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銭湯はワンダーランド:紫野温泉

紫野「温泉」という名をした銭湯が京都にはある。紫野温泉でなくとも、温泉という名をつけた銭湯は山ほどある。この両者の違いは、温泉法第二条によると、「自然から湧き出るお湯またはガス」であるらしい。そうなれば、銭湯とはつまりお湯を貸して儲ける公衆浴場。温泉と銭湯の二者でランク付けをするならば、温泉が上のものであることは明瞭だろう。法律的に銭湯が温泉を名乗っても良いのかはグレーなところのように感じるけれど、あまりその辺の問題は見聞きしないので大丈夫なのだろう。温泉の名を借る銭湯、虚勢を張っている感じがなんとも愛らしい。一方で僕が住むマンションは誰がどう見たってアパート然とした佇まいをしているのにもかかわらず、「マンション」と名乗っている。場所が少し不便だったり、ギターを弾いていて2度も怒られたり、そんな事情で少し私的な感情を持ち合わせているせいか、僕の住む「アパート」がマンションと名乗っていることにはなんだか腹が立つのはちょっとした余談だ。

紫野温泉は風呂の種類が多い。僕は銭湯をワンダーランドだと思っているので、お風呂の種類が多いということはつまり、東京ディズニーなにがしに勝るとも劣らないテーマパークであるということだ。普通のお風呂、ジェット風呂、ミルキー風呂、電気風呂、マッサージ風呂、露天風呂、水風呂、サウナがあった。他にももう少しあったかもしれない。銭湯のお風呂の種類を網羅しているのではないかというほどの湯の多様性には、世の中の多様性を声高に叫ぶ立憲なにがしもびっくりだ。

サウナでは千鳥とかまいたちのなんとやらという番組が流れていて、かまいたちが千鳥の大吾にバイト何やってたんですか?と質問し、「たこ焼き屋」と答えるとすかさずノブが「そのまんまじゃ」と突っ込む。確かに丸い顔をして上に青のりを乗っけている大吾はたこ焼きたちに混ざって焼かれていても気がつかないかもしれない。そんな番組を見ているとずっとサウナに入っていれそうな気がするけれど、やはり現実は甘くない。身体中から汗が吹き出してくる。限界は徐々ににじり寄ってきて、サウナを出る。汗を流し、水風呂に浸かる。身体をクールダウンさせたら、2回目のターム。サウナと水風呂に1度浸かっているおかげなのか、2回目のサウナは身体が軽く感じる。以前までは自ら灼熱の中に身を投じ、限界を迎えると今度は極寒の水中に沈むのを繰り返す行為はマゾヒズムでおおよそ共感のできない行為であったが、実際にやってみると気持ちがいい。健康になる気がする。

紫野温泉は銭湯の上が学生マンションになっており、そこに住む学生は紫野温泉に入り放題だというらしい。そのせいか、浴室の中は若者ばかりで、おじいちゃんばかりがいる銭湯のイメージからはかけ離れていた。若者であふれる紫野温泉の風景が、そのワンダーランド感により拍車をかけていたように思えた。

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