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観る人の生き方を変えてしまう美術館

3分間でさようならはじめまして。岡初音です。

お久しぶりです!皆さんいかがお過ごしですか?

私は大好きな東京事変が復活した1週間程前に喜びすぎたのか、熱が出てしまい、今は体は元気なのに微熱が続いています。

ウイルスを持っているかも知れないから、お散歩とかも行きにくい。

でもその分、朝カーテンを開けると、世界が眩く感じます。太陽と共に生きてるんだな、と。
その眩さを知ることができたたけでも収穫かな、とも思います。

思い返せば、私はお外が大好きで、1週間以上も家でじっとしている生活を送ったことがなかったです。
おうちで何をしよう?と考えたところ、昨年から書くか書くまいか悩んでいたnoteを、遂に書くことにしました。
今ならのんびり読んでくださる方も増えそうだし。^^ 田村先生への感謝の意も込めて。^^

1か月程前に先生から拝借した「直島誕生」という本を読んだ感想を書いていこうかなと思います。
観る人の生き方を変えてしまう美術館を訪れた実体験と共に。

たむゼミのみんなが面白いnoteを書くから、プレッシャー、、、。出だしから緊張しています。
お手柔らかにお願いします。(笑)

まあ自分らしく、書きたいときにゆる~く、継続して書いていければと思います。

はじめに

この本を拝借することになった経緯からお話します。

2月に地元岡山に帰省した際、芸術の講義で勉強して以来ずっと行ってみたかった豊島へ高校からの大親友を誘って、宇野港からフェリーで訪れました。

その日、大きな感動と余韻を胸に帰ってきた私は、豊島での体験を忘れられず、次の日も、その次の日も、豊島のことを調べまくりました。

そのちょうど1か月後、先輩方の卒業式の日にゼミのメンバーでお花見をしました。

田村先生に、私がアートサイト直島に興味があることをお話したところ、「直島誕生」という本を貸してくださいました。

ベネッセアートサイト直島

まず、ベネッセアートサイト直島、なんだそれ?って思った皆さん、初めてのnoteが楽しくてついつい乱用してしまいました、❝引用❞でご覧ください。

「ベネッセアートサイト直島」は、直島、豊島、犬島を舞台に、株式会社ベネッセホールディングスと公益財団法人 福武財団が展開しているアート活動の総称です。 瀬戸内海の風景の中、ひとつの場所に、時間をかけてアートをつくりあげていくこと―各島の自然や、地域固有の文化の中に、現代アートや建築を置くことによって、どこにもない特別な場所を生み出していくことが「ベネッセアートサイト直島」の基本方針です。各島でのアート作品との出合い、日本の原風景ともいえる瀬戸内の風景や地域の人々との触れ合いを通して、訪れてくださる方がベネッセグループの企業理念である「ベネッセ―よく生きる」とは何かについて考えてくださることを願っています。
 ※公式ホームページより

とぅるる るーんるーん。 お分かりいただけただろうか。

私が今回訪れた豊島は、株式会社ベネッセホールディングスと公益財団法人 福武財団がアート活動を展開している島のひとつです。

それでは、何故それほどまでにアートサイト直島にハマってしまったのか、私の体験からお話します。

いざ憧れの豊島へ

その日は晴天で、さっすが晴れの国岡山じゃな~と思っていたけど、豊島はギリ香川県の島でした。

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着いてすぐ私が持った印象は、海がすっごく綺麗で、真っ青な世界に包まれた島だな、でした。
しかし、豊島はかつて日本で最大級の産業廃棄物の不法投棄が行われ、「廃棄の島」という負のレッテルを貼られてしまっていました。
これは、事前に調べていたのですが、「豊島美術館」が「廃棄の島」から「豊かな島」への再生の象徴となったことへもとても興味がありました。
(勉強熱心、偉い。)

そんな豊島美術館へ私たちは着いてすぐに向かいました。

(今回は、私のお目当てだった豊島美術館の感想だけここに書きます。
他にも素敵なところは沢山あったのですが、すんごく長くなっちゃいそうなので。)

豊島美術館

豊島美術館は、アーティスト・内藤礼と建築家・西沢立衛によって2010年に造られた美術館です。

休耕田となっていた棚田を地元住民とともに再生させ、その広大な敷地の一角に、水滴のような形をした建物が据えられました。広さ40×60m、最高高さ4.5mの空間に柱が1本もないコンクリート・シェル構造で、天井にある2箇所の開口部から、周囲の風、音、光を内部に直接取り込み、自然と建物が呼応する有機的な空間です。内部空間では、一日を通して「泉」が誕生します。その風景は、季節の移り変わりや時間の流れとともに、無限の表情を伝えます。 ※公式ホームページより

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(この2枚は隣接しているカフェの写真です。)

美術館は主に、地面から湧き出る水と、それらを包み込む建築の2つで構造されています。
全体の作品名としての総称を『母型』と呼びます。

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滑らかで冷たく、真っ白な建築物の中に入ると、暖かな日差しと、自然の声。
そして、表面張力を保ったまま、体感できないほど僅かな傾斜を、まるで生きているかのように形を変えながら移動する水滴が、地面にある小さな穴から湧き出ていました。

水滴を模した建築は、地域の再生を象徴するイメージで、天井に大きく空いた丸い開口部は常時開放されていて、周囲の風や音、光を取り込んでいました。

私が訪れた時は、2月のお昼過ぎの少し暖かい気温でしたが、地域と一体となった建築は、
きっと夕方も雨の日も周りの緑たちが色づく季節も、それぞれの美しさがあって、様々な情景を映し出すのだろうな。
ずーっとこの中でそれを見ていたいな、と思ってしまいました。

美術館の中は撮影が禁止されているので、気になる方はホームページを覗いてみてください。


私は美術館には興味があるので良く行ってみるものの、なんだこれ?というアートに沢山出会ってきました。
それは私が有名な作品しか知らず、勉強不足なのは承知の上です。
怒らないでください。

しかし豊島美術館は、芸術の講義で勉強していなかったとしても、あの時と変わらず目が潤むほど、感動していたと思います。
それくらい考えさせられるものがあります。

水が生まれ、流れていき、繋がり、また流れ、地球に初めの一滴が落ちたような、そんな水の動きが神秘的でした。
『母型』という展示なだけあって、お母さんのお腹の中にいる胎児に戻ったような感覚でした。

小さな水滴は、気泡が太陽に照らされ、キラキラと輝いていて、思わず「宝石みたい」と呟きました。

豊かな自然にあってこそ、現代アートの価値が生まれると考えるベネッセアートサイト直島。
勉強してきたおかげでそれが頭にすんなり入ってきました。

この建築は何か自然を加工しているわけではないのです。見方を変えて、建築の力で再提示してくれているだけなのです。
なのに見た人は気づかされます。
いかに普段の生活で「自然」を感じていないかを。
それをないがしろにしていたかを。
この展示に感動するということはつまり、自然の中で生きている(生かされている)「自分」にすら、想いを馳せていなかった事実に呆然とさせられることかも知れません。

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デッサンをしたり、何時間もボーっと座っていたり、お昼寝している人もいました。
その気持ち、とってもわかります。
人為的なものでも、押し付けがましいメッセージもない、凛としたアート、素敵でした。

美しさや心地良さなどの自分の感覚に従うこと、「感性」や「感覚」といった数字にならないものを、おざなりにせずに、大切にしないとな。

豊島美術館が世界一と称される理由は、それはいずれまた戻る日常への合間に、水が湧き泉をつくるかのように、心を震わせ、心をひときわ潤すからではないかと思いました。

拙い言葉を尽くしましたが、この作品の魅力を感じてもらうには現地に行くしかありません。
行ってみる価値は絶対にあります。
コロナが終息したら、是非足を運んでみてほしいです。
フェリーで島へ向かっている時間すら思い出す度、恋しくなります。
私も何度でも行きたい。


おっとっと。豊島美術館の感想だけでこんなに書いてしまうとは。
長くなってしまいそうなので、本の感想はその2へ書くことにします。

ここまで読んでくれたからには、続きも読んでくださいね?^^



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