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”自己分析”ならぬ”自己哲学”をしてみたおはなし。ーたどりついた【アセクシャル】

大学三年生にもなれば自分の将来を考える時間はそれなりに増える。
わくわくしながら考える人もいれば、不安しかなくてできるだけ考えないようにする人もいる。みんなどっちなんだろう。私はどちらかといえば後者だ。
そもそも私は、自分の欲求があまり分からない。
そう思うようになったのは、就活に向けて大学生らしく自己分析でも始めようかなと、自分の人生を振り返り始めた時だ。
当時、なぜその行動をしようとしたのか。その時何を思ったか。深堀すればするほど、自分の思考に自信が持てなくなってくる。
私は何を望んだのか?今、何を望んでいるのか?
はっきりと言葉にできないし、言葉にできたとしてもそれが本当に正しいのか自信が持てない。
それが今、21歳の私。

なぜそんなに自分の思考に自信がないのか。
過去を振り返って原因を考えた末、たどりついた答えは【マジョリティに共感できないくせに、その環境に合わせて自分を変えていたから。】だった。
我慢するのは簡単。平穏な日常を過ごすために周りに合わせて自分の意見を変えるのも。
そういう人間なので、自分の本音を思い出すためには、当時の自分が抱いていた違和感を明確にしなければならないと思った。
明確にしていく中で気付いたこと。
偶然なのか必然なのか、たまたま見つけた”アセクシャル”。
拙い文章でも、自分の言葉でここに残したい。

人間関係の考え方

思い返してみれば、小さいころから自分の意見を明確に示した記憶がない。
基本的に平和主義なので、私が謝ってその場が収まるなら進んで謝る。そこにプライドはない。
とにかく、相手を不快にしないこと、怒らせないことだけを考えて、それに合わせて自分の行動や思考を変えてきた。嫌われたくないから。
そういう人間なので、人間関係のいざこざに巻き込まれた経験がないし、友達と大きな喧嘩をした記憶もない(なんとなく不機嫌でイライラすることはあるけど寝たら忘れる)。
人と衝突することがとにかく面倒で、衝突して欠けてしまった部分はもう二度と元には戻らないような怖さがある。なにか埋め合わせできても、なんとなく違和感が残って、あるいはもともとあったものを惜しんで、ありのままを受け入れられない。そうなるのが嫌で、相手に対して罪悪感もあって、【私が我慢すればいいや。】に行きつく。

【喧嘩するほど仲が良い】は、私には理解できない言葉の一つである。

【恋人関係】ってなんですか?

21年間、一度も恋人ができたことがない。
恋人が欲しいとも思わない。
【好きな人いないの?】【好きなタイプは?】
人生でさんざん聞かれてきたセリフたち。
そもそも【好き】ってなんですか?
私は友達のことは男女関わらずみんな好き。
でもどうやら、友達の”好き”と恋人の”好き”は違うらしい。
そのことに気付いたのは中学生のころだった。
【あの二人、付き合ったらしいよ。】
【○○は△△のことが好きなんだって。】
そんな会話で盛り上がる空間に居心地の悪さを感じていたし、なにより反応に困った。
みんなが何に盛り上がっているのか、何にわくわくしているのか、【恋愛感情】って何なのか。
一ミリも理解できなかったし、若干下に見てた(ごめん)。
いや、下に見られていたのは私だったのかもしれない。
【ピュア】とか【純粋】って言葉、よく言われてたなあ…(下も上もないんだよと気が付くのはもう少し後の話)
【ピュア】な私は、高校生になったら、大学生になったら、私もみんなみたいに好きな人ができるかも。恋人ができるかも。と何度も思って期待していた。
大学生になった今、成人もして、あと一年で大学も卒業というのに、恋愛に対する考え方は中学生の頃と何も変わっていない。
【いつか】を期待しなくなったのだけが強いてもの変化だと思う。


実はちょっとだけ、トラウマがある。

『友達のことは男女関わらずみんな好き』と先述したが、男女比でいえば女子の方が圧倒的に多い。
小学校の時に、習い事で同じだった他校の男の先輩に後ろから突然抱き付かれ、全力で抵抗してもなかなか離れてもらえなかった。そのときに感じた恐怖心や気持ち悪さがトラウマになっている。
学区の関係でその先輩と中学校が同じになってしまい、【恋愛が分からない】という気持ちと【男子が怖い】が並行していた(並行だったのかな。どっちかが先行してたかもしれない)。
部活でもクラスでも女子が多い環境だったので学校生活はそれなりに楽しく、【男子と関わらなければ平和】という状態だった。恋バナは苦手だけど。
高校生になってその先輩の呪縛から解放され、男子とも必要最低限のコミュニケーションくらいならとれるようになった。でも結局女子が多い部活、クラスに属しながらJKライフを楽しみ、男友達を積極的に作る気にはならなかった。恋バナ苦手だし。
女心もよく理解できないのに、男心はもっとよく分からない。
そういうことで、男性を心の底から信頼することは私にはとっても難しいことだと、いつの間にか自覚していた。

”アセクシャル”という言葉に出会った。

私が”アセクシャル”という言葉に出会ったのは、ABEMAのオリジナルドラマだった。
おすすめ番組が並ぶ中に、『恋って、しなくちゃいけないの?』みたいなワードが目に留まって、【私じゃん!】と思った。
共学の高校に通って、仲の良い友達もいる。けれど恋愛に興味が無く、友達の恋バナを聞いても『どういうこと?』ってなる。周りが恋愛を楽しむ中、それについていけないその子の気持ちは痛いほどわかった。

自分と全く同じ人はいないと分かりつつも、どこかで自分みたいな人を探していた。探した結果出会ったのが”アセクシャル”だった。
“アセクシャル”を一言で説明するのは難しいし、人それぞれちょっとずつ違うので、めちゃくちゃ大雑把に説明すると『恋愛感情や性的欲求がよく分からない。興味もない。』みたいな感じである。
”アセクシャル”の人のインタビューを読むと、共感できるポイントがたくさんある。
【恋バナについていけない。】
【恋愛ソングに共感できない。メロディーや歌声に惹かれて聴いてる。】
【少女漫画の世界はファンタジーだと思ってた。】
などなど、基本的には共感する。だけどたまに共感できないことと出会うこともあって、出会ってしまうと不安がよぎる。
そもそも、先述した小さいころのトラウマが私を”アセクシャル”にしたのかもしれなくて、でもそれって”アセクシャル”?もしかしてただの男嫌い?みたいに、訳が分からなくなる。
せっかく居場所っぽいところを見つけたのに、【ここじゃないよ】と言われているような不安。恐怖。
でも、ここまでnoteを書いてみて、自分を客観的に見て思ったのは、人間の育ち方は本当に様々だということ。
家庭環境×人間関係×自分に向けられる言葉×楽しい経験×怖い経験×……
たくさんのことに触れながら一人の人間の価値観や考え方ができていくのだと思う。
組み合わせは無限にあって、内容も様々。これからもいろいろなことが加わって、当たり前に変わっていく。
だから、”アセクシャル”と自分をカテゴライズすることに拘って、そこから除外されることを恐れたり、可能性を潰したりはしたくない、と思うのが今この瞬間の私。
小さいころのトラウマがどう関係しているのか、あるいは全く関係ないのか、正直もう分からない。考えても埒が明かない。
けれど今は、自分の思考を整理するためにとりあえず”アセクシャル”ってことにしておこうと思う。

恋愛感情がある(分かる)という点において性的マジョリティもLGBTも同じなんだよと世間に言ってやりたい。

”アセクシャル”という言葉に出会う前、異性に恋心は抱けないけど、もしかしたら同性なら恋できるのでは?と考えたことがある。
だけどやっぱり【分からない】の堂々巡りだった。
つまり私は、性的マジョリティの気持ちが分からないのと同じようにLGBTの気持ちも分からない。
それに気が付いてしまったとき、漠然としたもどかしさがあった。
【恋愛感情】から【恋人関係】になるのは素敵なことで、その対象は異性でも同性でも当てはまって、まわりから祝福されることだということは21年間生きてきた中で分かった。多くの人がそれを望んでいることも。
でも私は、自分が誰かと【恋人関係】になっている姿を想像してもピンとこない。想像の中にいる私も、やっぱり違和感を抱いている。
こんな感じの人間なので、恐らく自分が結婚するのは誰かと利害の一致があった時だと思う。
今はまだよく分かっていないが、法律上の夫婦になると事実婚では得られないメリットがあるっぽい。漫画でもアセクシャル同士が利害の一致で婚姻関係を結んだという話を読んだ。
しかし先述した通り、私は男性に対してちょっと恐怖心があるので、利害の一致で法律上の結婚をするなら同性が良い。そういう意味で同性婚には大賛成だ。
感情ではなく利害の一致で結婚することは、きっと世間一般から見たら寂しいことなんだろうなと思う。なかなか理解されないんだろうなとも思う。親や友達にそれを言う自分を想像したらゾッとする。
私は、自分に関わる人みんなに”アセクシャル”を理解してほしいとは思わない。私が【恋愛感情】を理解できないのと同じように、多くの人は私の気持ちが理解できないと思うから。
でもできたら、否定せずに向き合ってほしいなと思う。
自分がマジョリティなのかマイノリティなのかは見る方向によって変わる。
私もどこかから見ればマジョリティで、違うところから見たらマイノリティなのだと思ったら、なんだか人間って面白いなと思う。
自分の価値観を何も考えずに振りかざすことがどういうことなのか。それをしっかり考えられる大人になりたいと、未来にちょっとだけ怯えながら、深夜にひとりで思ったりするのである。

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