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相手の正義に没入してはいけない

こんばんは!
埼玉県で介護福祉士をしている大西です


思い立ったことがあったので書いていきたいと思います。
「相手には相手の正義がある」

という話です。良かったら読んでください。

参考にするのは良いが、没入してはいけない。

そんな相手の価値観・正しさの話です。


それでは第70弾よろしくお願いします。




価値観は切り離せ

以前から違和感を感じていた事の正体がやっとわかりました。

よく意見交換をする光景って見ませんか?
それ自体はとても良いことなんですが、強い人の意見に自分の意見が傾いて行ってしまう人、いませんか?

なんか、それってすごく危険だなぁと感じるんですね。

ダメっていう事ではないんですが、誰かの話や意見を聞いてそこで気づいてわかる事もあるし、参考になると思うんですね。

しかし、それだと最終的に自分が損するだけでは?


と感じるんですね。

相手の話し、価値観に触れる時、自分の価値観とは切り離して考えたほうが良いんですね。


信用を失う価値観の罠


僕が一番危険だと感じるのは


「信用を失う」

これです。

一見相手の話を聞いて理解しているように見えますよね。

誰かの意見を真に受け、それが正しい事であるかのように語り継いでしまう。

それを見た周囲はどう感じるでしょうか?

「あぁ、自分の意見が無いんだな」


と思うのではないでしょうか。

もちろん一概にそうとは言えませんが、その人に意見を求める、もしくは参考にすることは少なくなってしまうんでは無いでしょうか。


相手の価値観に触れるのは大切ですが、それをまるまる自分の意見にしてしまわないよう、気を付けると良いかもしれませんね。


正義の語り部


さて、意見を聞く側の話をしてきましたがそれでは「話す側」はどのような状態なのでしょうか?


まず、語り部側には3つの状態に分類されると感じます。

1・それが正しいと信じ込んでいいる

2・自分が得をするように思考回路が構築されている

3・自信が無いので仲間を増やそうとする(同調を求める)

特に1がやばいなと思い、ここに焦点をあてていきたいと思います。



自分の思考に疑問を持たない

まずこれですね。

だからこそ発言に力があるんだと思います。

本当に正しい事なら、まだ良いのかもしれませんが多くのお場合だと「ずれている」事から目を背けるために疑問を持たなくなった と感じるんですね

ある種の逃避に陥っていると言えます。


そう、思考停止してるんですね。これってすごく面白いなと思います。

一見「意見が言えてよく考えてるんだな」と思う時もあるのですが、ところがどっこい

これが落とし穴なんですね。

強い発言はある種「自分を守るため」とも捉えられます。


自分を守るために強い意見を放ち、自らの正義を守るんですね。


この時、ほとんどの場合疑問を持ちません。


これは相手が悪いわけではなく、その人も様々な環境や学びで自然とそうなったのでしょう。

その人なりの生き方で、人生なのです。


その人なりの正義で生きていると言えますね。
なのでこの場合、相手をどうこうではなくこちらで対処をしなければなりません。


他人の正義から身を守る方法

僕たちがその時出来ることは何か?


それは「距離をとる事」です



「でも職場が同じで…」とか、そういったことも考えられますね。

大丈夫です、何も物理的に距離を話す事ばかりではありません。

発言から距離をとる事で自分を守ると良いでしょう。

例えば「〇〇ってこうでしょ?だからこうあるべき」と言われたとき

「あーそういう考えもあるんですねー」といってその場を立ち去るか、ひたすら「お~」とか「なるほど~」と相槌を打つだけにとどめましょう。

間違っても肯定したりすると発言に拍車がかかります。それだけは避けましょう。(もちろん世渡りとして必要な時もあるかもしれませんが)

年功序列や発言の強い人に合わせることも必要な時もあるでしょう。
しかし、自分の意見まで合わせる必要はないですよね。


自分の精神衛生を守るのは自分なんですね。

誰かの正義に付き合い消耗しないように。

そして誰かの正義で苦しんでいる人がいたら、出来る範囲で助けられると良いなと感じます。


以上、相手の正義に没入してはいけない、でした。


未来を創る介護福祉士 大西

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