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探究者?学習者?【2023年10月17日】

あー、今日はほんとに何もしない日だった。

マジで、リアルに、今日は24時間の内、20時間近く、ベットの上で過ごしました。睡眠は15時間くらい。(寝すぎだね。びっくりします)

いやー、ほんとにダメですね。やらなきゃいけないことが溜まっています。ああ、頑張れ。
すごいフル稼働で頑張っているように見えても、こうして怠惰な日があるのもまたリアル。

何もできなかったけど、せめてnoteだけは更新しようと思い、頑張っている今です。

さて、今日は学習者と探究者について考えていきたい。

みんなは、この2つどんな違いがあると思う?

よく、教師はよい学習者でいなければいけない、とか耳にすることがあってさ。

それで、昨日インターン先の活動で、高校生と話す機会があって、そこで「教師は探究者であって欲しい」という意見があった。

学習者と探究者って、どう違うと思う?って聞いてみると、「学習者はインプットで探究者はアウトプットまでを含んでいる」という回答が返ってきた。すごい納得させられました。なるほどなと思って、自分でも一回考えてみたいなと思って。

考える前に、この答えには正解なんてないと思います。その高校生の答えも、僕の答えも、みんなが考える答えも、自分で考えて導き出すことに価値があると思う。だから、考えるんです!?

改めて、探究者の前に、探究って何だろうってことを考えたい。

探究って、「何でだろう?何故だろう?っていう疑問や問いに沿って、追求していくこと」だと思うんです。

ここで大事なのが、自分発信の疑問や問い。それはいろんな形があっていいと思っていて、大きいこと、小さいことさまざまで。

例えばね、今考えてパッと出てくる俺の疑問は、「人類の始まりってどうだったのかな?」っていうこと。人間って1番最初はどうやってできたの?男女2人から子供ができるのに、最初の1人はどうやってできたのかな?どこで誕生したの?どうやって繁栄したの?そして、どうやって国ができたの?そこから派生して、文化ってどうやって形成されたのかな?宗教は?言葉はどうやって生まれたの?

考えれば問いや疑問が止まりません笑
でも、こうやって自分の内側から出てくる問いや疑問に向き合うことを「探究」って言うのかなって思います。問いや疑問に向き合うことを探究と言うならば、それを調べて知識を得ていく行為を「学習」って言うのかなと思います。

ちょっとわかりにくくなったけど、問いに向き合う姿勢を「探究」って言って、問いに答えようとする行為を「学習」って言うのかなって。

だから、両者は常に2輪で走っている気がします。一輪だけでは走れない気がしています。

だから、良き探究者であり、良き学習者で在りたいなと思います。

話は変わり、「探究」って教育現場でよく使われるようなってきていて、高校でもみんな探究活動してて。別に探究って、授業とかにして区別してやるものじゃなくて、日常生活の中に転がってるものなんじゃないのかなって思うんです。「探究活動」というものが、その意識が強くなればなるほど、「何か大きなテーマを掲げて、成果物を出さなきゃいけない」みたいになっていくんじゃないかなと思います。

それは違うんじゃないかなと。別に成果なんてどうでもよくて、自分の疑問とか問いを大事にしながら、それと向き合うそのものの姿勢をもっと伸ばすべきで大事にすべきなんだと思います。

「探究嫌いです」とか言う人の中には、やっぱり「成果物」っていう認識があるんじゃないのかな?

「探究」に大事なのは疑問と問いだと思うんだ。

その疑問や問いに向き合う姿勢なんて評価するものでもなければ、評価できないものだよなって思う。

でも、学校は「評価」と言うものに縛られるから、わかりやすいように「成果物」とか出させるんじゃないのかな。

マジでなにやってもいいんだよね。それが、その人発信だったらね。

学習の始まりは探究なのかな?

みんなはどう考えますか?

今日も読んで頂きありがとうございます!
いや、マジで人類の最初の1人ってどうやって誕生したん?

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