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微笑みの国と呼ばれる由縁

ベトナム縦断したり南米に1年間居住したりして、今はタイのお寺で修業中のひろみです。


今日は三日間に及ぶセレモニーの最終日。

相変わらずマスターの圧倒的な能力に圧倒され終始幸せムードで式は終わった。
初日はたくさん人がいて苦手だなと思っていた僕だが、こうして夜の瞑想とお祈りを少人数で行うと一抹の寂しさを感じざるを得ない。

この3日間本当に色ロなことがあったが、すべて通してタイが微笑みの国と呼ばれる由縁が分かったような気がした。


微笑みの国と呼ばれる由縁

タイ人の優しさ

僕はタイには今まで何度も来たことがある。
大体が小さい頃から家族旅行できていたが、一人で来るのも今回が初めてではない。

タイでの一人旅を通して何度タイ人の優しさに助けられたかわからないくらいだが、その経験からタイがとても好きになった。

数年前大学1年生の時にタイの北部にあるナーンという場所に行った。
そこは本当に田舎過ぎて飛行機の周りには文字通り何もない。

数10分歩いて建物があるような場所だった。

この時は空港からある場所までバスで移動する予定だったのだが、そもそもバス停の場所もわからなければ、バス停の場所が分かったとしても行き先を伝えることもできなかった。

そこで通行人の人にGoogle翻訳でどこに行きたいと伝えると、バス停まで案内してくれただけでなく、一緒にバスを待ち運転手に僕をどこどこで下ろすようにと伝えてくれた。
確実に目的地に着けるように他の乗客にまで伝えてくれる親切さだ。

これはほんの一例でカフェのオーナーが空港まで送ってくれたり、先日はバイクに乗ったお姉さんがお寺までのせてくれた。


今回のセレモニー中もこういった優しさに何度も触れることがあり、おかげ様で3日間楽しむことができた。

日本人も優しいとよく言われるが、僕の偏見的な視点から見ると、日本人は何となく罪悪感とか周りの目を気にしているのがその行動の動機になっているような気がする。

だが、タイ人の場合は本当に助けてあげたいという気持ちが伝わってくる。


笑顔

タイ人は笑顔がとても素敵だ。
特に田舎の少し年配の女性の笑顔はそれを見るだけで安心感をおぼえる。

普通、コミュニケーションがうまくできなかったらそのわずらわしさが表情に出てしまうが、タイ人はいつも笑顔で理解しようとしてくれる。

それ以外にもタイ人はよく笑うイメージがある。

マスターはその典型だ。
セレモニー中の様子は先日書いた通りだが、彼は日常的にもいつもジョークを言って自分で大声で笑っている。

笑顔は不思議なもので伝染する。
どれだけ不機嫌でも豪快に笑っている人を見ると自分も笑ってしまう。

セレモニー中なんか瞑想中以外の時間は常に笑い声が聞こえていたんじゃないだろうか。

その笑顔の根底にはさっき書いたタイ人の心が優しいことが関係しているのだろう。
ここにいたら表情を曇らせる時間など存在しない。


みんなで幸せを喜ぶ

セレモニー中に何度か全体の場でマスターが僕の事を紹介してくれた。

僕が席から立ち皆の方を向き、400人が僕の方を向いてお祈りをしてくれた時があった。
その時の皆の顔が今でも忘れられない。

全員が集まり、笑いあい、喜びを表現しあうホールの中で、「君も一緒に幸せになろうよ」と言われているような気分だった。

目に入る顔全てが笑顔で幸せそうだったからだ。


僕はタイ人は「幸せはみんなで共有しあうものだ」という共通認識を持っていると思う。

昨日出会ったチュスリーさんという大学教授の女性は、信者が着る白い服を持っていなかった僕に、それを買ってくれた。

僕は昨日たまたま会った日本人で僕に何かする必要はないのに、他にも瞑想の方法やマスターが何を話しているのかを横に座って丁寧に教えてくれる。

他の信者も僕とすれ違えば手を合わせて挨拶をしてくれたり、ご飯を食べたか聞いてくれたり、儀式のときには「Be happy!」と声をかけてくれた。

タイ人ではない、言葉もわからない、部外者の僕であっても近くにいれば皆自分たちの幸せを共有してくれる人たちだった。


タイは素敵な国だ。
文化を知れば知るほど、良さがどんどん見えてしまう。

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