。

死ぬから食べない

以前にも書きましたが、そう言われたらそうなのかもしれない。

でも、生活を支える中で
「本当にこれで終わりなのか?」

「何も出来ないのか?」

まだ何か尽くせる手がある気がして。

確かに近い将来亡くなるとは思います。

でも何もせず、「食べないから仕方ない」で終わらせるのが介護なのでしょうか?

僕はそうじゃないと思います。

何が出来るか?したい事は無いのか?会いたい人は?食べたいものは?

とにかく考えるのが介護ではないでしょうか。

そんな生活の中、どうやら週に一回出るパンとデザートの果物だけは食べる事がわかりました。

CMの人も気付いたようで、家族に連絡。

面会はすぐには出来ないから、電話だけでもとりあえず、、、と。

心の中でガッツポーズでした。

これで、これでもしかしたら何か変わるかもしれない。

何を聞いても特に希望はない、と答える方です。

もし現状は変わらなくても、少なくとも家族の方と話を出来るだけでも本人にとって、何か良い影響がこれからあるかもしれない。

いつ亡くなるかなんてわからない歳で、何もないまま過ごして命を終えるより、最後に少しでも「心理的な安心」を感じてもらえたら。

そう思うのは悪い事でしょうか?

人の命は、特に介護現場では介護士達の裁量でいとも簡単に操作されます。

希望が無いから何もしなくても良い。

そうでしょうか。

最後の迎え方くらい、真剣に考えていきたいものですね。


家族としての顔、施設での顔

そんなこんなで昨日、電話をされました。

結論から言うと「やっぱり人には役割がある」

です。

どういうことかと言うと、そのおばあちゃんは、施設ではやはり1入居者の一人です。

色んな知らない人がいる中で、ひっそりと、静かに自分のペースで過ごしていました。

なので、日頃の関わりは比較的薄い方でした(他の方も残念ながら薄いが)

それが、電話をしている様子を見たら「やっぱり家族なんだな」と感じました。

浮腫んだ手で受話器を持って
普段よりも優しい目で
相槌を打つ声はしっかりしていて

心配させないようにか、「私は大丈夫、風邪も引かないし元気だよ」なんて

いやいや、1ヶ月もろくに食べてないのに!!本当は転んで腰が痛くて痛み止め飲んでるのに!!

元気でね、ありがとう

なんて、どうして言えるんだろう?

相槌を打つ声は、「うんうん」から時折力強い「うん!」「う〜ん!」なんて、驚いたり納得したり、とてもご飯を食べてない人とは思えなくて、それでいて見てると何だか尊くて切なくて。

家族の方の話している事はわかりませんが、話し手が変わったのでしょう。

「わかるよ、○○ちゃんでしょ?

なんてずるいわ。

思わず泣きそうになりました(本当は少し泣いてた笑)

これが介護現場です。

日頃から生活を支えているお年寄りの、施設じゃわからない顔が見れる。

尊くて儚い、これが介護です。

残念ながら今日はお休みで施設には行っていませんが、また明日が楽しみです。

介護士で良かったです。


今回も読んで頂いてありがとうございます。

今後も介護の魅力や意味を書き続けられたらな、と思います。

未来を創る介護福祉士 大西

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