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観る人の生き方を変えてしまう美術館 その2

その2です。前編を読んでからどうぞ。

昨日、初めての投稿でnote機能には、「スキする」っていうのがあるのを知りました。

なんと可愛い。クリィミーマミみたいですね。

前回は本を拝借することになった経緯、アートサイト直島、そして豊島美術館の感想を書いてきました。

今回はやっと、「直島誕生」の感想を書いていきたいと思います。


秋元雄史さんという人

まずは、この本の著者、秋元さんのお話から。

著者略歴 秋元雄史さん  1955年東京都生まれ。東京藝術大学美術学部絵画科卒業。
1991年から2004年6月まで、ベネッセコーポレーション(旧・福武書店)に勤務。美術館の運営責任者として国吉康雄美術館、ベネッセアートサイト直島の企画・運営に携わる。2002年頃からはモネ《睡蓮》の購入をきっかけに「地中美術館」を構想し、ディレクションに携わる。/ 公益財団法人直島福武美術館財団常務理事、ベネッセアートサイト直島・アーティスティックディレクター。/ 2007年4月から2017年3月まで金沢21世紀美術館館長(2015年〜2017年 東京芸術大学大学美術館館長と兼務)。2015年より東京藝術大学大学美術館館長、教授(2017年まで金沢21世紀美術館館長と兼務)。  ※Wikipediaより

直島誕生を読み進める間に、私は秋元さんのファンになっていました。

彼の熱く一本気な性格、決して諦めない姿勢、アートを強く愛する心、面白い半生、これらに惹かれ、次はどうなるんだ?とワクワクしながら読むことができました。

後に説明しますが、福武さんとの方針の相違により、財団を辞めることを決意します。
これも本当に彼らしい選択です。

過疎化する島の現代アートの挑戦

“現代アートの聖地"はなぜ、どのようにして生まれたのか?
「一生に一度は訪れたい場所」として、国内のみならず世界中から観光客がこぞって押し寄せる、瀬戸内海に浮かぶ島・直島。
そこは、人口3000人ほどの小さな島ながら、草間彌生や宮島達男、安藤忠雄ら錚々たるアーティストたちの作品がひしめきあう「現代アートの聖地」となっている。 今まで、その知名度とは裏腹にほとんど語られてこなかった誕生の経緯を、1991年から15年間、ベネッセで直島プロジェクトを担当し、
「家プロジェクト」や地中美術館などの画期的な作品群・美術館を生み出した掛け人が、2006年に島を離れて以降初めて、自らの経験をもとに語り尽くす。 そこには、暗闇のなかでも諦めずがむしゃらに挑戦し続けるひとりの人間の姿があり、その苦闘の末に生み出されるのは、あらゆる理不尽を飲み込み時代を超え受け継がれる奇跡のようなアートの数々である。


福武さんは、東京にあるのは、刺激、興奮、緊張、競争、情報、娯楽であり、「人間」というキーワードも存在し得ない。
現代美術のアーティストは現代社会の問題や矛盾を、ひとつの作品に込めている。
そんな作品を、問題や矛盾の多い都会に置いたとしても、果たして作品自らが光を放つだろうか?と考えられてました。

「在るものを壊し、無いものを創る」東京を反面教師とした直島プロジェクトの全体に繋がる考えは、「在るものを活かし、無いものを創る」でした。

環境問題や資源の少なさが叫ばれる中、この考えはもっともっと浸透していくべきだと思います。

秋元さんも、現代アートは豊かな自然の中にあってこそ、輝きを魅せると考えられていました。

そこも含め、福武さんの思いに共感したのでしょう。

アートサイト直島のアートは、アートの誇張ではない、アートが自然や歴史の持っている良さを引き出す、そしてそれらの相互作用で人間が動かされているのかもしれないと、感じました。

人は成長しているけれど、感覚や大切なものはどんどん子供の頃に戻っていくのだと思います。
それを教えてくれ、そのギャップをうめてくれるのは環境だと考えます。
豊島に行ってみて、自分にとってのその環境は、生まれた地、もしくは生まれた地に近い、豊かな自然のある場所なんだと気付きました。

これまでも自分が、自然を好きなことは知っていました。
ですが、ここまで身をもって体感することがあるんだと、驚きました。

瀬戸内海の島々の過去と今

僕らはいつしか、単にアート作品を作っているのではないと思うようになっていた。僕らは町の「今」をつくっていると同時に、過去とのつながりを取り戻している。そんな気になっていった。

過去にあった不法投棄事件、そこから豊島の人たちもきっと大きな不安を抱えながら、このプロジェクトを受け入れてきたのだと思います。

これまで敵だった外の人間がいきなりアートを持ち込んで、活性化させたいなんて、何を言ってるんだと思うはずです。

ですが、私が訪れた時も、「どっから来たん?」「ここ座りんちゃい」「何にのる?」「こっからどこに行きたいん?」と、温かい言葉を自らかけてくれました。

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シーサイド大西では、おじいちゃんおばあちゃんの集会のような楽しいお話に混ぜてくれました^^

福岡に来て忘れていた、お年寄りや地域のあたたかな人と人との繋がり、助け合いを思い出しました。
飲食店を経営しているお年寄りの方も多く活き活きとしていて、島全体に(Benesse=)よく生きる という考えが浸透しているように感じました。

自分の信じるものを貫く

福武さんは「本当に普遍的なものとは、何度でも繰り返し実現できるものだ」と考えているようだった。
しかしアートは違う。アートは唯一性、それしかないという意味において普遍的なものなのだ。なぜならば、アートは人と同じだからだ。


これは先述した、秋元さんが福武さんとの方針の相違を感じた時のお話です。

次々と他の島(豊島もそのひとつ)をアートで活性化させていこうと考える福武さんと、アートは人と同じで唯一無二だと考える秋元さん。

経営者と芸術者の思考の違いがなんだかとても面白かったです。

そして、自分の考えを貫いた秋元さんは財団を辞めてしまったけれど、きっと後悔なんて微塵もないんだろうな、と思います。
私も、自分の信じること、正しいと思ったことへ突き進む、そんな生き方をしたいです。

おわりに

題名の通り、私は豊島美術館へ訪れる2か月前とはまた違った、
「視覚を使ったものの見方」を知ることができ、生き方についても考えさせられました。
ここまで自分の考えと照らし合わせながら読み進めることができる本にはなかなか出合えません。
先生、お貸しいただきありがとうございます。^^

自分の考えをまとめる為にも書き始めた今回のnoteでしたが、これを読んで少しでもベネッセアートサイト直島に興味を持ってくださった方がいると嬉しいです。

初めてのnoteに苦手な読書感想文でしたが、ここまで読んでくださった方、お付き合いいただきありがとうございます。
次は何を書こうかな。
意見や感想など貰えたらとっても喜びます。♪

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