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10月が終われば、11月がやってくるらしい

10月が終われば、11月がやってきた。9月でもなく、12月でもなく、ちゃんと11月がやってきた。西へ向かう新幹線が京都を出た後に新大阪に停車するように、川の水がやがて海へと流れていくように、僕が飲み屋に入ってとりあえずビールを注文するように、11月は「これぞ予定調和だ」と言わんばかりに当たり前のツラをして、規則正しく丁寧にやってきた。そうして11月も半分が終わった。


毎月の終わりに書いている「今月が終われば、来月がやってくるらしい」も、徐々に執筆の時期が遅くなり、今月はとうとう11月の半分が終わってから10月を振り返ろうとしている有様だ。たくさんいるであろう「今月が終われば、来月がやってくるらしい」の読者やファンの方は、なかなか更新されないから気が気でなかったのではないかと思っているのだけれど、どうなのだろうか(「『10月が終われば、11月がやってくるらしい』はいつ読めるのですか?」という類のお声は不思議といただくことはなかったけれど)。


10月の初旬には、僕が大好きな写真家の仁科勝介さんを、僕のバイト先であるKéFUに招いてイベントを開催した。かつおさんと一緒に喋りながら京都の町を歩いて写真を撮るというイベントのために、東京や四国、鹿児島からも参加者が駆けつけてくださったことがなんともありがたかった。僕はただ、僕が楽しいことをしたい一心でイベントを企画しただけなのに、その企画を実現するべく協力してくれる人たちがいて、それをおもしろがってくれる人が少なからずいることは僕の今後の人生にとって救いのようなものだった。


それからは11月にKéFUで開催する予定のブックフェア(この文章を書いている今はもう、ブックフェアが終わってしまった)の準備で忙しなく時間が過ぎていった。ブックフェアに因んだポップアップコーナーというかフェアの売り場を、京都のいくつかの書店で作ってもらうべく書店を回り、挨拶をして打ち合わせをする。それらの書店を紹介する文章を書き、レイアウトする。紙を選んで買ってきて、印刷をして、切って、折って、綴じてという工程を経てとある冊子を制作した。この冊子は、大好きな京都の本屋さんへのラブレターのようなものであり、自分の将来に向けた決意表明のようなものでもある。僕はこの冊子の制作を経験したことで、文章を書き、かつ編集をして、さらに本をデザインし、挙げ句の果てには本を売りたいと思うようになった。もちろん全て自分1人で完結することなんてできはしないけれど、本が作られて誰かに届くまで、できるだけ多くの工程に関わりたいと思うようになった。いつ実現できるのかはわからないけれど、本の全てに関わりながら生きてみたい。これって欲張りなのだろうか。欲張りなのかもしれないけれど、人間なんて欲張りで上等じゃないか。


なんだかバイトばかりしているような1ヶ月だったけれど、バイトとバイトの合間を縫って城崎温泉に遊びにいったり、人生で初めてDJをしてみたり、久しぶりに美術館を梯子してみたり、いろんな飲み屋を飲み歩いたり。そう考えてみると、実のところ、僕ってこの世の中でいちばん人生を謳歌している人なのかもしれないとさえ思えてくる。

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