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「選んだ選択を正解にする」って何?

3月中旬から日本を出てアフリカに飛び立ち、3日前に帰国しました。

みなさん、お久しぶりです。
noteも久しぶりの更新です。

アフリカでの旅の話もぼちぼち話していきたいと思っているところです。

今日は、ちょっと早起きをして朝から本を読んでいました。そこで、色々と思うことがあったので、筆を取ることにしました。

以前、こんなnoteを書きました。

ここでは、「その時どういう選択肢を選んだかというよりも、その後の行動の方が100倍、1000倍くらい大事だっていうこと。選んだその選択肢の価値は、その後の自分の行動が決める」みたいなことを言ってました。

もちろん、この考えは何も変わってません。

まあ、これとはまたちょっと違う捉え方もできるなと思ったんです。

でね、本の話に戻ると、ある人のライフヒストリーの本を読んでいて、その中で「あの時、違う選択をしていたら、自分の人生がどうなっていたか想像もできません」っていう一文があって。ああ、やっぱりそうだ!って思いました。

ここで、皆さんに1つ問うてみたいです。

「選んだ選択を正解にするってどんな状態のことだと思いますか?」

ちょっと考えてみて欲しいです。





絶対解はないし、一人一人の考えがそれぞれ正解だと思いつつも、僕は僕なりの答えとして、

「もし、あの時違う選択をしていた未来を考えるとゾッとする状態」だと考えます。

僕は、「人生を選択した」と言う話の時にいつも思い出すのが、2年目の浪人を決断したタイミングです。

僕が2年目の浪人を決断したのが2020年の3月の終わり。世は、コロナの始まりで学校は一斉休校になり、自粛が余儀なくされた時期でした。

一年間の浪人を共にし、無事に大学進学をした友人も、せっかく大学に入学したかと思えばコロナで大学に通えない日々を送ることになっていました。

そんな中、僕が通ってた予備校は最初の2ヶ月は自宅受講が続いていましたが、6月からは普通に対面で授業を決行していました。今考えると、思い切ってやってくれたなと思います(笑)

一足先に大学に行った人は、ずっと自粛してる中、自分は運良く対面での学びを享受することができました。

時は進み、2021年4月に僕も大学に入学。当時もまだコロナの影響はありましたが、少しずつ規制が緩和されていた時期でした。入学式は相変わらず無かったですが、対面での授業も多く、そこまで完全自粛のスタートではありませんでした。

コロナのおかげで、オンラインのイベントやリモートでの活動の幅が広がり、そのおかげでいろんな人と繋がり、いろんな世界を知ることができるようになりましたが、僕はやっぱり対面での、直接的な人との関わりや営みが好きです。だから、予備校の時も、大学に入学した時も、コロナの影響は受けつつも対面で学ぶことができたのは、本当に運が良かったと思っています。

そして、2年間の遅れを大学で取り戻そうと思って、入学早々地元の学生団体に入って活動していたり、オンラインやオフラインでいろんなイベントに参加したり、面白そうな県外のイベントに参加してみたり、そこでの縁でいろんな企業でインターンさせてもらったり、コミュニティに所属させてもらったり、イベントを主催させてもらったり、いろんなところを旅したり、と本当に充実した学生生活を送らせてもらっています。

で、改めて自分の選択を振り返ってみると、
あの時、2年目の浪人をしていなかったと思うと、心の底からゾッとします。

だって、1年目の浪人が終わったタイミングで、当時合格を頂いていた大学に妥協して進学していれば、コロナと大バッティングして思うような大学生活をスタートできていなかったし、2年目の浪人をしていなかったら、現代文の先生と出会うこともなく、学ぶ楽しさも知ることもなかったし、大学生活スタートしてからあんなに強い意志を持って行動できていなかったし、それがなければ今の出会いも繋がりも、何もかも無かったと思うと、怖くて怖くて仕方がありません。心底ゾッとします。

あの時、就職していたら間違いなくこんな経験はできていないだろうし。

あの時、そのまま大学に進学していたら、飲み歩くかサークルやバイトに明け暮れて、遊ぶように、惰性で生きていただろうし。

怖くて、ゾッとする。

でも、そう思えるということは、自分が選択したこと以外のことを考えるとゾッとしてしまうのは、間違いなくこの選択が自分にとっては正解になっていて、輝かしいものとなっていて、色鮮やかに彩られているんだと思います。

最初に少し紹介した、本の作者の方も「あの時、違う選択をしていたら、自分の人生がどうなっていたか想像もできません」というほど、きっとその選択した未来を本気で生きていたんだろうし、その選択した未来を正解にしてやろうと生きていたんだと思います。

そう考えると、少なくとも「あの時、あの選択をしていたらなぁ」なんて感情は、やっぱり湧いてこない気がします。湧いてくる時点では、まだその選択した未来で、何かやり残してる気がします。

少なくとも今は、二浪した選択を後悔したことは一度ともないし、心の底からして良かったと思ってます。

「あの時、あの選択以外をしていたら、ゾッとする。なぜなら、今のこの経験や見てる景色、縁や繋がりはないから。」

自信を持ってそう言い切れる、言い続けられる人生を、自分が選ぶ選択のその先で、過ごしていきたいです!

今日も読んでいただきありがとうございます!
今日も1日頑張りましょう!

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