【最新作云々74】相手への愛ゆえに追い詰められてしまう"介護"という名の底無し沼... 親族介護を題材に身近な滅私奉公の現存とその是非を突きつける社会派映画『ロストケア』
結論から言おう!!・・・・・・・・・久しぶりにこんにちは。(・∀・)
つい一昨日の夜、近所の公園を走ってたら強風に煽られたのか何かでふらついて飛んでいた燕が顎先にぶつかってきて大いに面食らった、O次郎です。
今回は最新の邦画『ロストケア』です。
とある地方の町で起こった介護職員の関係する殺人事件と、そこから偶発的に明らかになった件のデイケアセンターのサービスを受けていた被介護老人達の死の真相を巡るショッキングサスペンス。
渦中の犯人を至極真っ当な生命倫理の観点から断罪する主人公ながら、愛情を込めるがゆえに自分も相手も追い込んでしまう親族介護のどうしようもない皮肉を孕んだ顔と、自らの振りかざす正論が社会の同調圧力の一片となって介護現場を追い詰めている厳然たる構造と対峙することとなります。
"介護"という誰しもが人生の何処かのステージで直面するテーマゆえに対岸の火事とは見做せない性急さがあり、犯人が如何にして"喪失の介護"を奉じるに到ったかの人生遍歴を追うミステリーとしても大変見応えの有る一本でした。
生々しい描写も伴う作品ゆえ観る人を選ぶ作品ではありますが、感想の一本として読んでいっていただければ之幸いでございます。ネタバレ含みますので予めご了承くださいませ。
それでは・・・・・・・・・・"燕返し"!!
Ⅰ. 作品概要
有能で人情にも厚い介護士の壮年男性が日々の精力的な仕事ぶりの裏で抱えていた社会の欺瞞に対する怒りと、自らの辛い親族介護の過去の体験から持つに到った生命救済倫理の実践・・・そしてそれを暴こうとする検事との相克の物語。
物語冒頭から序盤にかけてはとにかく、斯波の仕事熱心と人格者ぶりが描かれます。
意思疎通が困難な訪問先の老人や徘徊と思しき高齢者にも常に親身になるとともに気を配り、重労働や雑務を自分が率先して担当しつつも新人への指導も行き届き、親睦の席では先輩の口にクギをさしつつ、ケアの訪問先のご老人の葬儀の席ではご遺族を労いつつ故人の生前の記憶を話して哀悼の意を示す等々…….まさに朝ドラの主人公のような高潔ぶりです。
しかしそこからケアセンターの代表の男性が訪問先のお宅で不審死を遂げ、訪問先の被介護者の男性も死亡していたことから事態は急転。死亡した代表が訪問琢男性を殺害したものとして立件が勧められていたものの、大友による入念な捜査と取り調べの結果、斯波の犯行の態様が明るみに。
ギャンブル依存が過ぎた代表は仕事で手にしていた各訪問先の合鍵を使って深夜に不法侵入しては金品を盗んでおり、それとは別に要介護度の高いケア対象者の"喪失の救済"を秘かに実行に来た斯波が偶然にも鉢合わせてしまい、揉み合いとなった末に代表が階段から転げ落ちて事故死してしまったのでした…。
斯波はニコチン注射によって重い介護対象の高齢者を安楽死させていたわけですが、その累計人数はなんと42人。
その犯行が発覚したのは偶然窃盗犯と出くわしたからであり、その偶然が無ければ軒並み心不全として診断され見過ごされた過去の斯波によるロストケアの対象の老人たちの本当の死因も明らかにされなかったはず。
この偶然が無ければ斯波の独善的救済が自然の摂理としてスルーされ続けていたかもと考えるだけでも恐ろしいですが、日常的に周囲で死が訪れる高齢社会に於いてはこうした形で犯意が見過ごされ得るという経緯が現実の日本社会と照らし合わせて非常にリアリティーが有り、二重三重に恐ろしいところです。
そしてそこから芋づる式に明らかになっていく斯波の過去。
二十代のキャリア半ばで父親(演:柄本明さん)の介護に直面した彼は当初こそ前向きに父とのつきっきりの生活と向き合いますが、徘徊や暴れ回りといった父の生々しいまでの老いとその厳しい現状に対する生活保護支給の拒否という行政の無理解に心がだんだんと追い詰められていきます。
加えて何より"離婚後に男手一人で自分を育ててくれた父だから""父には自分しかいないのだから"という親への感謝と負い目が責任感という重い十字架となって斯波を自ら追い込んでいってしまいます。
私事になりますが、僕の母は僕が高校生から大学生の頃に父方の祖母(母からすると義母)を実家で介護し、一方で僕が中学生の頃には特養に入所している母方の祖母(母の実母)を毎週末のように見舞いに出掛けていました。
父方の祖母の介護に関しては相当な負担となっていた筈ですが感情的になることは殆ど無く対応していたのに対し、母方の祖母には特養を訪問するたびにもっと運動したりレクリエーションに参加したりするよう苦言を呈していた姿を思い出します。
母方の祖母に怒る母の姿は、未だ壮健だったころの祖母の剣幕そっくりであり、母にとり、実の母の衰えて気が萎えていっている姿が見ていられなかったのでしょう。
しかも高齢者の介護は育児とは真逆に、対象者が段々と動けなくなって自分の負担が重くなっていくうえ、いつまでという終わりが見えません。
介護も育児も未経験の身で言うのは恐縮なのですが、"自分の肉親を在宅で介護する"という介護者にとって結果として一番精神的に辛く過酷なスタイルをさも最も自然であるべき形としてそちらへ誘導するようなシステムや社会規範は如何なものかと本作を観て強く感じた次第です。
最終的には父方の祖母も特養へ入所しましたが、それにしても医師の紹介状等の相応の紆余曲折があったことを思い出します。
また、作中で描かれる被介護者の苦悩も相当のものであり、斯波の父は「自分がまだ自分でいられるうちに殺してくれ…何も分からなくなるのが怖い」と混濁した意識の中で斯波に訴えます。
親の側も自分の衰えていく姿を他人に見せたくは無く、それが自分の子となればなおさら。社会規範としては親子で介護し介護されるのが理想の最期とされながらも、それがお互いを苦しめるのならなんたる皮肉でしょうか。
そして「何故他の家庭にまで次々とロストケアを持ち込んだのか」という大友検事への問いに、ただただ「犯行が発覚しなかったから」と返す斯波。
取り返しのつかない過ちを犯してしまった悔恨の中でそれがなんの奇跡か罰せられなかったとしたら、あとはもう罰せられるまでその道を進むしかない、という境地なのでしょうか。
しかしながらこれまでの経緯を踏まえたうえでの「あなたは他所の家庭の家族の絆を、親子の愛情を無残に身勝手に断ち切った」という大友検事から斯波への断罪は如何にも"安全なところからの正論"に聞こえてしまいます。
その言葉を受け止めつつ「一度でも自分で介護をやってみるといい」と返す斯波の迫力は拒否し得ず、まさにその家族の絆や親子の愛情ゆえに彼我を追い詰める介護の内実を突きつけられて激高する大友の狼狽はそのまま観ている此方のそれでもあります。
さらに大友を愕然とさせるのが遺族の一人の言葉で、幼い娘を持つシングルマザーの羽村(演:坂井真紀さん)は「救われた気がしました…」と。
毎日のように粗相をする在宅介護中の母と愚図る娘に対応しつつ働かねばならない現実に心身をすり減らしていた彼女にとり、母の介護が終わったことで重々しい多重負担が減り、交際相手との再婚に向けた関係を築けたのも、結果としてであれ紛れも無い事実なのでした。
ただ、終盤に於ける彼女の交際相手の春山(演:やすさん)の「僕の方が歳がいってるからいずれ貴女に迷惑を掛けるかも…」という言葉に対する「私が貴方の迷惑になる可能性だってある」という返しは示唆に富んでおり、一方的に世話をする・世話をされるという関係性とは限らないということを意識しておくことが、単純そうに見えて非常に重要なところなのかもしれません。
そして昨今、ヤングケアラーの問題も俄かにクローズアップされていますが、本作中でもギョッとする一幕が。
ケアセンターの若手新人だった足立(演:加藤菜津さん)は尊敬していた斯波の一連の犯行を知ってそのギャップが受け止められず、そのまま職場をドロップアウトしてしまいました。
ラストは少々露悪的とも取れる驚愕のどんでん返し。
それまで斯波のロストケアを全力で否定し断罪してきた大友の姿勢は、幼少期に自分と母を捨てた父からのSOSの電話を無視し続けた結果、彼の孤独死に直面した自らの罪悪感の裏返しでもありました。
常に適度な距離感を保ち得ないと知らずの内に彼我双方に不幸を招いてしまう介護というものの難しさと、それが万人に何かの切っ掛けで降りかかり得るという現実にぐうの音も出ないのが正直なところです。
Ⅱ. おしまいに
というわけで今回は最新の邦画『ロストケア』について語りました。
以前、知人が「家族の介護に直面した時は介護はプロに預けて任せる。ただし、頻繁に会いに行くようにする。」と話していましたが、それが一つの距離感の世界なのかもしれません。
だとすれば、これだけの高齢社会となっている現実に鑑みて、親族による在宅介護を当然のものとして強制する社会常識はアップデートされて然るべきなのでしょう。
それを考えれば、普段の生活の中で目にする様々な形の介護現場に対して"かくあるべき"という先入観の眼差しを向けることが既に静かな暴力かもしれない、という気付きを得る意味でも意義深い一本だと感じました。
今回はこのへんにて。
それでは・・・・・・・・・どうぞよしなに。
※上述の『グッド・ナース』についても過去に記事書いてるのでよろしればどうぞでございます。
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