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酒を飲むのって、結構お金がかかる

 最近、あることに気がついた。お酒を飲むというのは、お金がかかる。暇さえあれば古着屋を巡り、めぼしいものはとりあえず買い漁っていた約2年前、給料日前はカツカツな経済状態であった。そして現在、服なんてほとんど買わなくなった。1ヶ月に1度ほど馴染みの古着屋に顔を出し、2~3ヶ月に1度くらい服を買う。1ヶ月の支出のうち、服に対する支出は大きく減少した。
 だが、給料日前にカツカツになる経済状態に変化はない。服が多くを占める支出割合の時期を経て、ライブのチケットが支出の多くを占める時期がやってきて、それが落ち着いたと思いきや、今は酒に金が消えてゆく。困ったものだ。

 大学1年生の頃は、家にお酒なんて置いていなかったので、お酒を飲む日常なんてものはなかった。それが、コロナ禍に入り、家の外でお酒を飲むことができなくなり、であれば…と家にウイスキーを置いてみた。最初は何もわからず、よく目にし、耳にするサントリーの角瓶。これを父親に話すと、「父さんでもトリスなのに、お前はいい酒を飲んでんなぁ」なんて言われて、そういうもんなのかなぁと思って、僕もトリスを置くようになった。確かに、トリスと角瓶だと、同じサントリーで同じくらいの量でも値段が2倍近く変わるのだ。
 僕よりも一足先に酒が好きだったフクナガに、手頃で美味しいウイスキーを訪ね、黒のジョニーウォーカーを教えてもらい、すぐさまリカーマウンテンへと走った。夕ご飯の買い物にスーパーへ立ち寄った際は、必ずウィルキンソンを買い、特に買い物がなくても、近くのコンビニで炭酸水を買って、夜ご飯を食べながらハイボールを飲み、食べ終わった後もちびちびと酒を飲む。このように、僕はアルコホリックへの道を進んでゆくのである。

 余談だが、味覚というものは面白いもので、酒を飲むようになると味覚とやらは一変する。小学校の頃、友達とロケット花火をしようと思い立ち、コンビニでペットボトル飲料を買った。いちばん安い小さい炭酸水を買ったのだが、これが不味くて飲めたものではない。炭酸水をそのまま炭酸水として飲む両親が信じられなかった。
 それから十数年の時を経て、僕は炭酸水をそのまま炭酸水として飲む大人になったのだ。これはハイボールを飲むようになったことがきっかけで、炭酸水そのものも美味しく感じられるようになった。味覚とは不思議なものだ。

 そして、ハイボールでは飽き足らず、缶ビールを飲むようになった。8時間フルでバイトをした時の自分へのご褒美として、夜にビールを飲むことにしていたのだが、徐々に4時間しか働いていない日でも缶ビールを買って帰るようになった。ついには、家で何もせずただだらだらと過ごしていた日でも缶ビールを買うようになった。挙げ句の果てには、外で飲んで帰った後でも缶ビールを買うようになった。ハイボールの濃度も徐々に濃くなってゆき、飲む量も増え、ウイスキーの瓶が空く速度も早くなった。外で酒を飲む頻度も増えた。しかも、梯子酒なんかして、1日に使うお金も増えた。こうなると、給料前はカツカツになるのも納得する。僕の働いたお金はお酒に注ぎ込まれているのである。

 このままではいかんと、あるとき思った。お酒を飲むのにはお金がかかるという事実に気がついたのだ。毎日酒を飲むことをやめよう。仕事をがんばった日や、好きな人たちとご飯を食べる時に酒を飲む。何かいいことがあった日には、ウイスキーのロックを1杯でも飲もうかな。

 これは僕の曖昧だが堅固な決意表明である。

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