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滞在権訴訟 4/7


 店内のスピーカーからは『カインド・オブ・ブルー』が流れている。言わずと知れたモード・ジャズの世界的名盤であり、コードを取り払ったことで産み落とされた圧倒的な自由と、その発明の必然的帰結として要求された禁欲的なまでの抑制が注がれる演奏は、やはりこの空間にうってつけだ。シンジとマキは、そしてこのレストランにいる他のすべての人々は、各々の周りで流れる優雅な時を楽しみ、けれど同時に、他を気遣うことを決して忘れない。流れ来る旋律は上品さだけでなく哀愁を帯びてもいるが、それはどこかマキが窓の外に向ける表情とよく似ている。しかし、彼女だけじゃないのだ。ここにいる人はみな、自由を得るためになんらかの代償を支払った。そうして手放したものを想いながら、自らに与えられた自由を味わっている。ここにいる資格は金だけじゃ得られない。シンジもなにかを捨てたのだ。だからこそ、彼らは目の前にある自由を十全に享受する。
「シンジ君はさ」と僕はやおら訊ねてみる。「どうしてドイツにやって来たの?」
 彼はスープを飲む手を止め、僕をまっすぐ見つめる。「EU法を学ぶためですよ」
「どうしてEU法なの?」と僕は矢継ぎ早に問いを重ねる。
「優れた理念に基づいているからです」と彼は真剣な顔つきになる。「様々に批判はあり、問題点がありますが、EUこそが死に体となっているヨーロッパを救うことのできる唯一の選択肢と僕は考えます。現代社会は個人主義とニヒリズムですっかり覆われてしまいました。EUという共同体は、寛容と連帯への意志を象徴する、大きな希望です。ご存じかと思いますが、EUのベースにはカントの理念があります」
「カント」と僕は相づちを打つものの、EUに関してもカントに関しても全くに無知だ。アパートの本棚に『純粋理性批判』が転がっていたりもするが、数十ページで断念した。僕には荷が重過ぎたのだろう。
「カントという思想家は空想家と揶揄されもします」とシンジはワインを飲む。「でも彼はどこまでも現実主義者です。永遠平和を謳うあたり、一見したところ夢見がちに思えます。が、中を紐解くと、戦争状態を前提としているように、性悪説、つまり人間の本性を邪悪なものと措定した上で、平和の実現には自由な交易が肝要だと訴えています。例えばこんな一節があります」とシンジはこめかみに人差し指を当て、それは薄い暗闇でもチャーミングなのがわかる。「『戦争自体に特別な原因は必要ではない。いうなれば、戦争は人間の本性に接ぎ木されている・・・故に平和状態へ創設されなければならない』」
 シンジはやっぱり少し酔っているのかもしれない。彼の語り口はひどく熱が込められている。それにカント哲学を引用する場として、このベルリンの夜景に彩られたロマンティックなレストランは全くに相応しくない。でも、何故だかちぐはぐさはない。いや、なぜもないのだ。シンジが語り手である、それで十分なのだ。人はなにを言うかではなく、誰が口にするかで判断をする。シンジなら、カントであれ共産主義であれ、はたまた人生の無意味さだとか文明の欺瞞——自由主義とニヒリズムに毒された人間(要は僕みたいな捻くれた思考の持ち主)が好む、聞くものを不快にさせる話題——でさえ、シックな様相を帯び、どこであれいつであれ、今語られなくてはならない事柄へ様変わりする。ミダス王が触れるものの全てを黄金にしたように、ナポレオンがなす行為の一切を英雄たるに相応しいものとしたように、優れた才能とはある種の錬金術を有しているものらしい。
「君は日本が進むべき道を探るためにドイツにいる」と僕は口にする。そして一方の自分自身は進むべき道を探るためにドイツにいるのだ、と胸の内で反芻して苦笑いをしてしまう。
「なんだか大層な口ぶりになってしまいました」とシンジは照れ隠しではにかむ。とてもキュートだ。「でも僕は確信しているんです。近い将来、日本も、EUのようなインターナショナルな政治形態に属さなくてはならなくなる時代が来るだろうって」
「環太平洋連合?」と僕は訊ねる。「いや、世界政府なのかい?」
「世界政府ではありませんよ」とシンジは素早い返答をよこす。「地球上の全てを統治するのではなく、国々の連合こそが重要です。そうカントも言っています」
「支配関係ではなく、友好関係の方が支配のためには有効ということだ」と僕は皮肉を混じらせる。カントを持ち出されては敵うはずもない。僕がふわりと知っている哲学者といえば、大抵、狂信者すれすれの人々なのだ——ニーチェは本当に狂ってしまってし、キルケゴールはまるでロックンロール狂いの若者みたいに、自分は三十四歳で死ぬ(二十七でないだけまだ幸いだ)と信じ込んでいた。きっと、存在意義などを問うてもいても、埒が明かない。言うなればアプリオリに、我々は寛容たるべきであり、連帯すべきなのだろう。
 マキがやおら僕をちらりと見る。視線になにが込められているのかはうまく掴めないが、僕の顔にこべりついた卑屈さを捉えてしまった可能性が高い。
「使い古された表現になってしまいますが」とシンジが断りを入れ、話を続ける。「今、世界中が迷走状況にあります。様々な火種が燻ってもいます。確かに、正しさがどこにあるのかを見定めることは容易じゃない。しかし人は考えることを放棄し、安直な正義感に浸って、各々で勝手なことを主張します。単純なはずの出来事すら、真実を捉えるのは不可能に近い。必要なのは深い思慮です。そしてそこに必要なのは、長い時間、つまり歴史です。長く残ってきた古い理想にこそ、今頼るべきなんです。それこそが多くを一つに束ねることができる。僕はそれをEUの理念に見出しました。恥ずかしながら、僕も若者らしく、世界をより良く変えたいという夢を抱いています。課題は無限にあります。いつか実現するとしても、ずっと先のことになるでしょうね。でも、正しい理想は人を正しい道へ導きます。なんであれ、僕はそう信じています。僕は色々な偶然の末、法律家を目指すことに決めました。そして今では、正しい理想に基づいた法を形成するために自分の能力を活用したいと思っているんです」
 シンジは自分の言葉を噛みしめるみたいに目を閉じて軽く頷くと、腰を少し上げて足を組み直す。
「文明は進歩してゆきます」とシンジはグラスを傾けて空にする。ウェイターがやって来る。マキはぼんやりとした視線をあちらこちらにやるばかりで、加熱してゆくシンジに対しての明確な反応をなにも見せない。僕はずっとシンジを見つめてはいるが返す言葉を見つけられない。「同じように、知性や道徳もまた、より優れたものとなってゆきます。教育が発展しているからです」
「教育」と僕は喋ることのできる余白に飛びつく。
「きっと、僕みたいな普通の人間は数十年前なら、貧しさのために満足いく学習の場も得られず、ましてヨーロッパの大学で学ぶなんて、あり得ないことだったでしょう。土地や時代が少し違っただけで、軍隊に取られ、国家の捨て駒となって、今頃死んでいます。でもありがたいことに、法律や哲学や文学のような、生きるためには副次的にしか必要でないものにうつつを抜かす——と言っていいですよね、Nさん?——ことができる。奨学金なんてものがあるように、むしろ推奨されてすらいます」
 そこまで言うとシンジは一息休憩を入れ、マキがその様子に目をやっては微かに頷く。いや、単に俯いただけなのかもしれない。けれど、マキがシンジの意見に絶対的な同意を添えているとしか思えない。
「教育を受けた人は、社会に貢献しようとします。視野を広く持てば、それこそが自分の義務と考えるはずです。だからこそ教育が拡充してゆけば、それに比例して社会は進歩する。知性はあらゆる境界を越えるのに不可欠なものです。人間の活動領域はだからこそ、宇宙にまで広がってゆくことができるんです」
 僕はやっぱりなにも口にすることができない。シンジの夢の純粋さと彼の思考のまともさに圧倒されている。シンジは日本が進むべき道を探るためにドイツにいる。ノブレス・オブリージュ。彼は為し得るものであり、為すべきを完全に把握している。どうして僕はこんなところに? 僕はなにを求めているのだろう? こんな問いは彼にとってあまりにも無意味だ。義務——私たちはなにを為し、なにを為さざるべきか。この言葉が僕と彼を明確に区分けしている。シンジは義務を十全に果たそうとしている。僕はそこからどこまでも逃れようとしている。なにをするかがぼくらではない。ぼくらがなんであるのかは、既に決まっている。シンジは僕にそう語っている。
「教育はさらに道徳水準も高めます」とシンジは続ける。「社会の幸福を個人の幸福よりも上位に置くことを可能にするのは、教育だけです。要は啓蒙ですね。昨今、経済成長が鈍化していると問題にされていますが、僕はむしろ好ましい事態なのではないかと思います。若い人々は私欲を捨てることができる。見栄や虚栄に依らず、本当に倫理的で正しいものに沿おうとしている。こんな風に、精神はゆっくりとではありますが、一段高い水準へ昇っているんです。人間社会が目指すところは、単なる経済発展ではない。だからこそ、批判も多くありますが、自由交流を促すEUやTPP、つまりグローバリゼーションは正しいんです。グローバリゼーションは、狭い範囲の利益や幸福に縛られていた旧来の仕組みに鋭いメスを入れて、抜本的な改善をもたらします。価値判断が地球規模となれば、それは大きな淘汰を引き起こします。冷徹に響くかもしれません。ローカルな正しさを全否定しているとも取れなくないでしょう。けれど、これはアウフヘーベンなんです。より高次の正しさを導き出すためには、痛みは避けては通れません」
 シンジはまた恥ずかしげな笑みで顔をくしゃくしゃにする。とってもチャーミングだ。
「だからこそ、ぼくらは無条件に他者を受け容れるべきなんです。日本もEU倣うべきでしょう。異なる他者を拒絶し衝突を回避するというのは、短絡的な解決策にしかなりません。ある意味、家から一歩も出なければ安全だ、というのと同じです。近い将来、狭い思考に逃げ込んだツケが回ってきます。中身が子供の老人となにも変わりません。日々を無為に送り、老い衰えてゆく。だからこそ日本は衰退しているんですよ。引きこもりを一概に否定すべきでないと理解はしていますが、社会全体から見れば単純な損失でしかありません。欠けているのは正しい寛容の精神なのでしょう。弱さを許すのではない。衝突することを怖れない。これが本当の寛容の精神です。そうして連帯を目指すんです。勝利ではありません。異質な他者であるからといって、滅ぼすための戦いは誤りでしょう。淘汰とアウフヘーベンは違う。その上、国家の由来が民族間の争いであるとはいえ、大概の争いは誤解から生じ、それは民族主義であり、宗教教義の悪用であり、要は理性の欠如と矮小な道徳観によります。もちろん、土地に応じて善悪の基準は変わる。植生が異なるのと同じですね。だからこそ、世界には多くの国家が存在するのが道理です。ですがその境界は容易にまたぐことが可能であるべきだ。人が策定する区分けは常に誤謬を含むものですから。自然のままに生じた植生とはその点が異なっています。だからこそ、カントはこう言ったんです——『地球の表面は球である。人は無限に分散し広がることは出来ない。最終的に共存することを忍び合わなくてはならない。そして、根源的には誰一人として、地上に存在することにおいて、他者よりも多くの権利を持ってはいないのである』」
 僕は困り果て、というのも正直に言えばシンジのグローバリズム礼賛にうんざりしているからで、横目に見やると、マキは左手で頬杖をついて、じっとシンジを見つめている。少しワインに気分が良くなっているのか、微かな笑みを保つまま、口を指二本分開けている緩んだ表情は、恍惚としているようにも見える。なんだかシンジは宗教家みたいだ、とも感じるが、言っていることはきっと正しい。僕はやるかたない憤りを抱えて一矢報いられない自分に腹を煮えくり返しているわけだが、こんなのはきっと、彼の批判する理性の欠如と矮小な道徳観の凡例に過ぎないのだろう。
「これは訪問権と言われています」教祖の語りは止まらない。「異邦人を無条件に拒絶するべきでないというものですね。ただ、カントは白人至上主義者だと批判されるのと似て、ある意味、他者の受容は条件付きに過ぎず、キリスト教における慈悲のようなものだ、と指摘されることもあります。EUも同様なのですが、来訪はどのような場合であれ歓迎する一方で、移住となると厳格な制限を課す必要があるとしています。永住は双方の好意に基づく契約を要する、と。やはりカントは非常に現実を」
「大変お待たせ致しました」
 シンジの講義を遮るのはウェイターだ。これまでとは別の男で、中年のでっぷりとした体型で、顔が赤黒く医者でなくとも肝硬変を疑わずにはいられない。もちろん、服装はしっかりと決まっている。雰囲気は厳かに所作は滑らかに料理を配膳してゆく。「ラプスカウスです」とシンジが呟く。いくらか興を削がれて気分を害しているのか、真顔で余裕のある笑みが消えている。シンジはまたもやワインボトルを注文し、さらにビールを求める。そして僕がコーヒーを飲みきっているのを見て取って、二杯目はどうかと提案する。僕はぶっきら棒に、なにもいらないと無言で首を振る。

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