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始まらない、それとも始まってるのか
良い瞬間に立ち合ったとき、喜びに溢れる。
自分がつくる喜びを知ってしまったから、他人がつくったものには悔しさも同居する。
こんなに良い瞬間に出会ってきたのに、今の自分はからっぽである。
いや、詰め込みすぎてからっぽになってしまった。そんな感覚がある。余白がないというか。
現実を避けるように突っ走った。散歩が好きなのにただ走った。景色を見ないようにするかのように。
ひとりでは走れないと思ってたけど、
異常なほどにまっすぐな愛に突き進むきみをぼくはどう捉えたらいいのだろうか
タイトルに意味はありません。
昨日ひさしぶりにメゾンブックガールの音楽を聴いた。
友人に会いに行って帰りが遅くなった深夜の帰り道。車の中で大きな音を出しながら、変拍子のリズムに没頭した。
北海道に帰ってきて5年。もう東京時代のことは記憶の彼方なんだけど、あの頃ひたすらに反復した行動や感情が、自分の柱を形成していたことに振り返ると気がつく。
その繰り返しで人間は年輪を厚くしていくのだろうか。
ぼくたちはなにかを残すということについて、もう少し真面目にかつ柔軟に時にはおふざけもいれながら考えないといけないのではないか?
ちょっとめんどくさいタイトルなんですが、けっこう本気でそのようなことをずっと考えているので文章にしてみる。
持続可能という言葉がこの世界を駆け回る2023年くらいでしたが、なにかを持続させるということはつまりどういうことのことを言っているのだろう。
持続をググってみると「長く続くこと。もち続けること。」と検索結果に表示された。(2024年1月30日時点)
次にChatGPT3.5に聞いてみた
田舎を好きになってみたかった
良いラジオを聞いていると文章を書きたくなるのはなぜだろうか。ちょっと最近の気持ちについて書きたくなった。
このまちに来てから、いつの間にか毎日幸せな気持ちで過ごせている。
毎日広い空を見て、おいしい野菜を食べて、一緒に笑ってくれる仲間がいて、家に帰ったら家族がいて、豊かな生活ってこういうことなのかな?
おすそ分けなんて本当に存在しているのかずっと疑問だったけど、最近はこのまちで採れた野菜しか
ずっとパズルを並べ替えている
ゼロイチって言葉をたまに聴くけれど、0と1で出来てるのはコンピューターと同じで人類に無から有を生み出すことなんて出来ないと私は思う。
自然があって、地球があって、素材を変化させて人間は新しいものを生み出してきた。宇宙でもあるまいし、僕たちに0から何かを発生させる力なんて備わっていない。
なにかを想像することは、あらゆるパターンを考えて、物事を組み合わせたり、組み換えたりすることで新たな発見を探
だれのことも意識しないで過ごせる状態がひとりっ子の自分には心地よいんだろうなと思った話
7月に入ってから心が動く出来事ばかり起こる。もう少し誰かに伝えることを意識して書いてみようと思って、noteのアカウントをもうひとつ作った。それなのにキーボードを叩いてみても言葉が浮かんでこない。
きっと誰かを意識して発言をすることが得意じゃないんだろうな。会話するときも出来たら1対1で常にしていたい。だからここに綴ろうか。誰も意識しないで今日感じたことを。
人生って不思議なことが起こる。偶然
つまり地層のようなこと
人は自分の経験の中からしか物事を判断できない。これは三十数年生きてきて、思うようになったことだ。
誰かになにかを相談されたときに相手の立場になって考えようとすると、相手と似た人を思い浮かべるか、自分が似たような感情になったときのことを思い浮かべて話すことが多い。いくら想像したところで経験したことがないと、自分の頭では理由にたどり着けない。だから事例を捜し当てるのだ。
社会経験が増えてから、自分